第28話  「属」という苗字 エッセイ

文字数 4,796文字

 「属」という苗字
 市内の住宅街を散歩するのは楽しい。一戸建ての住宅には、家族が住んでいる。住む人の個性で管理され、夫々の雰囲気が滲みでている。景色や家を眺めながら、そぞろ歩くのは、心臓が気になる場合の健康対策にも良い。
 赤・白・紫の美しい花が咲く五月、塀越しに、赤いツツジのある家があった。門柱の表札を見ると、「属」と書いてある。音読みでは「ゾク」と読む。金属・属国・所属くらいしか思い浮かばない。訓読みで何と読むだろう。意味からは「属する」が当てはまるのだろうか家の前の道を、箒で履いている高齢の女性がいた。思い切って声をかけた。「すみません。ちょっとお伺いしたのですが」というと、女性は一瞬、私の風体を見て、「はあー」と言った。「あのー、この表札の読み方はなんというのですか」と訊ねた。「さつか・といいます」と答えてくれた。「珍しい名前だといわれます。近くにはあまり同じ苗字の人はいないですが、八幡西区穴生に、さつか眼科というのがあります」と言い、「文字の意味は、多分、一族・血の繋がる人とかいう内容だと聞きました」と教えてくれた。
 辞書を引くと、「尸」は、「しかばねかんむり」といい、象形文字では「人が死んで手を伸ばし、横たわっている」と説明。属は、音読みで「ゾク」・訓読みで「つく」といい、「意味は続いて生まれた者、後につづく、つらなる意を表す」とある。連れ合いは「私が行った眼医者に、その名前の所があった」と思い出したように話した。
 最近、エッセイを書くことを、習っている。師匠は「身近なことを題材にし、先ず思いついたら、一気に書いてしまう。文章力をつけていくこと」と云われる。凡人の私は、読者に興味や、感動を起こさせる文が、作りたいけれど書けない。閑人の私には時間が山ほどある。小説を読み始め、パソコンで文字を打ち込んでいく。眼は、酷使されていく。元々が、度近眼で飛蚊症で白内障の目が悲鳴をあげたのか、異常を感じた。右目の焦点の所に丸い輪ができ、そこが灰色になっている。痛くないが、見にくくなった。連れ合いは、「眼医者に行って見てもらったら」とアドバイスする。だが「これくらいは歳をとれば、普通じゃないの」と愚図る。
 十年前、人間ドックで「右目がオウハンヘンセイの疑いあり。専門医で調べてもらい、報告すること」と指示された。近所の眼科医に行き女医さんに診断してもらった。「現在の所、それほど問題はありません」と診断され、私自身も異常は覚えなかった。
 最近、右目の焦点の灰色い丸が気になりだした。「目の運動をし、自力で治らないか」と、便利なネットで探した。「ホーレンソウが目に栄養を与える」とある。早速、裏庭に種を植えてみた。二週間たっても芽がでない。友人に訊くと、「発芽温度と時期が悪いと芽が出ない。数日水に浸した後、植えるとよい」とアドバイス。2週間経つが、いまだ音沙汰なし。右目はさらに灰色が黒に変わってきた。不吉な予感が頭をもたげる。「右目が失明しても左目があるから、大丈夫」と内心が慰める。想像は悪い方向へ進みたがる「失明したらどうしよう。物や人や景色が見えなくなると、どんなに辛いだろう」次々と心が攻めて来る。こんな心中を連合いに話すと馬鹿にされる。心の中の一人が「心配するなよ。それ程悪くならないよ」と慰められ、ほろっとする。
二か月過ぎ、電信柱が途中で歪んで、道路の白線も、少し歪んでいる。左で見ると真っ直ぐである。運転は片目でも出来るが、遠近感が失われる。「いよいよ眼医者へ行って診てもらうことを決断した。昔行った眼科の女医さんに診断してもらった。「黄斑偏性の兆候があります。お年寄りには成りやすいようです。三カ月程、様子をみましょう」と言う。「本や新聞を長時間読んでもかまいませんか」と聞くと「特に構いません」と断言。専門医に言われ、ホットして、、気持ちが落ち着いた。「そんなに心配することはないのだ。臆病もん」心中の別人が笑った。
