第32話 二番鳥居の夢 神社物語 エッセイ 

文字数 3,405文字

 夏の暑い日だった。神社の一番鳥居の横木部分が腐り始めていた。木陰とは言いながら、その修理作業に汗を垂らし、私は夢中になっていた。
「なんでそんなに一生懸命やるの、頼まれわけでもないでしょう」と連れは言う。
脚立に上がったり、降りたりして、腐食部を削り、削った所を型取りし、木材に鋸やノミで工作する。その木片をボンドで充填していくのである。地面に座り込み、結構な手間と時間が掛かる。二時間やれば腰が痛くなる。家に帰って
「なんでこんなに疲れるのやろう」と連れに訊く。「当然のことよ」と冷たくあしらう。
工作が好きな人であれば、作る楽しさ、この楽しさは分かるだろう。しかしなんでまた物好きにと思うだろうが、その理由は以前に話をしたように
「神社の神様が修理をしてくれと、夢に出てきた」からである。
高齢者に取り、体力的に消耗し、きつい仕事であった。毎週、土日に二時間ほどの事だが、面白くなると毎日のように通い、一カ月半近くかかった。
「無理をして脚立から落ち、怪我をしたら大変よ」と連れは心配してくれる。一応、木を張り付け、カンナを掛け、朱色のペンキを塗って仕上げた。誰も褒めてくれないので自分で
「素晴らしい」と褒め満足するのであった。しかし作業は予想外にきつかったので
「次にどこかが腐っていようとも、こちらも高齢者だ。もう拘わらないぞ」と固く心に誓った。月始め、祠に榊を収めるくらいで、稲荷には立ち寄らなかった。
 神社の掃除は、氏子さんは遠くて高齢者ばかりなのか、誰もしようとしない。神主は代理だから、一年の始めだけ、石の大鳥居に注連縄をはり、祭壇を設けて祭事を行うきりである。放っておくと、境内は草茫々の荒れ果てた状態になる。
 神社前の奇特な有志の方が、何代かにわたって、箒で掃いている姿を見る。最近は、中年の男性が毎日のように、頭にタオルを巻きマスクをして掃除をしている姿を拝見する。私は、漸く神社の鳥居修理から解放され、健やかな日々を過ごしていた。神社のお陰もあり、健康状態はすこぶる良いのではないかと思っている。
 神社傍の坂道にミニチュア家屋を建てた、やくざまがいの大工親父がいる。酔ってやって来ては、通りすがりの車に罵声をあげる。連れも被害にあった。近所迷惑な親父である。最近、顔を見かけない。
「若しやして、お亡くなりになったのでは?」と心配する。時々、人がいて、野菜を作ったりしている気配がする。しかしやくざオヤジではないようだ。日曜日、坂道を下って行くと、やくざ親父の畑に中年の男性が畑作業をしていた。気になるので、思わず声をかけた。
「親父さんは元気にされていますか」と訊いてみた。顔を上げた男はやくざ顔ではなく、優しそうなぽっちゃりした体形の男だった。
「春頃、糖尿病で入院しました」という。雑談の後、私は
「親父さんも酒を飲まれた時、この通りを通行する車に、怒鳴り声を上げていましたね。怖い人でしたが、私が鳥居修理のため、脚立に上がっていると、後ろから『鳥居を修理しているのだな。人の為にするのは良いことだ』とお褒めの言葉を頂ました。それほど懇意に話し合ったことはないのですが」と言うと
「そうですか、父がお世話になりました。酒を飲まなければ良い父親なのですが」と弁護するように言う。サングラスを懸けた親父はまるでやくざ風であった。「この家はおとーさんが建てられたのですか?大工さんだったのでしょう」と訊くと
「いいえ。父は黒崎播磨に定年まで勤めていました。その後、独学で家を建てたのです」まさかあの人が勤め人とは想像もできなかった。
「父が入院しているので、戻ってきたとき、野菜を植えているのを見て喜ぶだろうと思い、若松から来ています」と、親に似ず優しいことをいう孝行息子だ。
「おとーさんが早く元気になられるといいですね」と労った。謎だった人物の素性が分かり、内心ほっとした。やくざに絡まれると面倒だと思っていたのだ。全くの誤解だった。病気になればクソ親父も可哀想に思う。
 秋から冬へと季節が移り、神社にも寒い風が吹き晒すようになった。坂の中程にある境内は、北の方角に、住宅街とイオンや遊戯センターが見える。南の方は市街地の遥か先に皿倉山のアンテナが小さく見える。癒されるいい眺めの聖なる場所である。
