第56話 二番鳥居の夢を見る エッセイ

文字数 3,713文字

 夏の暑い日だった。神社の一番鳥居の横木部分が腐り始めていた。酷暑のなか、木陰とはいいながら、その修理作業に汗を垂らし、私は夢中になっていた。
「なんでそんなに一生懸命やるの、頼まれわけでもないでしょう」と連れは言う。
脚立に上がったり、降りたりして、腐食部を削り、削った所を型取りし、木材に鋸やノミで工作する。その木片をボンドで充填していくのである。地面に座り込み、結構な手間と時間が掛かる。二時間やれば腰が痛くなる。家に帰って
「なんでこんなに疲れるのやろう」と連れに訊く「当然のことよ」と冷たい。
工作が好きな人であれば、ものを作る楽しさは分かってもらえるだろう。しかしなんでまた物好きにと思うだろうが、その理由は以前に話をしたように
「神社の神様が修理をしてくれと、夢に出てきた」からである。
高齢者にとり、体力的に消耗し、きつい仕事であった。毎週、土日に二時間ほどの事だが、面白くなると毎日のように通い、一カ月半近くかかった。
「無理をして脚立から落ち、怪我をしたら大変よ」と連れは心配してくれる。一応、木を張り付け、カンナを掛け、朱色のペンキを塗って仕上げた。
「素晴らしい」誰も褒めないので自分で賞賛する。が作業は予想外にきつかった
「次にどこかが腐っていようとも、こちらも高齢者だ。もう拘わらないぞ」と固く心に誓った。月初めに、祠に榊を収めるくらいで、稲荷には立ち寄らなかった。
私の住んでいるまちに太賀神社という鎮守の杜がある。奥の稲荷神社の前には直径二十センチ位の丸太作られた鳥居が二基、雨や太陽に永年晒され、地面に突き刺された部分は腐り、鳥居はいまにも倒れそうだ。
日本古来の「地の神様」の伝統が廃れてきている。神社庁という組織はあるが、戦後の政教分離により財政援助が削られ当然、経済的に苦境に追い込まれ小さな神社は消滅する。
わが町は、神主のいない所が多い。氏子がやる気ある所は、伝統を懸命に守り続けている。太賀神社は代理神主が、年始の祭事をとりおこない、大理石の鳥居に注連縄を張る。見かけるのはこの時くらいである。大正時代「岡部様建立」と石鳥居に刻まれている。石の文化は、壊さない限り残るものである。
正一位稲荷大明神の祠の前の赤い木製鳥居は、腐っては建替えの繰り返しだったようだ。昔の人は良質の材木を選び、三十年は持たせたようだ。いまあるのは十年くらいしか持たない。特に南方の木材は育ちが早く密度が薄いからだ。
十年前、私は中間市太賀の地に家を建てた。そんなとき、散歩の途中に太賀神社に寄って見ると、六本の立杭だけが残っていた。上部の笠木や柱が崩れ落ち倒木のまま放置。額束も半分腐りフェンスに立てかけてある。
氏子でもないのに私は心が痛んだ。氏神様がうち捨てられたようで哀れに思った。出来るなら再建をと区長に頼んだところ、氏子総代のO氏がお金を出し、三基の建立となった。
五年が過ぎた頃、鳥居の柱の一部が腐り始めた。土台はまだ揺るがない。このまま腐り続けるのだろうか。誰も面倒をみようとはしない。言い出したのは私は責任を感じた。私は年金はあり、自由な時間を持っている。辛酸をなめなめ働いた御陰か,今は働かなくても姥捨て山に行くことはない。「よし、自分でやろう」。
私は腐った部位を削り、型取りし、木材を鋸やノミで加工する。加工木片をボンドで充填していく。地面に座り込み、結構な手間と時間を掛けた。二時間もやれると腰が痛くなる。家に帰って「なんでこんなに疲れるのだろうか」と妻に嘆くと、「当然でしよう」と冷たい。大工に頼めば済むが金は誰が出す。工作はすきな方だ。面白く一生懸命になる。小遣いをはたいてもやり甲斐はある。
冷静、客観的にみれば、自分でやるのが正しいかどうかは分からない。もちろん、同情とか感謝してもらいたいわけではない。誰かやってくれればそれでもいいことなのだ。「好きでやるのに、疲れたとか言わないで」と妻は思っているのだろう。
広島の厳島神社の大鳥居は、何百年ももっている。部分的には随時、腐った所は補修し、維持しているときいた。観光スポットでもあり、財政的にゆとりがあるのだ。
氏神様は人の心が作りだしたもので、祈りの対象である。苦難に会ったときに、救済を祈る。日本人の昔からの、麗しき伝統である。いつまでも残して貰いたい。
現役世代は、日々一生懸命働いている。時は否応なしに流れる。神社の掃除まで手が回らない。役所はといえば、道路のゴミ掃除の袋は無料で提供するが、神社の掃除のゴミ袋は支給しない。神社は滅亡しても構わないという考えなのか。
