第2話 宿場の町屋をつなぐ エッセイ

文字数 4,069文字

 江戸時代の参勤交代の街道に宿場町がある。かつては藩主一行が江戸への往復に宿泊する場所で、多くの店が道の両側に建ち並んでいた。生活に必要なすべての物が商いされ商工業者が住んでいた。商売と住居の町屋に日本人の伝統と家に対する愛着を感じる。その宿場町も今や滅びつつある。車で日帰り出来る、近辺の宿場を見学し脳裏に留めたいと思った。小倉宿を起点とした唐津街道を順次見学して行く。今回は福岡市西区にある今宿を目指す。家の近くの神社で、桜の蕾が薄桃色に見え始めた日、妻と一緒に中間市の自宅を出発した。都市高速を車で走り、JR今宿駅に到着した。駅舎は白壁で下半分はなまこ壁、江戸の雰囲気を残したい気持ちが感じられる。駅員は「筑前と肥前を結ぶ線路で、この鉄道は筑肥線といいます」と説明し、「唐津街道の今宿は、この道を直進し、細い道に突き当たり、その左右が唐津街道です」という。無人化駅が多くなったが、地元情報を聞くには、駅員は有益である、親切に地図を広げ説明してくれた。江戸時代の参勤交代の街道に宿場町がある。かつては藩主一行が江戸への往復に宿泊する場所で、多くの店が道の両側に建ち並んでいた。生活に必要なすべての物が商いされ商工業者が住んでいた。商売と住居の町屋に日本人の伝統と家に対する愛着を感じる。その宿場町も今や滅びつつある。
左右を眺めると宿場特有の二間半程の、車社会では細い道が伸びている。両側には、戦後建て替えた家が並び、江戸の面影の店は柴田酒屋が一軒あるだけ。間口は三間位で奥へ十間以上長く、二階付きが、宿場の一般的な町屋である。中に二、三軒、古そうな二階建て木造家屋がある。リュック姿の若い男性が、スマホで古民家を撮影していた。これはきっと同じ趣味の人に違いない、同じ匂いを嗅ぎ取った。嬉しい気持ちを抑え、声を掛けた。「すみません。ここが唐津街道でしょうか」と声をかけた。男性は「そうです。私も古い民家が好きで、見学しています」と言う。初めて会った、この男性に興味が湧いてきた。「どんな仕事をされているのですか」と尋ねると、「九州大学に勤めています」という。この近辺では最高学府であり、受験も出来なかった憧れの大学である。「大学の先生ですか」と繰り返すと、「まあ、助教ですから、大したものではありません」と謙遜する。取りだした名刺の肩書が輝いて見える。「九州大学建築学部 助教 工学博士 南部恭宏」顔を見比べた。気さくで、高ぶったところがない好青年である。日本古来の建造物を研究されているらしい。「この家は敷石を並べ、珍しい切石基礎にしています。その上に柱を載せた建て方で、百年以上前の建造です。現在の建築基準法では認められていません」さすが専門的に歴史的建造物を観察されている。私達の会話が長くなりそうなのを妻は感じ、宿場うちの別方向へ離れていった。いつものことで、最後はスマホで連絡し合うという暗黙の了解があった。目の前にある歴史的建造物、〔内部の造作や住まれている人は、どんな方なのだろう〕と心惹かれるる思いがした。ここは、多くの宿場見学したことのある私の出番だ、とばかりに「このお宅を、訪ねてみましょう」と玄関の呼び鈴を押した。先生は[こやつ、面識もない家に、突然訪ねてみようというのか]と、意外な顔をされた。「どちら様ですか」とご婦人の声。「宿場の建物を見るのが好きで、お話を聞かせてもらえますか」と言うと、少し引き戸を開け、上品な女性が、やや怪訝な顔をした。私の顔を見て、誰かが評していた「人畜無害な感じで、警戒感が薄らぐ面構えだ」と。少し安心された様子で、戸を開けてくださった。建物の内側は、昔ながらの、固く締まった土間が、ひんやりとした空気を感じさせる。日頃から手入れされ、代々続く家屋に愛着を持って住まれているのだろう。「黒く大きな立派な梁と柱。昔ながらの建物ですね」と先生を振り返り話すと、奥様は「お上がりください」と初対面の我々に声を掛けてくださる。内は私物があり、他人に見られると嫌ではないだろうかと気遣うが、「どうぞ」という言われ、遠慮なく上がらせてもらった。後での事だが、見学を終え帰る時、奥様は、我々の履物の向きを変えて下さった。お客の靴を揃える昔の流儀に「あっ」と思った。礼儀作法も看過される最近、ご婦人の自然な振る舞いに感動し、私の行儀の悪さを反省した。上がり框の向こうは十畳ほどの和室で、白いカバーをかけたソファーが置かれ、通りに面したガラス窓が、部屋を明るくする。ここが外から見た格子窓の部屋なのである。ソファーに座り、奥の部屋を通して、内庭の眺を眺めたい気分になる。二番目の十畳間との境には、湾曲した太い梁が、黒々と横たわる。自然のなかで、何十年、何百年も育まれた堂々たる大木の重厚さが、大好きである。更に欄間には、工芸品の大川組子だろうか、職人の手の込んだ模様が、嵌め込んである。「うーん、これも古くて見事な芸術品だ]父親が生まれる前からの建物だという。百年以上の年輪を持つ重厚な巨木の柱や梁の魅力が、住む人々に、守られている安心感を与えるのだろう。部屋に仏壇、鴨居には故人の写真、祖父と父と祖母が並ぶ。父上はキリッとした顔立ちで、祖父は魯迅のような風貌をされ、いずれも品格のある家柄に見受けられる。戦前であれば、何処の家庭にもあった仏間である。突然、私のスマホが鳴った。妻からで、「古民家を見せて頂いている」と答え、玄関から外へ、顔を出した。奥さんの了解を得て、彼女も合流した。三番目の部屋は、床の間だが、愛想の良い