 深夜に読書・作文を続けていると、いよいよ、右目が悪くなる気がした。「気の持ちようだよ。飛蚊症や白内障もありそのせいさ」と心中は呟く。白内障は目の中の膜を削り、レンズを入れる。世の中の見方が変わる位鮮明になる話を聴く。「目の膜を削るなど、恐ろしいことだ」と穏便クソの内心が囁く。妻の出身の、岡山弁では「臆病者」をそう言うらしい。「そんなに心配なら、セカンドオピニオン受けたらどう」と連れ合いがアドバイスする。
 別の眼科医へ行くことにした。九州病院の眼科は、紹介状がなければ受診できないので、近くの眼科医を捜した。眼鏡屋と薬局と眼科医を経営する所へ行った。先生は不在で代理医者が診断すると札が掛かっていた。「本職でない代理では充分ではないだろう」とやめにした。四か所、見て回ったが、小さな個人医では、同じ結果になりそうで安心できなかった。翌日、「すこし遠いけれど、さつか眼科に行ってみたら」と連れ合いが言う。道路沿いに三階建てのビルに「さつか眼科」と大看板が掛かっていた。駐車場は五十台位の車が止まり、入院施設もあるという。二階の受付に上がった。待合い室には三十人以上で座席は満杯だ。「うわー。何時間待つだろうか」と尻込みし、駐車に戻った。車に向かう保護メガネをかけた老人に尋ねた「この眼科医はどうですか」というと「私は白内症の手術受けるのですが、一人者なので車が運転できなくなる三日間は、入院します」という。それを聞き「有難うございました。私も受診することにします」といい二階の受付へ戻った。「午前の受付は終わりです。午後二時から受付けます」という。自宅に戻り出直すことにした。
 さつか眼科とひらがな表示である。以前、表札の文字が「属」という家のご婦人が言っていたことを思い出した。「属は、さつか と読みます」と言っていた。親戚ではないようだが、同じ名前の病院があるとうのを憶えていた。院長が属先生で八十才位、三人眼科医が毎日常勤しているらしい。属といっても、誰も読めないだろうから、ひらがなの名称にされたのだろう。午後、待合室で待っていると、表示板に医者の名前が載っていた。属先生の名前も漢字で載っていた。通称ゾク先生と呼ばれているのではと想像した。
 私は山口大学の医師で毎週水曜日に来所担当している緒方先生に診てもらうことになった。看護師が視力を測ったり、カメラで眼底検査したりした。結果が解り薄暗い診察室に入り、症状を医師に話した。中年の男性で賢そうな白衣の医師は、私の話をしっかり聞いてくれ、パソコンに打ち込んでいた。瞼を広げる器具と顕微鏡で私の眼玉を観察した。多分、目の奥まで症状が見えるのだろう。医師はいう「黄斑偏性です。病的近視で眼球が膨らみ眼底が裂けています。焦点を合わせる膜が裂けているので、真っ直ぐ見える電柱が、歪んで見えるのです。老人によくある症状です。その裂け目から、何本もの毛細血管が侵入してき、それらが見ることを邪魔しているのです」と的確に説明してくれる。
 インベーダーのように眼球を浸食し、網膜全体を覆えば失明にいたることもあるらしい。「先生、失明することはありませんか」と穏便くそが問うと「放っておけば、その可能性もあります。適正に処置すれば、元の状態に戻ることもあります」やっぱり、病気なのだと心中が呟く。
「良い対処方法はないのですか」私は拝むように秀才先生を見た。「この状態だったら、最近使われるようになった新薬があります。ただ値段が少し高いのですが、どうでしょう」と聞く、値段にこの右目は代えられない、例え何百万もするとなると、尻込みするけれど、「いくら位するのですか先生」「十五万円程するのですよ。以前は胃がんの対処療法として使用された薬でした。五年ほど前から試験的に使われています」と宣う。「効果の方は、どうなのでしょう」
