第59話 随筆 養生 五木寛之 

文字数 1,315文字

 五木寛之 九十歳を迎えた私が、寝る前にする「健康にいい遊び」とは?体とは本当に面白いものである。
 人生百年時代と言われ、人が経験したことのない未来が待つ世界になりました。先が見えない世の中で、九十歳を迎えた作家・五木寛之さんが綴るエッセイからは、日常を新しい角度から見るヒントが見つかるかもしれません。昔から養生を趣味としてきた五木さんが、夜寝る前にしていることとは――。
   養生は遊び
 趣味は養生、と昔から言ったり、書いたりしてきた。健康法では趣味にならない。趣味というのは面白いからやるものだ。道楽、といってもいいだろう。役に立とうが立つまいが、それが楽しいからやるのである。
養生は私の遊びの1つである。若い頃は競馬に凝ったり、麻雀に熱中したりした。いまは遊びといえば、せいぜい養生といったところだ。遊びであるから苦しいことや無理なことはしない。
先日、ある人から「毎日、足の指を1本ずつ揉むと健康にいいんだよ」と教えられた。
   内心、ペロリと舌を出した
足の指を揉むくらいのことは、百年前から知っている、と言おうとしてやめた。
「それはよさそうだね。きょうから毎日やってみよう」
と、神妙な顔でうなずきながら、内心、ペロリと舌を出した。
 足の指を丁寧に揉むのが体にいいことは、私が昔から言ってきたことだ。体で大事なのは中心ではなく末端である、というのが私の持論だった三十年あまり前に出した養生本のなかで、そのことを冗談をまじえて書いているから、お読みになったかたもいらっしゃるだろう。
 夜、寝る前に、足の指の1本1本を、感謝しながら指で揉む。1日ご苦労さんだったね、と、声をかけながら優しく揉みほぐすのである。それぞれの指に名前をつけて、右足の指は親指から順番に、一郎、次郎、三郎、四郎と呼ぶ。小指が五郎ちゃんだ。
 左足は親指が一美(かずみ)、次が二美(ふみ)、そして三美(みみ)、四美(よつみ)と続く。小指を五美(ごみ)と命名したと書いたら、お叱りの手紙が殺到した。いくらなんでもゴミはひどい、というのだ。たしかにその通りだと反省した。イツミと呼ぶことにして炎上せずにおさまった。
   完全な孤独はない
 足の指にも、1本ずつ性格がある。形もちがえば動きもちがう。
チベットの山のサポーターであるシェルパは裸足でけわしい山路を歩くという。
濡れた岩の上で滑りそうになっても、滑らない。足の指がモミジのようにパッと開いて、バランスを保つのだそうだ。
 その話を聞いて、左右の足の指を扇のように全開にひらく練習をしてみたのだが、なかなかうまくいかない。左側の五人姉妹はなんとか開くのだが、右の小指、五男坊の五郎がどうしても言うことをきかないのだ。
 やたら力を入れても足の指は自由に動かすことはできない。素直な子もいれば、強情でひねくれたやつもいる。
 左のほうのゴミ、いや、イツミちゃんはとても素直で、見事に横向きに開いてくれる。
体というのは本当に面白いものだ。そのうち右側の強情な五男坊も、素直に言うことをきいてくれるようになるかもしれない。
 完全な孤独というのは本当はないのである。人は、「自分とカラダの二人連れ」なのではあるまいか。
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