第31話 一人、多い

文字数 2,209文字

 玄関に着くと、そこには祐一ひとりしかいなかった。助けてくれるはずの父の姿はなかった。祐一といっしょに友里たちの帰りを待つ、その如何ともし難い気まずさに耐えられなかったのだろう。

 ほんの一瞬だったけれど、玄関口で友里は祐一と目が合った。どこまでも冷ややかな視線だ。友里は思わず目を逸らす。祐一はすぐに二人の子供の方を見て満面の笑みを浮かべた。友里はその変わり身の速さに背筋がゾクリとした。

 物音を聞きつけて奥から三郎が顔を出す。友里は咄嗟に父の方を見た。助けを求める娘の顔。その悲しげな友里の目を見た時、三郎は一言「お前は上に上っとり」とだけ言った。それだけで十分気持ちは伝わった。

 友里はその言葉を信じて一人階段を上り始めたが、どうにも心配で一度だけ振り返って子供たちの方を見た。ちょうど祐一が咲希をベビーカーから抱き上げているところだった。

 それは父として実に自然な行為だ。しかし友里には祐一が子供に触れることですらもう耐えられなかった。どうしてここまで祐一を許せないのだろう。自分でもわからなかった。

 友里は自室に入ると涙がどんどん溢れて、顔を覆う手の震えが止まらなかった。嗚咽がこぼれる。祐一は子供たちの父親だ。だから自分の子供と触れ合うのは当然の行為である。にも関わらず友里にはどうしても生理的に受け入れられなかった。

 少しして、友里は階下から聞こえる声を何とか拾おうと耳をそばだてていたが、その声は小さく、友里の耳にはぼそぼそとしか聞こえて来なかった。

 結局何を言っているのかわからず、十分も経たないうちにぴしゃりと扉の閉まる音がして、それきり声は途絶えた。

 友里はおそるおそる二階のドアを開け、階下の様子を窺いながらそっと階段を降りた。二畳ほどある玄関は、がらんとして祐一の姿も子供たちの姿も父の姿もなかった。

 嫌な予感がした。

友里は慌てて母、幸子の部屋を訪ねた。母は床に臥せっていた。最近は体調があまり良くないらしく、ずっと塞ぎがちだった。

 幸子は友里の顔を見ると体を起こす。そして何か言おうとしたが、先に友里が口を開いた。

「お母さん、子供らは?」

「ああ、旦那さんと公園に行く言うて出て行ったよ。お父さんもいっしょのはずやから心配せんでもええよ」

「ええ? そんなんあかん!」

「すぐ帰るって言うて……これ、友里! ちょっと、あんた、待ちなさい」

 友里は幸子の止めるのも聞かずに慌てて靴を履き、先ほど帰って来た道を再び公園に向かって勢いよく走り出した。

 若い女がなりふり構わず走るものだから、すれ違う人々は皆何事かと立ち止まって友里の方を見る。そんな視線などまったくお構いなしに友里は一目散に公園を目指した。もう友里の頭の中は二人の子供のことしかない。

 あっという間に公園の車止めが見える。しかし祐一たちの姿はない。友里はそのままゲートを抜けて、落ち葉で埋もれたメインストリートをさらに駆け抜けて行った。

 息が切れ出した頃、目の前には水しぶきを上げる大きな噴水のある広場が迫っていた。

 噴水をぐるりと囲むような形でベンチが配置されている。十二月初めごろとは言え、陽射しの暖かな休日午後のこと、思い思いに憩いの時間を楽しむ人々の姿が見えた。

 友里はスピードを落とし、肩で息をしながら広場の方をじっと見る。と、その時、くつろいでいる人々の中に見覚えのある青いベビーカーを見つけた。

 いた! その一団の中、祐一と子供たち、そしてその隣のベンチにたった一人どっかり腰掛けている三郎の姿があった。向こうはまだ友里には気付いていないようだ。

 ミヤ、咲希……。

 友里が子供たちのところへ駆け寄ろうとしたその時だ。何か違う。得体の知れない違和感に襲われた。

 三郎は一人隣のベンチでまるでのけ者のように座っている。友里はハッとして立ち止まった。

 ――一人、多い。

 祐一、都、ベビーカーの咲希、その隣に黒っぽい服を着た女性らしき人が並んで腰掛けている。友里は重度の近視だ。コンタクトをしているとは言え、この距離からでははっきりとわからない。しかしその女性に纏わり付いている嫌な雰囲気には何となく覚えがあった。

(あれ誰や?)

 友里はそれ以上近付くのは止めて、銀杏の幹の陰からその様子をじっと窺った。冬だと言うのに三人共、手にソフトクリームを持ち、とても和やかに語り合っている。

 それはまるで仲の良い親子のように見えた。三郎は隣のベンチで一人浮いた存在となっていたが、もし友里が今そこに行けば、きっと三郎のようにぽつんと浮いた存在になりそうな気がした。

 祐一と黒い服の女はすぐに席を立ち、都に何か喋りかけ、それからかがんでベビーカーの咲希を覗き込むように見た。そして祐一と女は二人揃って、友里の居る方とは反対側に向かって歩き出した。途中、何度も振り返り、都に手を振っている。どうやら今日はそのまま帰るようだ。

 二人が去ってすぐ、三郎がゆっくり立ち上がり、ベビーカーを押してこちらに歩き出した。憮然とした表情だ。都がその横をちょこちょこ付いて来ていた。その時、向こうから一迅の風が吹き、地面に散らばった黄色い落ち葉を舞い上げた。都が舞い上がった銀杏の葉を不思議そうに見上げる。友里は巨木の陰から思わず大声で呼んだ。

「ミヤ!」

 都はその声のした方を振り向く。

                                    続く
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