第43話 眼科との出合い エッセイ

文字数 3,244文字

  先生は、広げた私の眼球を顕微鏡でチェックされた。するなり言った「あ!毛細血管が引っ込んでいますね。薬が、ガッツリ効いてきたのですよ」。何という心強くも、嬉しい言葉だったか。嬉しくて涙が出こぼれそうだった。これで普通に本を読める、文をパソコンに打ち込める。「万歳!」。心根が晴れ晴れと囁いた。
私は先日、黄斑変性の治療で手術を受けた。案ずるより産むが易い、ということか、視力はほぼ平常に戻り、いまの生活に支障がない。
冷静な妻は「また再発することもあるそうよ」と警告するが、それでもいい「悪くなれば、また先生にお願いしよう」。私の小さな経験だが、捜せば、神様みたいな素晴らしい出合いは、どこかにあるようだ。
私は十年前から、エッセイを書くことを、習っている。読者に興味や、感動を起こさせる文を、書きたい。あれこれ、とにかく書いている。パソコンで文字を打ち込んでいく。時間が山ほどある。それに読むことも好きだ。小説を手にするともう離れられない。それもあって、眼は酷使される。
元々“度近眼”で、飛蚊症や白内障を指摘されたこともあった。目が悲鳴をあげたのだろうか、異常を感じた。眼鏡を通し景色を見ていると、右目の焦点部分が、丸く灰色になりぼやけている。痛くないが、見にくいのはこのせいか。「眼医者に見てもらったら」と家族は言う。「七十歳過ぎれば、普通じゃないか」と私は、愚図る。
しかし、右目の灰色は、徐々に黒くなってきた。不吉な予感が頭をもたげる。だが「右目が失明しても左目があるから、大丈夫」と強がったり、慰めたりする。「失明したらどうしよう。物や人や景色が見えなくなると、辛いだろうな」と、落ち込む。
右目が不調になって二ヵ月過ぎた。車を運転していると、電信柱が歪み、道路の白線も少し曲がって見える。正常な左目だけで見ると、直線なのである。運転は片目でも出来るが、遠近感がこころもとない。やはり、眼科へ行って診てもらわねばと、十年前に、行ったことのある女医さんをたずねた。「黄斑変性の兆候があります。お年寄りには成りやすいようです。三カ月程、様子をみましょう」との診断だった。
「本や新聞を長時間読んでも構いませんか?」と訊ねると、「特に構いません」と言う。診てもらったせいか、気持ちが落ち着いた。それからはまた、読書や作文を深夜まで続けている。
しかし、日が経つにつれて以前に増して、右目がよく見えない。白内障の手術では目の中の膜を削り、レンズを入れる。世の中が変わる位、鮮明になるという話を聴いたことがある。
「そんなに心配なら、セカンド・オピニオン受けたらどう」と連れ合いは勧める。別の眼科医へ行った。今回、手術してくれたさっか眼科との出合いには、ちょっとしたいきさつがある。
私は気分晴らしや健康のため、よく散歩をする。市内の住宅街を散策するのは楽しい。個人住宅には、住んでいる人の個性が滲み出るようだ。赤、白、紫などの美しい花が咲く五月、塀越しに、赤いツツジのある家があった。門柱の表札を見ると、「属」とある。音読みでは「ゾク」。言葉として金属、属国、所属くらいしか思い浮かばない。訓読みで何と読むだろう。
家の前の道を、箒で履いている高齢の女性に、思い切って声を掛けた。「この表札の読み方は何というのですか」。すぐに「さっか、といいます」と返ってきた。さらに、「珍しい名前だと言われます。近くにはあまり同じ名字の人はいないのですが、八幡西区穴生に、さっか眼科というのがあります」と言い、多分、一族か血の繋がりのある人の意味だと聞きました」と教えてくれた。一緒にいた妻が「私が行った眼科にその名前があったわよ」と言った。え“灯台下暗し、こんな身近にと、ちょっと驚いた。
妻の勧めもあり早速、さっか眼科へ行ってみることにした。道路沿いの三階建てのビルに横看板が掛かっていた。五十台位の車が止めてあり、入院施設もあるようだ。受付は二階。待合室には、三十人以上いただろう、座席は満杯だ。「うわー。何時間待つだろうか」と尻込みし、駐車場に戻った。しかし、「待つのと治療とどちらが大事」と思い直し、また受付に向かった。「診察は午後二時からです」といわれ、いったん自宅に帰った。
