第51話 武士道 新渡戸稲造

文字数 5,652文字

第一章 道徳体系としての武士道
武士道は、桜と同じく日本の固有の花である。武士は、長い間、戦闘を繰り返すうち、勇敢な者の中から選ばれ武士という特権階級となった。戦闘を職業とする粗野な素性であった。淘汰され柔弱の者は取捨選択され、男性的で、獣のような力を持つ粗野なる種族だけが生き残り、サムライの家族階級を形作った。
第二章 武士道の淵源
仏教は、運命に任す平静な感覚、不可避に対する静かな服従、危険災禍に直面し禁欲的な鎮静さ、生を卑しみ死を親しむ心を教える。仏教は武士道に対してこれらを寄与した。柳生但馬は門弟に技の極意を教え終わった段階で、これ以上は「禅の教え」に譲るという。君臣、父子、夫婦、長幼、朋友間における五倫の道は、経書が中国から輸入される以前からわが民族的本能が認めていた。
第三章 義
「義は、人としての路である」孟子いう。「義」は武士の掟で最も厳格な教訓である。卑劣な行動、曲がった振舞いほど忌み嫌われる。林子平は「死すべき場合は死に、討つべき場合に討つこと」決断力であるという。真木和泉「節義なけれ世の役に立たない」。四十七義士、主君の汚名を晴らすという義、人としての道。義理、正義の道理の意味。「義務」とは両親、目上の者、目下の者、一般社会、に負う義理をいう。我々の絶対命令でもあるべき。
第四章 勇・敢為堅忍の精神
勇気は、義のために行う。「義を見てせざるは勇なきなり」孔子はいう。「大勇」武士道では、死に値せざるものは「犬死」と恥ずかしめる。「匹夫の勇」剛毅、不撓不屈、大胆、自若、勇気等の心性は少年の頃から心に訴えられる。「勇」の鍛錬は呟かず忍耐すること、児が母から、軍物語を聞かされ、痛みで子が泣けば「これしきの痛みで泣くとは臆病者。 戦場で腕が切られたどうする?切腹を命ぜられた時はどうする?」と親は子供を励まし胆力をつけさせた。厳寒の早朝に素足で師匠の家に通い素読の稽古だ。不気味な場所行かせ、「肝を練る」。
真に勇敢なる人は常に沈着で、決して驚愕に襲われず、精神の平静さを保つ。太田道灌が槍に刺されたとき、刺客は上の句「かかる時さこそ命おしからめ」読むと、致命傷の道灌は、下の句を「かねてなき身と思いしらずば」と続けた。
人には深刻な事柄も、勇者には遊戯にすぎない。十一世紀末、衣川の合戦。東軍は敗れ将軍安倍貞任は逃げた。追手の大将源義家が敵に大声で「衣のたてはほころびにけり」と読みかけると、敗軍の将は「年を経し糸のみだれの苦しさに」と上の句をつけた。義家は弓を緩め立ち去った。掌中の敵を逃げるに任せた。敵に追われ逃げる心の平静を失わない強者を恥ずかしめるに忍びないという。
第五章 仁・惻隠の心
「仁」は柔和な徳であり、「徳」とは愛・寛容、愛情、同情、憐憫で、人の霊魂の最高の物である。母のように、慈愛は女性的な柔和さのなか説得性をも持つ。慈愛は美であり「最も剛毅な者は最も柔和な者であり、愛ある者は勇敢な者である」武士の情」は正義に対し適当な顧慮を払う愛であり、生殺与奪の権力を背後に持つ愛である。
人を治める者の最高必要条件は「仁」である。孔子曰く「君子は徳を磨け、徳あれば人あり、人あれば土あり、土あれば財力あり、財あれば用あり、徳は本なり、利は末なり」と「大学」
封建制の政治は武断主義に堕落しやすい。最悪の専制から救われるのは「仁」であった。封建制を専制政治ではない。
米沢の上杉鷹山は「国家は人民の立てた君であり、君が立てた国家人民ではない」封建制は暴虐圧制ではない。須磨の浦の激戦1184、熊谷は敵を組み伏せたが、若武者敦盛だったので、逃がそうとした。若武者は去るを拒み、己の首を打てと乞うた。「今、逃がされても、名もなき者に殺される。直実の手にかかり、後の孝養にしたい。一念弥陀仏、即滅無量罪」。瞬間、熊谷の太刀が血に染まった。熊谷は僧侶になり余生を行脚に託した。
武士階級に優雅の風も養われた。優雅な気持ちを外に表現、内に涵養するため、武士の間に詩歌が奨励せられた。 音楽並びに文学の嗜好が果たすのは、優雅の感情を養い、他人の苦痛に対する思いやりを生む。
第六章 礼
「礼」は、他人の感情を尊敬し、謙譲、慇懃の心が基本となる。作法の慇懃鄭重は日本人の特性である。礼の形は、愛に近い。「礼は寛容で、慈悲があり、礼は妬まず、誇らず、驕らず、非礼を行わず、己の利を求めず、怒らず、人の悪を思わず」といえる礼は武人の徳として賞賛されるが、諸徳の第一位ではない。礼は挨拶、食事作法、茶道は社交の不可欠要件にまで高められた。