 私はよく夢を見る。誰かが、声を掛けて来る。多分、太賀神社の使いだろう
「最近は参ってくれんのじゃなー。あんたの顔を見たいのじゃがのー」と呟く、
「男前でもないし。婆ーちゃん方が、通るたびに、手を合わせて拝んでおられて、幸せじゃろうに」と言ってやった。
「それは、大層有り難いことで、幸せなことなんじゃ。じゃが、二番鳥居の脚のあたりが、なにか具合が悪いみたいなのじゃ」と心配しながら、
「正月も近くなってきたしな、誰か診てくれんかなと思っちょる」と情けなさそうに、お狐さんが言う。夢はいつも、日常の出来事で、気になっていることを、映し出す。夢に見たことを覚えていて、気になってしまい、あの悩みを解決しなくてはと思い、心が急き立てる。
 土曜の朝、散歩のついでに、神社に参った。前庭は草もなく綺麗に掃除されている。中年の僧侶のような人が長靴をはき、箒をもって、道路の葉っぱを一枚残らず掃き清めている。奥の稲荷に行くと、三基ある鳥居が嬉しそう迎えてくれた。
「おとーさんいらっしゃい。お待ちしてました」と大合唱だ。鳥居に好かれたって一銭にもならない。だが悪い気はしない。一番鳥居の上部を軽く叩いてみると、なかなか良い音がする。夏の間にボンドと木材で接ぎ剥ぎし、最後に赤いペンキと足元には黒ペンを塗り、すっきりした和装美人のような趣にしてやったのだ。赤の木製鳥居は、神社に際立った華やかさを演出する。二番鳥居が泣き叫ぶ
「おとーさん、右足が痛むんだよ」と訴える。
「よーし、どれどれ」と根元を触ってみて驚いた。完全に腐りきって、手で掴んだら、ぼろぼろと崩れて行く。既にペンキが剥げ、木部が白くむき出している。十センチほど木の塊がとれた。枝を拾って、柱の下部を突くと、取れるは取れるは、ぼろぼろと、地面から三十センチの長さで木の周りが、剥ぎ取れ、芯だけだ。その上の部分からは、大丈夫そうだ。地面の湿気で腐るのか
「外側は腐れているが、芯があるから何とか再生できる」と私は弐番鳥居を安心させた。
「酷いことになっているでしょう。旦那、御願いだから 何とかしてやって」と 赤い狐も色目をつかってくる。
「しょうがないな。少し寒くなったけれど、脚立もいらない低いところだし、ささーと、処置してやろうじゃないか」と啖呵をきってしまった。
「夏に、今後一切、修理はしないと言っていたのは、誰だっけ」と連れは皮肉る。
二番鳥居の右を揺すってみると、グラグラと揺れる。このまま放っておけば、倒壊してしまう。
早速、期待に応えるべく日曜に小道具をもって、神社に行った。二番鳥居の右足の地面を、小さなスコップで、慎重に掘ってみた。地面に直接打ち込んである柱は、雨や湿気で水分を含み、徐々に腐り果てていくのは、当たり前のことだ。昔の木の鳥居は、三十年間持つほどの立派な柱だったらしい。現在の木は、育ちが速い。軟弱の木のため十年で取り換えるのが普通という。ある神社では、面倒だと言って太い塩ビ管で代用している。その様子は情緒の無いこと夥しい。鳥居は、朱色の木材でなければ恰好が付かないのだ。
三十センチ掘っても、まだ更に深い。腹ばいになりスコップで土を刺し、手で土を移動させる。土の小さな山ができた。硬い石の手ごたえがある。釘抜きバールで突付き回すとコンクリの塊が続々と出て来る。以前は、脚回りはコンクリで固めてあったのだ。それをそのまま地下に埋め戻しやがったいたのだ。
「手抜き工事だ。全くしょうがない。木はすぐ腐る安物だし、ボチボチ修理していくよりしょうがない」と私はグチグチ言った。
神社を出る時、竹箒で道路を掃いていた青年か中年か不明の人が、
「ご苦労様です」と、直角に腰を曲げ挨拶する。時々見かける彼は、四五度に腰を曲げ、長いこと、お願いしている。神社の二軒先の家の人のようだ。以前は、母親は掃除をしていた。引き継いだ息子さんが、やっているのだろう。
それから土曜と日曜ごとに神社へ二番鳥居の修理に行くことになった。

                        


    
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