第89話 私の前にある鍋とお釜と燃える火 石垣りん

文字数 722文字

それは長い間 私たち女の前に いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう ほどのよい大きさの鍋や お米がぶつぶつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や 劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは どれほどの愛や誠実の分量を これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれがあかい人参だったり、くろい昆布だったり
台所では いつも正確に朝昼晩への用意がなされ 用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?それはたゆみないいつくしみや 無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
炊事が奇しくも分けられたら 女の役目であったのは 不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が たちおくれたとしても おそくはない 
私たちの前にあるものは 鍋とお釜と、燃える火と 
それらなつかしい器物の前で お芋や、肉を料理するように 深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、それはおごりや栄達のためでなく
全部が 人間のために供せられるように 全部が愛情の対象であって励むように。

戦後、女性は解放された、男女同権が唱えられ。結成された労働組合の仕事などもいたしましたが。世間的な地位を得ることだけが最高に幸福なのか、今までの不当な差別は是非撤回してもらわなければならないけれど。男たちの既に得たものは、ほんとうに、全てうらやむにたるものなのか、女のして来たことは、そんなにつまらないことだったのか。という疑い持ち続けていたので、職場の組合新聞で女性特集号を出すから、と言われたとき、書いたのが上記の詩です。
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