第70話 いきたくないのに出かけていく 角田光代

文字数 1,022文字

 「小説と歩く」
実にうまいエッセイである。現代に人気作家の実力はすごい。テレビのインタビューで彼女の家の本棚を見た。壁に作られた本棚、階段を上りながら続く。飾りの本棚でなく、彼女がようだ本の数々の様だ。これだけの本を読むには多くの時間がいるし、理解力や知識や洞察力が必要だろう。頭が良くなくては出来ない読書量であろう。それをおくびにも見せず。何処にでもいるような中年の女性であった。
小説と歩くは原稿用紙8枚くらいだろう。メキシコは十年前に旅した。カンクンからメキシコシティまで三週間、おもにバスで移動した。ほかのどこでも見たことない色鮮やかな町並みと、あちこちに生える巨大化したサボテンに、日がたつにつれ慣れていき、慣れてくると、何か妙だと思うようになった。
 何か妙だ。でもそれは、言語化しづらい生理的な感覚で、何がどう妙なのか自分でもわからない。わからないながらメキシコシティに近づくにつれてどんどんそれは膨らんで、メキシコシティの中心街、メトロポリタン・カテドラルを前にしたときに最高潮に達した。そうしてカテドラルのすぐそばにあるテンプロ・マヨールと隣接する博物館にいって、ようやく妙だと思う理由がわかった気がした。テンプロ・マヨールは、二十世紀にたまたま発見され発掘された。古代アステカ帝国の中央神殿である。そして立派なカテドラルもまた、スペイン統治以前ははアステカ神話の神殿だった。十六世紀、メキシコにやってきたスペイン軍は、アステカの町を次々と侵略し、神殿を破壊した。今あるカテドラルは、かつてそこにあった神殿の石材を用いて。アステカの神をあがめていた先住民を労働力として」建てられたーーーと、ガイドブックで読んだとき、自分のなかの奇妙な感覚に合点がいった。
 降り立ったカンクン近郊の町からずっと私が感じ続け「妙」な感覚は、そこにあったものが壊されて、その上に、お仕着せの服を着せられるようなあらたな町や建物や信仰が作られたことによるものだ。でもかつてそこにあったものは、かたちはなくとも残り続けている。だから、かたちのあるものを見ながら、かたちのないものをより強く感じることになる。その異様さは、カテドラルを前にしたときははっきりとわかる。
※この「妙」な感覚は、後で考えたものだろうか、カンクンの町に降り立った瞬間に、洞察したのだろうか。後で考え物語を作ったのかもしれないと私は疑っている。それでもうまいエッセイである。学びたい。 
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