第69話 考えるべきは子供のこと

文字数 1,615文字

 ただ近藤はこうも言った。

「わたし、この仕事長くやってて思うんやけど、残念ながら、今回みたいなことも含めて、いろんな理由でお父さんとお母さんが仲違いすることはほんまにたくさん見て来ました。これは天宮さんのとこだけでなくて、障害を持った子供のご両親は、残念ながら健常のお子さんよりもそういうことが多い気がします」

 皆、真剣な面持ちで近藤の話にじっと耳を傾けている。

「独身のわたしがこんなこと言うのも何かおかしいかもしれませんけど、これでも一応教育者の端くれとして。杓子定規な体裁を気にせず、ここはあくまでわたしの個人的な本音で話ししますね」

 近藤は特に誰かを見ながらしゃべるのではなく、この場の人皆に向けて語っている。冷静に、けれども強い口調で。

 その時、直也はまた静子の手をすり抜けて寝室へと向かった。先ほどまでのパニックは収まっていた。近藤も静子もその場の皆も、その様子を皆ちらりと見るだけで何も言わない。

「うん、それでね、以前こんなことがありました。ひかりの家に通所している、今の直也よりもう少し大きなお子さんとそのご両親のことです。もちろんそのお子さんも直也と同じような発達障害をお持ちでした。そのご両親は、子供さんのこと以外にも、いろいろな問題を抱えておられて、いつもいつも夫婦喧嘩が絶えませんでした。子供の前でもお互い口汚く罵り合い、敵意を剥き出しの生活をずっと続けてはりましたが、子供のために離婚だけはしないと言ってはったんですけど、ある時、もうどうにもならなくなって、結局別れはったんですね」

 時刻はすでに日付が変わろうとしていた。でも誰もその場を立とうとはしない。直也は泣き疲れたのか、毛布にくるまって眠ってしまったようだ。近藤の話はまだ続いている。

「そのご夫婦が離婚されて、子供さんはお母さんが引き取って育ててはったんですけどね、ある時、わたしその子供さんに、お父さん居なくなって嫌じゃないの? って聞いたんです。そしたらその子こう言いました」

 ――ううん、嫌じゃないよ。パパ居なくなって良かった。ってね。

「お父さんが居なくなって良かったなんて、わたし耳を疑いました。でもその理由を聞いたら納得しました」

 ――いつも喧嘩してるパパとママなんて見たくないから。

 そう言いやったんですよ。わかりますか? 天宮さん。子供にとっては、親が始終喧嘩してる姿なんてほんとに見たくないんです。そうするぐらいなら別れた方がマシな場合だってあるんですよ。世間ではね、子供が障害を持っているからこそ、両親が力を合わせて頑張って子育てするってよく言われますよね。けど、親も同じ人間なんですよ。機械やないんです。糸はあんまり張り詰めたら切れます。一方に力を入れ過ぎたら反対側に歪が生じます。せやからね、これから二人で将来のこと、ほんとに良く話し合って下さい。もちろん今回のことは、直接的にはお父さんに責任があると思いますが、もしどうしても修復不可能であるならそれを無理にどうこうしろとか無責任なことをわたしは言いません。ただ、一番に考えてあげて欲しいのは、これからの直也の将来のこと。直也の身になって、何が良いのか何が良くないのかを真剣に考えてあげてほしいとわたしは思います」

 説得力があった。たぶん静子の心には、消そうとしても決して消すことができないわだかまりが生じてしまったはずだ。この先何かにつけ二人が諍いを続けることが、子供にとってどれほど悪影響を及ぼすかと言うことだろう。  

 一番に考えるべきは子供のこと。つまりはそう言うことなのだ。大人の目線だけで判断してはならない。

 その夜、静子はもう家には居たくないと言い、子供を置いてひかりの家のママ友達のところへ泊まりに行った。でも、僕の心はもう決まっていた。何がどうあってもそれだけは変わらなかった。

                                     続く
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