第27話 誰のために エッセイ

文字数 3,539文字

冬が過ぎ去るころ、家の窓から遠くに、薄く色付き始めた木々の梢が見える。日を増すごとに、色が濃くなっていき、太賀神社は薄いピンク桜花に覆われる。満開の桜は、見事である。地元の人がポツ・ポツと眺めにくる。人々に、春の幸せなひと時を授けてくれ、二週間後には、花吹雪のように散っていく。太賀神社は、江戸時代に建てられ、焚き木山の中にひっそり存在していた。今や住宅団地である。氏子は太賀団地から離れた所に住み、境内の清掃は行き届かない。大きな石鳥居と石の社と狛犬だけは、朽ちることなく健在である。半世紀前に、家を建てた徳永さんは、目の前の神社が気に入っていた。境内には、桜や銀杏や楠ノ木が植えられている。大木から落ち葉が降り落ち、雑草が生える。徳永さんは定年後、無料奉仕で、落ち葉掃除や草抜きを、長い年月されていた。八十歳を過ぎたころ、心臓を患われ、生きるか死ぬかの大手術となった。何とか一命をとりとめ、自宅に戻ることが出来た。「神社の神様が、いつも掃除をしている私を見ていて、助けてくださった」と有り難そうに話された。私も十五年前、定年退職し、故郷の実家に近いこの太賀団地に家を建て、妻と住んでいる。時々、神社に参拝し、掃除されている徳永さんと世間話をするようになった。病気の後、徳永さんは、掃除が出来なくなった。境内は、雑草と落ち葉が積もっている。遠方の神主は、年始だけ注連縄を張りに来るだけである。私は何故か、無料奉仕で「竹箒を買って、掃いてみよう」という気になった。掃除するうちに、奇妙な雰囲気に気づいた。奥にある稲荷の祠の前に、腐れかけた棒が、対で五十センチの高さで3基立っている。僅かに赤塗料の跡が残っている。脇には、棒きれと、半分腐った額縁が、重ねてある。捨てるには忍びないのだろう。小さな石造り祠は、ガラス戸を開けると瀬戸物の狐もいる。佐賀の祐徳稲荷の木箱が布も汚れぼろ布に包まれている。一緒に居た妻も見かねて、「古い着物の金糸銀糸の端切れで、袋を作ってあげよう」という。私が、木箱を祠から取り出した途端、袋からボロボロと何かが落ちた。ヤモリが三匹。足をバタつかせ、三方向に散った。ヤモリも祠を守っていたのか。祠の内部を、水洗いし、狐もきれいに拭いた。一週間後、金色の布に包まれた神体の木箱を元に戻し、米、塩の小皿、酒の小瓶を備え、狐を両側に配置した。祠の主も、さっぱりした表情を見せた。しかし、「棒切れとなった鳥居。なんとかできないのか?」と寂しそうに不細工な欠片を見ている。氏子や、代理神官も氏子もいるが、知らぬ顔。私は、「相談せずに、動いてみようか」と、祠を窺った。中間商工会議所が新年会を市民ホールでやり、百人以上の商工業者が集まる。私も自営業の社会保険労務士の端くれとして参加する。名刺交換していると、隣の地区の太賀二区長の糸井さんに遭った。熱心に地域の為に活動され、盆踊りや文化祭、テントを張って秋祭りなど楽しそうだ。区長に、腐れた鳥居の話をすると、耳を傾けてくれた。「市役所との会合があるので、その時、鳥居の再建を話してみましょう」と、口約束してくれた。翌年の新年会、区長と会い、話を聞いた。「宗教に行政は関与できないので、金は出せないようです。又、別の方面で当たってみましよう」と、笑顔で答えてくれた。政治と宗教は分離すべしという、戦後の憲法改正で、役人も型どおりの対応をしたのだろう。自分の損得を考えず、嫌な顔ひとつせず、他人の話を聴いてくれる。このお人は、住民から信頼されていると思う。次年度の新年会に再会し、話を聴くと「神社総代の岡部さんに話をしました。『神社に鳥居の腐った棒が地面から突き出ています。子供が遊んでいて大怪我する危険もあります。なんとかして下さい』と持ち掛けた」という。中々、交渉上手な方のようだ。結局、先祖の思いもある岡部さんが、再建してくれることになった。区長さん宅へ、菓子折を持って、御礼に行った。半年後、赤い鳥居が三基、稲荷の前に建っていた。鳥居は新しくなった。が、何か足りない。半分壊れた額束が三つ、フェンスに立てかけてある。無くていいのなら、柱と一緒に処分すれば、よさそうなものだ。[これは修復を頼んだ私が、何かしろという、シグナルか]と善意に解釈し、家に持ち帰った。三個とも、下半分が腐っている。