午後、待合室にいると、表示板に医者の名前が載っていた。属先生の名前も漢字で載っている。通称ゾク先生と呼ばれているのではと想像した。私は山口大学で教えている緒方先生に診てもらうことになった。毎週水曜日に来られているとのことだ。まず看護師が視力を測り、カメラで眼底検査をした。結果が出ると、薄暗い診察室に呼ばれた。
見るからに賢そうな緒方先生は、私の話をしっかり聞いてくれ、次々とパソコンに打ち込んでいた。瞼を広げる器具と顕微鏡で私の眼球を観察。多分、目の奥まで症状が見えるのだろう。「黄斑変性症です。病的近視で眼球が膨らみ過ぎ、眼底が裂けています。焦点を合わせる膜が裂けているため、垂直の電柱が、歪んで見える。老人によくある症状です。裂け目から更に、何本もの毛細血管が侵入して、見ることを邪魔しているのです」。何と明解な説明だったことか、うなずきながら聞いていて心地よくさえ感じられた。医術はこうでなければと内心思った。
説明はさらに続いた。インベーダーのように眼球に浸入し、網膜全体を覆うこともあるという。私が「先生、失明することはありませんか」とたずねると、「放っておけば、その可能性もあります。適正に処置すれば、元の状態に戻ることも可能です」。
「良い対処方法はないのですか」私は拝むように先生に言った。「この状態だったら、最近使われるようになった新薬があります。ただ値段が少し高いのですが、どうでしょう?」と私の顔を見る。値段にこの右目は代えられない、「いくら位するのですか?」「十五万円程します。以前は胃がんの対処療法として使用された薬でした。五年ほど前から試験的に使われています」と言われた。
「効果の方は、どうなのでしょう」。「かなり効果があり、病気の進行を止めることは出来ます」ときっぱり言う。私は自信あふれる先生の言葉に決断し、即座に「お願いします」と申し出た。
先生におすがりし、何とか治して貰いたい、心底そう思った。「では薬が一週間内に届きますので、来週の水曜日に来て下さい」と言われ、診察室を出た。文字通り、一筋の光明が差すような気がした。看護師から「手術前三日間、目薬を一日三回、差してください」と薬を渡された。
一週間が過ぎ、医院へ行った。麻酔の目薬を差してもらい三十分後、治療室のベッドに横になった。「血圧が、上が百八十で下が百、えらく高いですね。深呼吸してもう一度測りましょう」。手術は痛くはないかと思うだけで、血庄が上がったのだろう。だが深呼吸しても変わらない。許容範囲なのか、「このまま、やりましょう。何かあれば、対応します」といい、私は頭部を固定された。
手術ライトの下、先生は顕微鏡のような物で私の目をのぞく。薬物を入れた注射針で目の球を突き刺し、眼球の奥底の裂けた部位に薬を打ち、毛細血管を、やっつけるらしい。想像しただけで眩暈がしそうだ。「目玉は動かしてはいけません」と言われた。そんなこと、とても自信ない。眼はつぶれないのだし。「えー。俎板の鯉だ」と自分に言い聞かせた。
麻酔が効いているので、何の痛みも感じない。注射器はブスっと眼球を突き刺し、裂けた部位へ到達、毛細血管に見事突き刺さった、と私は想像した。「はい!終わりました」。この間三分程だった。あっという間の時を、怯えていたのは何だったのだ。笑ってしまった。待合室で待っていた妻もにっこりしていた。
そして一ヵ月後、劇的な結果が告げられた。文字通り、晴れ晴れというのはこういうことなのだろうか。以前は読めなかった「属」という漢字が、今では鮮明に見える。ありがたい、かいがん、かいげん(開眼)の道のりであった。
           令和5年2月25日
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