第12話 バラ命 エッセイ

文字数 3,327文字

令和二年五月、遠賀川沿いの小竹駅近くを走っているとジャーマンベーカリーという店があった。噂では、シューククリームが美味しいと評判である。車を止め、店で買い求め、早速、車内で連れ合いと一緒に賞味していた。
何気なく店舗を見ると、建物の前に置いてある大きな鉢植えから、見事な赤いバラの花たちが、「見て頂戴!」とばかりに主張している、いや誘惑しているような雰囲気さえ感じさせられた。赤やピンクや黄色のバラの花が、蔓の上下左右の広がりに合わせ、建物の二階の壁面まで覆っている。大輪の赤い花びらや緑の葉々に囲まれて、〔ジャーマン〕と〔ベーカリー〕の木製の看板がかかっている。
連れ合いが「建物と、このバラを水彩で描けたら、どんなに素晴らしいだろうね」とイメージした。彼女は、車を降り、近くに寄り、又車道の向こうからデジカメのシャターを何度も切る。見事に並んだ鉢植えのバラも種類や花の色は様々。黄色の花の匂いを嗅ぐと、上品な甘い香りが漂う。仔細に見ると、家の壁面に足場が組んであり、その上をバラに這わせ、二階まで伸ばしているのだ。 
こんなに見事な拡がりを、演出しているのを見たことがない。グリーンパークの公園なら、大掛かりに植えているのは当たり前。しかし、個人でこれ程の大きさと高さで、育てている所を、見たことがない。「花見るときは、影の人」というように、惜しみない愛情が注がれているのが感じられる。
バラは病気や虫との戦いであるという。我が家にも、関東から引っ越しする時、持ってきたクライミング・ローズというのがある。名前の書いた札もなくなり、育て方も分からず、庭に移植した。それでも毎年、春になると、けなげに赤い小さな花びらをたくさん付ける。二メートルの木製アーチを買った。十年もすると木が腐るが、修理するのは私の役目。手入れは花好きの連れ合いがしてくれる。朝、カーテンを開け、外を見ると、アーチに群がる花びらが、眼に飛び込む。「薔薇が咲いた。真っ赤なバラが、庭に咲いた」と、毎年一度は歌う。手入れは大変そうで、虫や病気に気をつけないと何者かにやられてしまう。
店に戻って、店員さんに訊くと「オーナーが熱心なのです」と言い、詳しくは分からないようだった。暫らく感嘆しつつ、あちこち眺めていると、勝手口の戸が開き、老婦人が顔を出した。多分、店員から「花を褒めちぎっているお客が来ている」と、聞いたのだろう。小柄な老婦人が語り始めた「娘は、バラが命みたいに手入れをしているのですよ。満開の花が終わるや否や、すべての鉢を裏返して、土を交換。足場に乗っては二階へ伸びた枝や葉を剪定手直しするのです。見ていても大変な作業なのです。娘は、世界中のバラをネット注文し、植えたいみたい」と、娘の強烈な愛情を代弁する。五月初めが、一年で最も輝きを見せるという。一年に一度、短い日時の間、春を祝福するように花弁を華やかに広げ、魅了させ、散っていってしまう。
老婦人が説明する「バラに命を懸けている娘さん。どんな人なのだろうか」会って講釈を聞いてみたい気がする。多分、大きな経験や失敗や喜びを持ち、ひとかどになった天使様ではないかと思いめぐらした。
 翌年の令和三年五月中旬に、再びジャーマンベーカリーに行ってみた。午後三時過ぎだったせいか、店もシュークリームも「売り切れ」の電光掲示板が光り、閉まっていた。今年の花たちは「見て頂戴!」と訴えかけてこないのだ。寂しい「どうしたの?今年も期待して、やって来たのに。なにかあったのだろうか」、オーナーさんに。 
私は、庭に甘夏カンを育てている。二年に一度は元気で多くの実を付けてくれる。しかし、翌年は実の成りが良くない時がある。昨年の我が家の甘夏カンは、甘酸っぱくジューシーで美味しかった。しかし、今年は花が少なく、実も少なかった。バラも、同じなのだろうか、毎年頑張るのは、何事も大変なのだよね。「来年また、同じ時期。今度は空気の澄んだ午前中に、きっと来るからね。その時は「見て頂戴と訴えかけてよ」。
