第60話 京都石清水八幡宮と奈良の都 エッセイ

文字数 4,118文字

 徒然草の中の逸話を読み、想像と現実を比べてみたくなり、京都石清水八幡宮へ旅し参拝した。徒然草第五二段には「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝んだことがなく、心苦しく思っていて、あるとき思い立ちて、ただひとり徒歩で参詣した。極楽寺・高良などを拝みて、これだけと心得て帰ってきた。」というくだりがある。
 八幡市にある京阪石清水八幡宮駅についた。思いのほか田舎町の駅舎である。午後二時から八幡宮の本殿で館内の説明があるという。駅に五分前に着いた。モノレールがあるようだが、乗って行ったとしても間に合わない。スマホで「五分遅れで本殿へ行きますが、案内に参加させて貰えませんか」と頼んだ。応対は事務的で、「時間過ぎは受付けません」と断られた。悪いのは私だが、「わざわざ、遠くからきて、何か面白い仕掛けでもありはしないかと想像して来たのに。来客歓迎の気持ちがあってもと思った。
世の中は私の為にあるのではない。思い通りにならないと憤慨するほうがおかしい。八幡宮には古い歴史があり、それを引き継ぐ人々にはそれなりの思いがある。どんな思いでこの宮を盛上げようとしているのか。生活の糧として働いているのかを、見えない要素を推測する必要がある。そして本質を見つけ出す事が大切である。たんなる観光者であるべきではない。
 プレハブ入り口のような案内所がある。ボランティアのシニア男性は歓迎してくれ、徒然草の老法師の話で盛り上がり、嬉しくなった。イラストマップによれば、男山の山裾に赤い回廊に囲まれた頓宮殿と極楽寺跡があり、傍に高良社に五輪塔が並ぶ。山頂付近には石清水八幡宮の社殿があり、回廊は四倍もありそうだ。
このボランティアの人の方が、観光者にとってはあり難き存在である。いかにして八幡宮を訪ねた人に有益な情報をあたえるべきか、思いが見える。初めて訪ねた宮に対して、興味がわいてくる。千年前から多くの参拝客を引き付ける物はなにか。そのこと見つけ出せるだろうか。
建物だけでは、説明文のあるとおりだ。そこに隠されている、長期存続の原因は何だろうか。それを見つけ出さなければならない。時間はわずか、二度とくるほど近い場所ではない。一度のチャンスの中で、なにか要素を見つけるのは、至難のワザなのだろう。
 私は、極楽寺から山頂に向かい登った。四十八僧坊がひしめく神仏混合だった。今は鬱蒼と木々が茂り、僧坊跡と書いた看板のみである。三十分で本殿についた。
 この石清水八幡宮は由緒あるものだ。平安時代八五九年、清和天皇が平安京を護るため、八幡大神を九州の宇佐八幡宮から男山の峯に遷座せられたのが始まりだという。御祭神は神功皇后に応神天皇である。私は神功皇后を敬愛しているのだ。福岡で熊鷲を退治、三韓を征伐された勇者である。息子は応神天皇で八幡大神とされ、戦いの神様なのだ。現在、「皇后は、神話時代の伝説だ」と低い評価になっている。福岡に八幡宮は多い。私は福岡各地の八幡宮を調べて回った。それぞれの地域の八幡宮に異なった由緒があり、繋ぎ合わすと神功皇后の足跡と符合する。全部を合わせると、一つの物語を構成している。私は、神功皇后は実在したと堅く信じている。その素晴らしき皇后と天皇を御祭神にしている。仁和寺の老法師のように、ここに参詣出来ただけで、有難く感激できるのだと知った。
兼好法師は仁和寺の参拝した法師を笑いものにする。一般の参拝客もこんな程度の考えで、一部を見て、本質も知らずに帰ってくることが多いということを示唆しているのだろう。私もまったく同じ轍を踏んで、階段を上り下りしかえって来てしまったのだ。
 旅の予定で翌日は奈良の都を訪ねることにしていた。近鉄奈良駅で下車。多くの観光客が外人も含め、右往左往している。都会的な感じで、楽しい祭りでもありそうな雰囲気の構内だ。駅の向かい側の通りに、予約していた東横ホテルがあった。チェックインし部屋に荷物を置き、夕食の店をさがしに出掛けた。 
 「古都で、和食でも食べよう」と、駅構内を探した。簡易な飲食店はあるが、和食の店はない。他を探しに、駅前アーケード街をぶらついた。自分の今夜の気分に合いそうな飲食店はないか。居酒屋が並んでいる中に、「釜飯もあります」と、看板が美味しそうだ。
 二階に上がると、奥の部屋の方から大きな声が聞える。宴会なのかの楽しそう。カウンターに客はいない。メニューを見ると「具だくさん釜飯」。炊きたては好きだし、注文した。「出来るまで生ビールで乾杯。明日の旅を期待して」。酒に合う「お通し」も出た。目の前に地元の一升瓶の銘酒が並ぶ。「ヤタガラス(八咫烏)」という銘柄が目に入った。自宅の近くの八幡西区の祭りでは、八咫烏の法被をきた男達が、御輿を担いで金山川の中に入って気勢を上げる。熊野神社の夏祭りを思い出した。カウンターの向こうで忙しそうに調理している女性がいた。尋ねると、「初代神武天皇が奈良の山中で道に迷い、八咫烏が都へ案内役を務めたのです」と言い、その銘酒を「地元酒蔵が造ったもので美味しいですよ」と勧める。「熱燗で五勺ほど貰えますか」と、あまり飲めない私が訊くと、「熱燗は一合からです。冷なら五勺でもいいのですが」と答える。頼むと、娘がグラスと受け皿を持参。アルバイト生だろうか、明るく楽しそうな雰囲気である。なみなみと受け皿に溢れるまで注いでくれた。「いいね。サービスが」と言うと「どうぞごゆっくり」と笑顔がまたいい。こんな何気ない会話が、旅の一期一会を感じさせてくれる。釜飯も程よく良い塩梅で、気持ちよくホテルに帰り、熟睡した。
