第11話 杜子春 芥川

文字数 840文字

唐の洛陽の人通りの杜子春が立っていた。元は金持ちの息子だったが、財産を使い果たし
貧乏になり食事も泊る所もなく、川に身投げしようと思った。通りがかりの老人が「何を考えている」と彼に聞いた。彼は話しをした。老人は「可哀相に」といい、「夕日に映るお前の影の頭の所を掘れば、黄金が埋まっている」と言い消えた。彼は黄金を掘り当て、大金持ちに成り、贅沢の限りを尽くした。3年後、全財産は0になった。友は去り、誰も水一杯も恵んでくれない。
貧乏人になり、道端に立っていた。すると老人がやって来て、「お前の影の胸の所を掘れ」と言い消えた。彼は忽ち大金持ち、し放題の贅を始め、3年後、金がなくなった。すると老人がやってきて「お前の影の腹の所を掘れ」というと「もう入らない、薄情な人間に愛想が尽きた」彼は仙人である「老人の弟子になりたい」という。峨眉山の岩の上が道場だ。魔性が現れるが、一声でもだすと仙人にはなれない。地獄で閻魔大王の前で虐待されるが無言を通した。最後に地獄で苦しむ両親を前に連れてこられた。鞭打ち、叩かれ肉は千切れ骨も砕ける。母は「お前の意思を貫きなさい」と言う。それを聞いた杜子春は、母を抱き起こし、「お母さん」と言った。彼は洛陽の通りに立っていた。仙人は「声をだしたので弟子になれない」という。彼は母への思いを語り、「弟子になれなくても、可哀相な母へ声を掛けたかっ」たという。「普通に田舎で畑を耕し、両親の供養をしたい」と言った。老人は「儂の住んでいた桃の咲く畑を上げよう」と言った。
※有名な芥川の作品である。声をだして読んでも快く身内に響く。中国の古代の話をもとにして、書いた作品という。人はたまに幸運を手にすることがある。博打や宝くじに当たり、大金を掴む、あっという間に、使ってしまう、再び勝負する、そして悲運な人生を過ごすことがある。親に孝行し、地道に人生を一筋生きて行くのがいいことだということだろうか。「人生は一筋が良し寒椿」梅林寺の前老師n掛け軸を毎日見ている。
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