小笠原流派宗家「礼道の要は心を練る。礼で端座すれば兇人が剣をで向っても害を加えること能わず」という。茶の湯の要義である心の平静、感情の明瞭、挙止の物静かさは、正しい思索と正しい感情の第一要件である「掛物」は色彩の美より構図の優雅さ、至高の洗練が求められる。茶の湯に列なる人々は、茶室の静寂境に入るに先立ち、刀とともに戦場の凶暴を置き去り室内に平和と友情とを見いだした。茶の湯は芸術である。精神修養の実行方式である。
礼儀は他人の心地よさを感じさせる、思慮深い表現である。
第七章 誠
信実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。誠という漢字は「言」と「成」との結合。「武士の一言」は真実性に対する保証である。虚言・遁辞は、卑怯と看做された。武士道の信実観。商人は職業階級で最下位に置かれた。武士は土地より所得を得、素人農業も出来た。しかし商人は嫌悪された。商業でも道徳の掟はあった。虚言は罪としては裁かれない。・・・?
第八章 名誉
名誉は「名」「面目」「外聞」を意味する。「笑われるぞ」「体面を汚すな」「恥ずかしくないのか」非を犯す少年に正しい行動を促す。名誉は家族的自覚と密接に繋がる。羞恥は道徳的自覚である。人格を尊厳し、その価値を自覚すること。
武士道の掟において、些細な侮辱で、短気な慢心武士が立腹し町民を殺すことがあった。些細な刺激で立腹することは「短気」と罵られた。ならぬ堪忍するが堪忍。と戒める。熊沢蕃山の言「人は咎めるとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒りと欲とを棄ててこそ常に心は楽しめ」
寛大、忍耐、仁恕のような崇高な高さまで到達した者は少なかった。 少数の知恵者が名誉は「境遇より生ずるのではなく」各人が良くその分を尽くすにあるということを知った。名誉は虚栄または世俗的賞賛にすぎないけど、人生の至高善と貴ばれた。富でなく知識でなく、名誉こそ青年の目標少年が家の敷居をでて世にでると名を成すにあらざれば帰らない。
第九章 忠義
菅原道真は嫉妬の犠牲になり都からおわれた。子孫一族たやすため幼い子の首をださねばならなかった。忠臣源蔵は自分の子を身代わり首を役人に出した。
頼山陽は父の反逆行為に平重盛の胸中の苦しさに「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」 主君の気まぐれな意志、妄念に対して自己の良心を犠牲とするのは、武士道では低い評価となる。寵臣命をもって主君に仕えることが理想であり名誉とされた。
第十章 武士の教育および訓練
武士の教育は品性を保つのが第一である。思慮、知識、弁論などは重要視されない。武士道の骨組みは「智・仁・勇」である。
武士道の教科は撃剣、弓術、馬術、槍術、兵法、書道、倫理、文学、歴史より成り立つ。武士道は非経済的であり、また貧窮を誇る。金銀の欲を思うな。富める者は智に害があり。子どもの頃から、経済を無視すべく育てられた
武士道では節約倹約が教えられ、贅沢は敵と考えられた。質素な生活を武士階級は要求された。奢侈の禁止令は多くの藩が励行した。知識でなく「品性」。頭脳でなく「霊魂」が重要とさらた。教師の職業は神聖なものとされた。「我を生みしは父母。我を人たらしめるは師である」
第十一章 克己
武士が感情を面に顕わにすことは男らしくない「喜怒色に表さず」は偉大な人物を評する場。
挙止沈着、精神平静であれば、いかなる種類の激情にもみだされない。克己の理想とするところは、心を平らかならしむるにあり。
人の奥底の思想および感情、特に宗教的なものを発表するのは、深遠でも誠実でもない。「口開けて腸見するザクロかな」
感情の動いた瞬間これを隠すために唇を閉じようと努めるのは、ひねくれではない。人性の弱さが最も厳しい試練に合ったときに、常に笑顔を作る傾向がある。死んだ児の不在を、自分の傷ついた心を慰めようと(加賀の千代)蜻蛉つり今日はどこまで行ったやら
十二章 自殺および復仇の制度
腹を切る「切腹」は、霊魂と愛情の宿る。法律上の刑罰として命ぜられるときは、荘重なる儀式をもって執り行われた。武士が罪を償い過ちを謝し、恥を免れ友を贖い、自己の誠実さを証明する方法である。「拙者唯一人、無分別にも過って神戸なる外国人に対して発砲の命を下し、その逃れんとするを見て、再び撃ちかけしめ候。拙者今その罪を負いて切腹いたす。各方には検視のお役目ご苦労に存じ候」と言って切腹、左の腹を深く刺し静かに右に引き回し、また元に戻し少し切り下げた。介錯人が一撃し首体を異にした。