 翌日、朝六時に目覚めた。近くの興福寺まで行ってみる気になった。方角をホテルの人に聞いて、駅の南側を歩いた。商店はまだ開いていない。二間ほどの細い道の両側に、古そうな建物が並ぶ。江戸時代の宿場のつくりである。目指す寺の方角が、分からなくなった。老婦人が散歩用のストックを両手で突きながら、前方から歩いてきた。
 「すみません。興福寺はどっちの方向ですか?」「あ、行き過ぎていますよ。後戻りしてください。案内しましょう。ほら、あの先の路地を車が行きました。そこを右に坂を上っていくと、猿沢の池に行きます」という。話を伺うと、毎朝散歩しているという。「この神社はまだ木戸が閉まっているので、次の神社に行きます。近くにお寺は沢山あります」。「願い事は何ですか」と聞くと「孫が健康でありますように」という。「有難うございます。お元気で」と言い別れた。観光客も少ない朝、お年寄りは神社巡りを、一日の糧にしている。
 興福寺は歴史を掻い潜ってきた建物が、境内に残されている。階段をあがると、六角形の建物の南円堂がある。均整の取れた美人のような優美なお堂である。何百万の人が拝み続けたのだろうか、今は気高さすら醸し出している。堂前に大香炉があり、何本も挿された線香から煙がなびく。高齢女性が煙を手で掬って、体の悪い部分にあてる。頭に、腹に、肩にと、煙は、優しく人を包みこむ。
 中金堂も最近復元された。赤い壁に金箔に漆黒の屋根瓦の建造物は、煌びやかに高貴な方の出入りを、過去の歴史を想像させてくれる。対照的に、右の方にある五重塔は、長年の風雪を経過したのか、黒ずんで見える。これから補修工事が十年掛け行われる。名物でもある猿沢の池に映える五重塔は、暫し見納めである。周囲を朝のお日様が現れ、東の山から光を注ぎ、清々しい朝の奈良の古都を照らしている。
 ホテルに戻り、シャワーを浴び、朝食をすませ、出発だ。観光客も暑さに負けずに古都を歩き回っている。私も奈良の大仏様の前で手を合わせた。昔、修学旅行の時に見た大きな銅像のお釈迦様は、御変わりなく、世の中の安泰をご覧になっている。大仏殿を出ると、涼しげな木の茂みに、緩やか坂道が続いている。七月初旬だが、三十度の中を歩くと大汗をかく。夏の旅行は、これが厄介なのである。似たような建物があり、四月堂と表示。右手に三月堂である。その左に石階段が三十段。急階段を登るべきか、あきらめ引き返そうか、暑くて疲れた。二月堂というのが有名らしい。
 上から降りてきた作業服の中年男性に、「二月堂はどの建物ですか」と尋ねた。工事の監督さんのようだ。にこやかに「左手の建物がそうです。傷んだ部分を修理しています。お堂の裏側は木々が茂り、そよ風が涼気をもたらします。山からの水も引かれ、手も洗え、一息つけます」。同じ暑さで仕事中なのに、観光客をいたわるような言葉がうれしく感じられた。奈良の人は心優しい、人当たりのいい人が多い気がする。
 階段を登りきると左右にコンクリートの道がある。右の三月堂の方から黒い僧服に、経本を持った僧侶が左の二月堂の方へ歩いて行く。崖に沿い建てられた本堂は、二階部分の周りが板張りの舞台のようになっている。京都清水寺に似ているが、それより小ぶりな造である。長椅子が二脚置かれており、座って下界を眺めることができる。高台まで上がってきた人への気遣いだろう。眺望は、奈良市内随一ではないかと思う程すばらしい。木陰の冷風が山から降りて、熱気に晒された身体が心地良く冷やされる。背後の堂内で、先ほどの僧侶が、願い事の札を預かり、読経する朗々とした声が聞こえる。数人が、中で座し、頭を垂れている。旧暦の二月に執り行われる「奈良のお水取り」で有名なお寺であることに漸く気づいた。
 スマホを取り出す。趣味の一つの株式状況のチェックの時間だ。最近は株式も百株単位で取引でき、リアルタイムで売買できる。私のやり方は簡単だ。安く買い、一万円以上儲かれば売る。値が下がれば十年でも持っている。そのうち値上がりする。見るとA精機が二万五千円儲かっている。直ちに売った。儲かると気分がいい。また旅ができる。
今回の旅は、面白くない所もあったし、良いところもあった。いづれにしても旅はいい。日常性を脱却し気分転換になる。次は、どこにしようか。滋賀県で行ったことのない石山寺に逢坂の関。数ヵ月後に行ってみようか。予定を立てるとき、わくわくした気分になる。

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