第73話 見たくなる自然 角田光代

文字数 691文字

 人は年齢を重ねると自然を好きになる。しみじみとそう思う。川だとか湖だとか、生茂る木々だとか、山だとか、そういうものが見たくなるし、実際に見ると、飢えや渇きがじわじわと満たされるような気持になる。
 自然の光景というのは、どこか落ち着かなかった。高い山の上から見る、遠くの稜線とか、森のなか、空に向かって枝を伸ばす木々と、その木々を映す湖とか、地平線まで続く砂漠とか、その光景がうつくしいということはわかる。でも同時に、何かこわいと感じている。そのこわさから逃れたいために、その場を早く去りたくなってくる。
 いったいいつごろから自然の光景を好むようになったのか。自分でもきづかないくらい、あまりにも静かにひそやかに、好みは変わっていた。ごちゃごちゃした町の光景は今も好きだが、でも落ち着かない気持ちになる。人混みは平気だったが、はっきりと苦手になった。そして山々が見たい、紅葉が見たい、新緑が見たい、雪をかぶった山を見たい。あまりのことに、自分でもびっくりする。
 木の葉の散った細い土の道、その道の先に、レース模様みたいにこぼれ落ちる陽射し、道を這う複雑な木の根っこ、まっすぐのびる木々の幹、重なり合う葉っぱ、葉のあいだから見える青空、高い場所から見下ろす遠くの町、湖。自分でも驚くくらい、何を見ても胸にしみる。ああ、きれいだなあ、うつくしいなあと思う。今までただひとかたまりの「山道」だったのに、なぜこんなにすべて解体されてひとつひとつ光を放って目に映るのだろう。
視点がぶれないと、ある批評家が言っていた。芥川の最後の作品と比較し「箱舟を燃やす」を絶賛していた。読んでみたいと思う。
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