第50話 祝いの膳 エッセイ 

文字数 1,445文字

 私は結婚して五十年が過ぎた。長女は四十九歳のバツイチ、長男は四十六歳で独身。それぞれ東京と埼玉で自活している。最近の若者は、結婚の美化に幻滅したり、束縛されたりすることを嫌い、離婚も多い。結婚せず独りで好きな生活をする男女も増えている。自活し、思いのまま時を過ごすのもいいだろう。しかし、結婚にも多くの幸せがある。それは自らの選択であり、権利と責任を伴う。
 私たち夫婦は定年後、東京から故郷の福岡へ戻った。そこに終の棲家を建て、静かな老後を生きている。定年も二十年が過ぎた頃、メールが入った。「金婚式おめでとう。東京で、家族四人で食事を」という子供からの誘いだった。遠く離れ、孫もいない、しかもコロナ下とあって交流も少ない。孫はほしいが、世話をまかされたら高齢でもあり大変、いない方が身心とも楽ではないかと最近は思う。
 宿と夕食は子供が決め、こちらの負担は飛行機代だけ。羽田空港へ飛んだ。久々の大都会は、煌びやかで、おのぼりさんは眩暈がしそう。有楽町駅から歩いて「帝国ホテル」へ向かった。
 金持ちでもないし、駅前ホテルに泊まり、どこか旨い割烹で構わないのに。扶養もいない彼らだからできることか。豪勢な祝いの膳に、親を喜ばそうとする気持ちが伝わってくる。「レストランではドレス・コードが求められる」私はズボン、シャツ、ブレザーを新調。妻は濃紺の服に長い真珠を飾った。娘は買ったばかりのワンピースに上着にハイヒール、息子は紺のスーツにネクタイ。
 泊りは十二階のデラックス・ツインルームだった。夢の中にいるような世界だ。室内はゆったりし、備付けの家具類は全て高価そうな木製品、壁も敷物も落ち着いた色合いで統一されている。ここは明治の頃、渋沢栄一が海外からの賓客を迎えるために、粋を凝らして建てたものだという。
 宴の膳は午後六時に始まった。時代を越えておもてなしの心で臨み、客に満足いただくのが基本。メーン、ダイニング「レ・セゾン」でのフランス料理のフルコースだ。世界の賓客のもてなしにも使われてきた。
 案内の男性は「金婚式ですね。おめでとうございます」と丁寧に頭を下げる。記念写真を撮り、メセージに「祝 金婚式 帝国ホテルでお過ごし頂いたひとときが、想い出の一ページをいつまでも彩りますように今日この日、あなただけの記念日です」とある。明るい額装と縦縞の茶色い壁を背景に四人の写真。
 その後、王様の席のような所へ案内された。ソムリエの勧めるシャンパンでまず乾杯。ワゴンの上ではウエイターが、「今日は最高の出来のパンです」と言いながらパンを切る。食べると外カリッ、中肉厚でしっとり。「うまい」。パンとアイスクリームを食べてみれば、そのレストランのレベルが分かる、ということを思い出した。
 味はもちろん、料理ごとにウエイターが説明。皿、容器も銀のフォークもいい。訓練された給仕のサービスも洗練されており心地いい。「日本一」といって過言ではない。メニューは、グリーンアスパラスープ、卵白の上にキャビア、舌平目のパイ包み焼き、西京味噌味のカモ肉のロティなど。カメラにおさめるのを忘れて、食べに進む。見事というしかない。
 芳醇なワインの白に赤。酔って夢見心地に浸り私と妻の結婚五十周年記念のディナーは忘れられない。美しかったという記憶はあるが、家族一同で祝いの膳についたという記憶の方が、今は強い。家族の絆ということだろうか。でも、帝国ホテルの食事はうまい、いい。
         令和五年五月三十一日
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