仇討ちには人の正義感を満足させる。我が良き父は死する理由なし、彼を殺した者は大悪事をなした。わが父も存命ならこの行為を赦さない。天も悪行を憎む。悪を行うものを、その業を止めるのは、わが父の意思であり天の意思である。彼はわが手によって死ななければならぬ。彼は我が父の血を流したから。
第十三章 刀・武士の魂
武士道は「刀」を勇気の表徴とした。五歳のとき武士の服装一式をつけ碁盤の上に立ち、本物の刀を差す。日常は木刀。十五歳で成人、鋭利な刀を所有することができる。この凶器の所有が、自尊、責任の感情と態度を与える。「刀は伊達にはささぬ」。彼が帯刀し心にも帯刀する。忠義と名誉の象徴である。大小二本の刀。身辺を離れず、家では客間に飾り夜は容易に手の届く所に置き枕頭を守る。刀は普段の伴侶と愛され、固有の名をつけ愛称、尊敬のあまり崇拝された。
刀の侮辱は持ち主の侮辱と同視せられた。刀鍛冶は霊感を受けた芸術家で、職場は聖域で毎日斎戒沐浴をし工を始めた。
重厚な人は剣を用いる正しい時を知る。時が来るのは稀である。勝海舟「私は人を殺すのは嫌いで一人も殺してない。殺す者も逃した。私が殺されなったのは、罪もない人を殺さなかった故だろう」「負けるは勝」という諺あり。武士道の理想は平和であった。
第十四章 婦人の教育及び地位
女性は矛盾の典型である。女性の直感的な働きは男性の算数的な悟性を超える。女性の身体の美と繊細なる思想は男性の粗野な心理の能力から説明できない。武士道の女性の理想は家庭的である。
貞操は武士の婦人の主要な徳で、命以上にこれを重んじた。芸事及び優雅の生活も必要であった。音楽、舞踊、文学。家の名誉と体面の維持のため、辛苦労役し、命を捨てた。娘として父のため、妻として夫のため、母としてこのため子供時から自己否定を教えられた。一生は独立の生涯ではなく従属的奉仕の生活であった。自己否定。家庭が基本。女子は 男子の奴隷ではない。夫が君主の奴隷でないのと同じ 武士道の教訓は自己犠牲の精神によるものであり、女子についても同じである。 結婚観は「男と女と合いて一体となるべし」
第十五章 武士道の感化
民衆娯楽、教育である芝居、寄席、講釈、浄瑠璃、小説はその主題を武士の物語から取った。農夫は炉端で義経と忠臣弁慶や曽我兄弟など聞いた。
商人も信長、秀吉の戦場の物語を聞いた。武士は民族の良き理想となった。「花は桜木、人は武士」大和魂は日本民族の精神を意味するようになった。本居宣長は「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」
十六章 武士道はなを生きるか」
武士道は無意識に抵抗し難いものとして国民を動かしてきた。「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」 武士道は我が国の活動精神、運動力であった。現代日本の建設者、佐久間、西郷、大久保、木戸の伝記、また伊藤、大隈、板垣、彼らの思索、行動は武士道の刺激のもとに行われた。彼らの思索、行動は武士道の刺激のもとに行われた。武士道の感化は今でも人民の礼儀を重んじるは武士道の遺産である。
日本人の心、ハーンを読め。日清戦争における日本人の忍耐、不撓の勇気は証明する。世界無比は武士道の賜物である。
第十七章 武士道の将来
悲しいかな武士道の徳!誇り!道徳は「将軍が去るとともに消える運命となった。戦いの本能は普遍的で自然的である。高尚な感情や男らしさの徳性を生むがすべての人がそうなるわけではない。戦いの本能の下に、愛が潜んでいる。
武士道は倫理の掟として消えていく。しかしその力は地球上から滅びないだろう。武勇、文献の教訓は体系として壊れるだろう。しかしその公明、栄光は長く生き続けるだろう。その象徴とする桜花のように、散ったあとも香気をもって人生を豊富にし人類を祝福するだろう。
その香りは遠きかなたの丘から風に漂ってくるだろう。クエイカー詩人の歌えるごとく、いずこよりか知らねど近き香気に、感謝の心を旅人は抱き、あゆみを停め、帽を脱ぎて、空よりの祝福を受ける。
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