第36話 淡墨の桜 宇野千代

文字数 977文字

私は思い立って岐阜の根尾村にある「淡墨の桜」を見に行った。小林秀夫さんからこの桜の話を聞いて、一種の感慨をもっていたので、どうしても一度は行ってみたいものと、念願していたからである。樹齢千二百年、日本一古い桜で、枯れ死寸前といわれたとき岐阜在住の医師の手によって、桜の若木を根つぎし、起死回生、再び万朶の花を咲かせることができたとのことである。四月初旬が見ごろであると土地の人から知らせがあった。岐阜で汽車を下りて、車で根尾まで行く途中「淡墨の桜を見に行くのだけれど、宿から近いかしら?」と運転手に訊いた。「さア、聞いたことがありません。」と言う。きっと、ついこの頃この土地へ来た人だと思って訊いてみると、もう三四年も運転しているという。車で四十分、村は山の奥の寒村と東京郊外の外れの町とが一緒くたになったような印象を受ける。宿は客が来てただ泊まるだけで、何の飾りもない。座敷に置炬燵がだしてあったが寒かった。日が暮れそうで、それに生憎なことに小雨が降り出した。それでも、今日のうちにちょっと桜を見たいと思った。番傘を借りて一町ほど行くと山の途中に、白壁の傍にぼうと白い花が見えた。私が予想していた物と違う感じで幾分がっかりした。
翌日、雨のなかを宿の主人が案内してくれた。「あつ!」と声をのむ感じは、花がきれいだからではなく、大きな枝は残骸で、その腐った先から新芽が出て、か細い花が咲いている。人がわざわざ見に来ないのも道理である。桜の縁起を書いた木札が立っている。隠棲中の継体天皇がお手植えされた。この無残さに、私は感動を覚え、も一度、この桜を万朶の花を咲かせることが出来ないか考えた。小雨は止まない。桜をあとにしてやまを下りながら、主人と話した。「金がないんですよ。」という。「金がないんではなくて、あの木を助けたいという熱意がないんだわ。」と私は溜息を吐いた。あの雨の中で声もなく咲いている花が、そう訴えているように思われたからである。帰路、私は岐阜へ寄って、前田産婦人科病院を訪ねた「老先生はつい昨年お亡くなりなりました。」という。私は嗣子の前田州氏に会い、あの桜はもう一度根継ぎをすることが可能かどうかを訊いた。費用は百万もあったら足りると言う。いまならそれができる。
ないのは金ではなく、この淡墨の桜に、もう一度花を咲かせたいと言う渇望である。
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