第18話 村井祐一

文字数 1,907文字

「あの!」

「あの! すいません!」

 エレベーターホールの手前でようやく彼らは振り返り、友里の方を見た。

「あの」

「はい。あ、君はさっき僕らの歌を聞いてくれた子だよね。どうしたの?」

 何をどう言えばいいのかまったくわからなかった。友里の頭の中は真っ白だ。

「あ、あの、さ、最初の曲、何て言うのん?」

「え? 最初の曲? ああ、アメリカだよ」

「アメリカ……」

「ちょっと、あんた何なの? 祐一のファン?」

 先ほど最前列に陣取っていた黒いワンレン女だった。二人だけかと思ったら横でちょろちょろしていたのに気付かなかった。

 女子高生の友里に対してその女の目は明らかに挑戦的だ。まるで何かを鋭く感じ取ったように友里を睨みつけた。

「マユミ、お前だってただの祐一の追っかけの一人じゃん」

 ギター男が面倒臭げに吐き捨てる。

「違う! わたしは祐一の歌う……」と言い掛けて、祐一が制止した。

「君、高校生? 聞いてくれてありがとな。俺たちみたいな駆け出しはファン、大事にしないとな。特にこんな若い子は」

 そう言うと、ワンレン女は恨めしそうに友里を見ながらそれ以上何も言わなかった。

「君、名前は?」

「友里」

「友里ちゃんか。かわいい名前だね」

「ありがとう」

「えっと、今から俺たち昼、食べに行くんだけど友里ちゃんはもう食べた?」

「ううん、まだ」

「じゃあいっしょに来る? と言っても一階のマクドナルドだけど」

 そう言えば朝から何も食べていなかった。ハンバーガー! 思い出したようにお腹が空いて来た。

「え、いっしょに行ってもええのん?」

「ああ」

「結局ナンパかよっ! このロリコン!」

 ワンレン女がぼそっと毒づいた。

 それまで平々凡々と流れていた友里の時間が、突然大きなうねりとなって彼女を飲み込んだ。何気ない日常の中に、とんでもない魔物は潜んでいる。

 やがて熱狂的な祐一のファンになるであろう友里は、憧れの的である祐一の望むことなら何でもした。どのような命令を出されたとしても、その時の友里にノーはない。

 たちの悪い熱病に侵されて完全に自我を乗っ取られてしまったようだ。

 だからあっさりとその初々しい肉体を献上した。出会ってその夜のことだった。あろうことか友里は、その尊い純潔を自分の中から湧き出すどす黒い血と共に祐一に捧げた。

  

    3



 村井祐一は大分県の内陸部にある小さな山村で生まれた。 

 実家は昔からその土地で農業を営んでいた。そこの三男として生まれた彼は、幼い頃より大変頭が良く、特に音楽の才能に恵まれ、その歌唱力の高さは子供ながらに周囲の人々を唸らせた。さして広くない村の中で彼は〝村井家の神童〟とまで取り沙汰されていた。

 周りの期待もあったのだろうが、祐一は高校に通う頃には自分の才能を信じて疑うことなく、いずれは憧れの東京で華々しくデビューすることを夢見ていた。また、自分が本気になればそれはきっと容易いはずだとも思っていた。

 そして彼は県立高校を卒業するとすぐにその夢を叶えるべく上京したのだが、しかし実際には人よりも多少頭が良く、また多少歌がうまい程度のことで、祐一程度の者ならば東京には掃いて捨てるほどいた。所詮は井の中の蛙だ。

 つまり自己の実力を客観視できないままに挑戦し、その結果は当然の惨敗。いつまでたってもその繰り返しだったが、祐一はまったくめげなかった。プライドの高さでは誰にも負けてはいない。他人が自分を認めないのは、見る目を持たぬからだと思っていたし、また自分も他人の才能を決して認めようとはしなかった。

 どんなに打ちのめされても決してその考えを捨てることはない。普通はそれだけ挫折を繰り返せば、自分自身を振り返るはずだと思うが、祐一はそうじゃない。

 自分の実力を認めることなく、夢を諦め切れず、昼間は引っ越し屋のアルバイトで糊口をしのぎつつ細々と音楽活動を続けていた。

 しかし、世の中甘くない。上京して五年。何の目新しい変化もないまま、時間だけがだらだらと過ぎて行った。いくら頑張っても夢の芽すら出ない。が、皮肉なことに食い繋ぎのつもりで始めた引っ越し屋では新しく入ったアルバイトを使える立場にまでなった。

 元々頭の良かった彼は、職場ではかなり優秀だったらしく、それを上に買われて正社員登用の話しまで出た。その上、音楽の趣味を持つ仲間内で彼女もできた。

 経済面でも生活面でも何不自由なく、そんな日常に首までどっぷりと浸かり、このまま何となく結婚して、何となく子供でも作って、そして何となく年老いてゆくのだろうと彼は思い始めていた。

                                       続く
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