妻が掛け軸に目を止め「何と丁寧な美しい筆跡でしょう」と目を輝かせて言う。「これは筆の上手な、父の写経で、どれだけの月日を費やしたのか想像出来ません」何百、いや千を超える字が整然と並ぶ、一文字・一文字が正しく美しく流れるようで、その場の二人の女性は互いに褒めそやすことしきり。字の下手な私には、評価するのは、失礼になるだろう。写経・正助・朱印が眩しい。どの部屋もきちんとして、生活感がないように整頓されている。奥様は「我々夫婦は二階を生活空間にしています。別の奥の部屋は九十五歳の母がいて、バリアフリーの部屋に改造してあります」とおっしゃる。三室目の障子を開けると、一間幅の広縁になっている。大ガラス戸の向こう、閑かな空間が見え、小さな池の周りに石と松の木がある。「昔は鯉を飼っていまして、子どもの頃、よく水替えをしました」、家の内庭は、押し込まれた部屋から、解放された安らぎを与えてくれる。素晴らしい間取りと空間を昔の人は考えたものだ。何か、思い出したかのように、奥様は別の部屋に入り、書類を持ってこられた。床の間の前の和机に書類を並べられ「父の安部正助は几帳面で一本気な人でした。でも、子ども達には優しかったのですよ」。と言う。自分史・安部正助記と書かれ、黒表紙で綴じてある。出された自分史の一文を妻が、朗読した。「子どもの頃、牛乳瓶を自転車に積み、運んでいた。線路の踏切前、でこぼこ道で、自転車が倒れ、牛乳びんが割れてしまった。大事な商品を壊し、『父に怒られる』と泣きそうになり、恐々と父の顔を見た。『ケガはないか』と優しく言ってくれた」継母のもとで苦労している我が子を、愛おしく思われていたのだろう。「その頃は、祖父が牛乳販売を生業とし、子どもの父も自転車で配達を手伝っていたようでした」と奥様はいう。「父が五歳の時、実母が亡くなり、実母の妹が嫁いで来た。継母に子どもができてからは、異母弟を殊更に可愛がった。小学校で弁当の日があったが、継母が弁当を作ってくれず、昼時は、水道の水を飲んでいた」という。子ども心に日常生活は辛い思いをしたのだろうと心配した。陸軍軍人として満州に派遣された。戦後、ソ連軍の捕虜となり、零下七十度という極寒のなか鉄道建設に従事された。飢えと寒さで次々と戦友が亡くなるのを目の当たりにした。皆を元気づけるため劇団を結成し憩いと安らぎと希望を与えた。最悪の環境の中、劇を演じるなど、普通の人にはできない精神力である。九死に一生を得て復員された。厳寒のシベリア、ツンドラの木々の写真も挟まれていた。嫌な思い出だけしかなかったろうに。「私が小学生の頃、PTA会長をしており、シベリア抑留の当時の話を学校から頼まれました。分かりやすい図面を作り、ユーモアを交え、父は講演しました」苦難の人生を明るく切り開かれていた父を、誇らしく思う表情が見てとれた。戦後、シベリアから引き揚げても、実家は継母の息子が後継ぎとなると思い、父は、借家に住んだ。異母弟が十六歳の時、クリスマスイブの夜、進駐軍ジープの酒酔い運転に撥ねられ、死亡した。戦勝国の米軍からは何の補償もなかった。父はこの家の後継ぎとなった。そして母と結婚し、我々はこの家で生まれ生活した。父は懐かしき古民家の本体はそのままにして、一部を改造した。建具や天井なども傷んだ部分は整備し、現在でも伝統的和式の住まいとなっている。江戸時代の宿場では、なにか商売をされていたのだろう。三間間口の奥行きの長い建物である。三分の二が居住部分で、三分の一が土間になっていた。その後、父の代で、土間の部分を居住用に作り替え、入口玄関部の土間だけは残されている。自分史で正助氏は我が子のことを、四人の宝物を得たと書いてあった。自分の時代に味わった思いを取り戻すかのごとく、大海のような溢れる愛情で、我が子を守り育てたのであろう。安部家へ招き入れてくださった次女の方も、父を尊敬し、感謝する気持ちがにじみ出ていた。いい出会いの宿場の人々と古民家に恵まれた一日だった。翻って自分はどうなのかと考えた。子供を宝物と思って育てただろうか。厳しい環境のなかでは、希望も持てづ、打ちひしがれていたのではないだろうか。阿部正助さんのように、人の為に役立てるようなことをしただろうか、一抹のむなしさもあった。 R4・04.23 下邑成秋
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