神社は、地域を守っている氏神様なのだ。役所が守れない心のケアーを担っていると思う。賽銭箱は、十円や百円が投げ入れられるが、とてもそれは間に合わない。
伝統を守りたい心。人の役に立ちたい。世間に係わりたい気持ちはだれにもあるだろう。
奇特な有志の方が、何代かにわたって、箒で掃いている姿を見る。最近は、中年の男性が毎日、頭にタオルを巻きマスクをし、掃除する姿を拝見する。
秋から冬へと季節が移り、神社にも寒い風が吹き晒すようになった。坂の中程にある境内は、北の方角に、住宅街とイオンや遊技センターが見える。南には市街地、その遥か先に、皿倉山のアンテナが小さく見える。良い眺めだけでなく癒やされる聖なる場所なのである。
私はよく夢を見る。誰かが、声を掛けて来る。多分、太賀神社の使いだろう
「最近は参ってくれんのじゃなー。あんたの顔を見たいのじゃがのー」と呟く、
「男前でもないし。婆ーちゃん方が通るたびに、手を合わせて拝んでおられて、幸せじゃろうに」と言ってやった。
「それは、大層有り難いことで、幸せなことなんじゃ。じゃが、二番鳥居の脚のあたりが、なにか具合が悪いみたいなのじゃ」と心配しながら、
「正月も近くなってきたし、誰か診てくれんかなと思っちょる」と情けなさそうに、祠の中で陶器のお狐さんが言う。
夢はいつも、日常の出来事で、気懸かりなことを、映し出す。夢に見たことを覚えていて、気になってしまう。
「彼らの悩みを、優先的に解決しなくては」。心が急きつてる。
土曜の朝、散歩のついでに、神社に参った。前庭には、草もなく綺麗に掃除されている。奥の稲荷に行くと、三基ある鳥居が嬉しそう迎えてくれた。
「おとーさんいらっしゃい。お待ちしてました」と大合唱しているかのようだ。鳥居に好かれたって一銭にもならない。だが悪い気はしない。一番鳥居の柱を軽く叩いてみると、なかなか元気な音がする。夏の間にボンドと木材で接ぎ剥ぎし、最後に赤いペンキと足元には黒ペンを塗り、すっきりした和装美人のような趣にしてやったのだ。赤の木製鳥居は、神社に際立った華やかさを演出する。二番鳥居が泣き叫ぶかのようだ「おとーさん、右足が痛むんだよ」と。
「よーし、どれどれ」と根元を触ってみて、驚いた。完全に腐りきって、手で掴んだら、ぼろぼろと崩れる。既にペンキが剥げ、木部が白くむき出している。十センチほど木の塊がとれた。枝を拾って、柱の下部を突くと、取れるは取れるは、ぼろぼろと、地面から三十センチの長さで木の周りが、もぎ取れ、芯だけだ。上の部分は、まだ大丈夫なのである。地面の湿気で腐るのだろうか。
「外側は腐れているが、芯があるから再生できる」と私は弐番鳥居を安心させた。
「酷いことになっているでしょう。旦那、御願いだから、何とかしてやって」と、白い狐も色目をつかって訴えるかのようだ。
「しょうがないな。少し寒くなったけれど、脚立もいらない低い所だし、ささーと、処置してやろうじゃないか」と啖呵をきってしまった。
「夏に、今後一切、修理はしないと言っていたのは、誰だっけ」と妻は皮肉る。
期待に応えるべく早速、日曜に小道具をもって、神社に行った。二番鳥居の地面を、小さなスコップで、慎重に掘ってみた。地面に直接打ち込んである柱は、雨水で、徐々に腐り果てていくのは、当然の結果だ。ある神社では、面倒だと太い塩ビ管で代用している。それは情緒の無い感じがする。鳥居は、朱色の木でなければ恰好が付かない。
三十センチ掘っても、まだ届かない。腹ばいになりスコップを土に突き刺し、手で土を移動させる。土の小さな山ができた。硬い石の手ごたえがある。釘抜きバールで突付き回すと、コンクリの塊が続々と出て来る。以前は、脚回りはコンクリで固めてあったのだ。それをそのまま地下に埋め戻し始末したのか。
「手抜き工事だ。全くしょうがない。木はすぐ腐る外材だろうしか。ボチボチ修理していこう」。私は愚痴りながら作業を続けた。
神社を出る時、竹箒で道路を掃いていた中高年のマスクの男性が「ご苦労様です」と、直角に腰を曲げ挨拶する。時々見かける彼は、境内に向かって四五度に腰を曲げ、長いこと、何かをお願いしている。神社の二軒先の家の人のようだ。以前は、母親は掃除をしていた。引き継いだ息子さんが、やっているのだろう。
通る人が、神社に向かって、鎮守の杜に深々と頭を垂れる姿を何度も見る。氏神様は黙って地域の人々を見守っていてくださる。そう思うと曇った心が晴れ晴れとしてくる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み