高齢者だから保険料は二割ですむから三万円だ。何とかなるが「かなり効果が上がり病気の進行を止めることはできます」私は自信あふれる男前先生をみて決断し、「お願いします」と言った。三カ月後には、自動車免許の更新がある。右目が見えないと、合格は難しくなるだろう。免許なしは不便だ。
 何とか先生にすがり治してもらいたいと、心底思った。「では薬が一週間内に届きますので」と仰る、「では来週の水曜日にお伺いします」とお願いした。「準備等は看護師に訊いてください」と言われ、診察室を出た。「一筋の光明が差すような思いだった」。看護師から「手術前三日間、目薬を1日三回、差してください」と薬を渡された。
 一週間が過ぎ、医院へ行った。麻酔の目薬を差してもらい三十分後、治療室の椅子に横たわった。「血圧が、上が百八十で下が百、えらく高いですね。深呼吸してもう一度測りましょう」肝っ玉が小さいのか、病院にくると、血圧が上がる。家では平常だと思っているのに、痛い手術をされるのかと考えるだけで、血流がドクドクと速く流れるのだろう。落ち着き深呼吸吸しても急には下がらない。「このまま、やりましょう。何かあれば、対応します」頭を固定される。手術ライトの下で、先生が椅子の横に座り、顕微鏡のような物で私の目を観察されていた。薬物を入れた注射器で目の球を突き刺し、眼球の奥底の裂けた部位に薬を打ち、毛細血管のようなやつを、やっつけるらしい。想像しただけで眩暈がしそううだ。「目玉は動かしてはいけません」と言うが、自信ないな。眼は閉じれないんだし。「えー。俎板の鯉だ」と自分に言い聞かせた。
 麻酔が効いているので、何の痛みも感じない。注射器はブスっと眼球を突き刺し、裂けた部位へ到達、毛細血管に見事突き刺さったと私は想像した。「はい!終わりました」一分程度で終わった気がした。アッという間だ。この瞬間を怯えすくんでいたのが、何だったのだろうか。内心が笑った。待合室で待っていた連れ合いもにっこりしていた。「何時間か目は見えないので、眼帯を張り付けておきます」と看護師は処置する。右は何も見えない。今晩は風呂へ入れない。連れ合いに車で送迎してもらい家に帰る。「丹下左膳だあ」と、治療を終え、上機嫌。「あの鬱陶しい丸い黒膜は消えるのか」。
 翌朝、眼帯を外した、目を開けると焦点には黒い幕がある。眼の中に水玉のような物が四個浮遊する。下を向くと、目の真ん中に四個の水玉が集まる。「これ何だ。気になる奴だ。治るのかな本当に」とオンビンに心中が囁く。「時間の経過が一番よ」と肝っ玉妻君は言う。「そうだね待てば海路の日和かな、だよね」と私。日が経つにつれ、水玉が小さくなっていくのか、敵と戦い散っていくのか、進軍して悪玉をやっつけているのか、私には分からないが、善玉菌を応援する。終に水玉が消え数日すぎた。あまり変化はなかった。一ヵ月するうちに、黒丸焦点が薄い灰色に変化してきた。「薬が効いてきて毛細血管が裂けた眼球から外へ撤退して行きつつあるのだ」と内心が大声で呟いた。
 一ヵ月後、先生の診察室に入った。顕微鏡で広げた私の眼球をチェックしていた。「あ!毛細血管が引っ込んでいますね。薬が、ガッツリ効いてきたのですよ」ガッツリとか医者がいうのだろうかと思った。嬉しくて涙がでそうだったが堪えた。何と!数か月前と同じ状態に戻った。本は読め、文をパソコンに打ち込め、車はスムーズに運転できる。「万歳!元の状態に戻るとは思わなかった」内心は晴れ晴れとした声で囁いた。
 医者に感謝感激である。医学の進歩の凄さに驚嘆である。またエッセイを書き続けることが出来る。連れ合いは「また再発することもあるとスマホには書いてあった」という。それでもいい「悪くなれば、あの先生にお願いしよう」世の中、神様みたいな人がいるのだと、思った。
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