花の命は短くて、五月の連休を逃すと、絶好の見応えを体感することが出来ない。遠賀川添い小竹にあるジャーマンベーカリーに「今年の出来はいかがですか」と、令和四年五月八日(日)に連れ合いと行ってみた。清々しい朝である。花たちは、一輪に何十枚もの花びらを重ねて、赤にピンクに黄色と色とりどりが、太陽に向かい満面の笑みを湛え、我々を迎えてくれる。
樽のような花鉢が二十個、蔓を伸ばし二階の壁まで満開である。鉢には水が自動的に流れるよう細いホースで繋がっている。上に乗って、手入れをする足場も健在だ。二年前、老齢の母親が出てこられ、娘のバラ命を自慢されていた。一度、その娘さんに会いたいと願っていた。店員さんに訊くと、「飯塚の店の方に、オーナーはいらっしゃる」と言う。
思いがけず連れ合いが、「会いに行ってみよう」と積極的だ。住所を聞き本店に向かった。面会してもらえるだろうかと、一抹の不安を抱いた。八木山峠方面のミスターマックスの先に、店があるらしい。ナビに従うと、県道沿いにあった。駐車場も二十台分はある。店舗兼工房も、お洒落で、新しい。「ジャーマン・ベーカリー since 1932」の看板がある。店に入る前に建物の周囲を見て回った。正面には鉢植えの木が少しあり、裏に回ると、フェンスの向こうは八木山だろうか、悠然とした姿で横たわる。良い場所に店舗を構えられたものだ。建物の裏手に隣接して、囲いのある庭がある。そこには、蔓バラがアーチ状の金棒に絡みつき、見事に咲いている。「やっぱり、ここにもある」。 
店内に入ると、陳列台にパンや焼き菓子が並び、奥のガラスケースにはエクレアや洋菓子も華やかに迎えてくれる。お客さんが次々と入ってくる。空いた時間を見計らって店員に「オーナーさんに会いたいのですが」と要件を話した。飛び込みの営業は、お断りという構えだ。名刺を渡し、以前、「小竹店でお母さんと話した」ことも付け加えた。奥へ入りオーナーと相談してくれた。 
菓子製造の途中で忙しい昼時だが、こちらも是非お会いしたいと必死である。仕事着の白衣と帽子を被られ、工房から店に出て来て頂いた。気さくな感じの中年女性で、私の話にじっと耳を傾けてくれる。店内左手にテーブル椅子があり、客もここでコーヒーを飲みながら食べることが出来る。連れが、足を怪我しており、椅子に座って待っていた。紹介し、話の中に入ってもらった。
オーナーは「以前は直方に店があったのですが、アーケードが廃れたため、三年前に、飯塚のこの地に店舗を構えました」という。「バラは二十年前に植えるようになり、それから虜になったのです」ともいう。「仕事が終わったら、可愛い花たちの手入れするのが生きがい」なのだろう。裏手の庭はガラス越しに店から見え、三年の間に、鉄製のアーチに見事な花弁を咲かせ、世話をしたのだ。
花の名前を尋ねると「えーと!ピエール・ド 何とかといいましたね」あっさり、正確に名前が出ない。名前にこだわらず、花の美貌に魅入られているような感じの人だった。お洒落な奥様を想像していたが、サバサバした感じのご婦人だった。「1932の意味は、何ですか」と、訊ねると「祖父の代からパン作りを始め、私で三代目になります」という。洋菓子店なのに、バラの話だけで訪ねて来て、少し変だけれど、ニコニコしながら受け答えして頂いた。
後で、ホームページを見ると、(有)ジャーマンベーカリー代表取締役で従業員十八名、神田真理さんと、立派な経歴だった。昭和七年祖父が長崎で習ったパン作りを始め、父が継ぎ、そして、娘さんが後を継ぎ、パテシエ等も採用し、店を大きく発展させた。趣味に花造りを持ち、それも、人々に目を見張らせるほど喜びを与える腕前になっている。「バラ命の娘さん」に会いたいという願いが叶い、嬉しかった。
店内は、次々と、客がやって来た。私たちも、硬めのパンに明太子の入ったものや他を買った。帰宅後、食べたパンは美味しかった。またいつか、行ってみよう。「小竹の店にも、毎日午後二時頃、来られます」と店員さんが言っていた。
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