分厚い材木を買い、破損部分の型取りし、板を切り、ボンドで付着させた。枠も同じく接ぎ合わせた。赤ペンキを塗り、額縁らしく見える。次は文字だ「正一位稲荷大明神」である。稲を豊かに実らせる神様である。狐はお使いで、眷属というらしい。正一位は神社の位で最高位を意味するという。大明神の欠けた部分を、トレッシングペーパーで外枠を模写、黒ペンキで囲みを塗った。一か月後、車で脚立を運び、赤い額束を鳥居正面に、電動ドラ―バーで釘打ちした。一時間後、作業が終わり車に戻ると、パトカーが駐車違反切符を貼っていやがった。折尾警察署に行き、「ついつい神社の鳥居を修理し、時間がかかりましたので」と警察に陳情しても、「ご苦労様です。しかし宗教と警察は関係ありません」と真面目顔で言う。クソと思いながら罰金一万円を振り込んだ。道の掃き掃除は三年ほど続けた。暫らく仕事が忙しく、掃除を手抜きしていた。久し振りに行ってみると、鳥居から社への参道は、掃き浄められ、雑草まで抜いてある。私が一週間に一度、二時間やる掃除とは違い、見事に草が抜いてある。近くに住む高齢のおばさんで、「私は氏子ではないけれど、この地に住み、神様に守ってもらっていると思う。参道を掃除することにした」と心の内を話された。通りがかりの人が、神社に向かって拝礼し、手を合わせるのを見かける。昔の鳥居は材質がよく二十年は持ったらしい、しかし最近は、材質が弱くなり、十年で腐ってしまうという。他の稲荷神社の鳥居も、同じ状態のようだ。水道管に使う塩ビを赤く塗り使っている神社もあった。しかし味わいの無い無機質な感じがする。木の鳥居でないと趣がない。太賀神社の鳥居も五年後、一本の柱が腐り始めた。柱の一部を指で押すと、ボコっと沈むのだ。[いくらなんでも、早過ぎないか。]と愚痴がでた。しかし「十年は持たすのが、私の責任である」と稲荷に宣言した。それから、修復に、二ヵ月かかった。腐った部分をノミで削り落とし、補充木の製作だ。本職でないので、上手な形は作れない。空いた隙間は木工ボンドで埋めれば目立たない。十箇所も穴が明き、埋め込んでいく作業。正直うんざりした。この次、腐ったら、もう知らないふりをしておこうと、妻と話すと、「もう、高齢だし、いいんじゃない。これだけやれば」という。脚立に登ったり下りたり、座り込んで木を切り、サイズを合わせる。二時間やっただけで、体中が痛くなり、夜に「なんでこんなに疲れるのだろう」と妻に、意見を求めた。」「一生懸命やるから疲れたのよ」と慰める。
丸太を一本買って、赤ペンキ塗って、入れ替えた方が楽だったかもしれないと思う。神社の掃除は、叔母さんから、三十歳過ぎの息子に交代たようだ。私に「ご苦労様です」と言ってお辞儀する。神社へも、腰を曲げ、拝礼する。鳥居の修理の話を、習い事の師匠に話したら、「あなた最近病気したことがありますか」と訊ねる。「いいえ、すこぶる元気です。後期高齢者にしては」と答えた。すると師匠は「それはね、神様があなたの善行をみていらっしゃるからよ」と言われた。そうかもしれない、五年前は、頸椎ヘルニアに帯状疱疹に神経痛の大病をした。稲荷の赤い鳥居に関わりだしてからは、何かしら年の割には、「元気になったじゃないの」と妻からよく言われる。 通りの坂道に、大工が建てているミニ家屋がある。屋根瓦と壁や玄関はあるが、奥行き半間の家である。「自分の腕前を見ろと」誇示している。この男、高齢なのに厄介者だ。酒飲んでは、通りの車に訳も分からない事を大声で怒る。私は脚立の上で、鳥居の腐れ部分の充てん作業をしていた。後ろに人の気配を感じた。サングラスを掛けた作業着の親父が立っていた。知らん顔をしていると、意外と優しい声で「稲荷の修理をしているのだな」と訊く。「まあそうです」と答えた。「人のためにしているのだな。良いことだよ」と言って立ち去った。そういえば、親父の顔を、随分長く顔を見かけない病気でも患ったのだろうか。神社前の徳永さんも、最近の区内の回覧板で九十三歳で亡くなったと訃報が載っていた。神社前の家は、雨戸が閉まり、人の気配がない。盆提灯がでていたら、御参りに行こう。赤い鳥居は、人が生き、死に、時が過ぎていく地元を、じっと見つめ続けている。
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