第30話 お前のやっていることは誘拐だぞ

文字数 2,125文字

 友里の実家のすぐ近くに泉浜緑地公園と言う大きな公園がある。春は桜、夏は市民プール、秋は銀杏並木と、古くから地域住民の憩いの場として広く愛されてきた場所だ。もちろん友里にとっても幼少の頃より友達たちとよく遊んだ馴染み深い場所だった。ここ最近も晴れた日には都のリハビリを兼ねて三人で頻繁に訪れていた。

 それはよく晴れた十二月初旬の日曜日。昼下がりのことだった。

 その日も都と咲希を連れて泉浜公園に来ていた。日差しこそまだ眩しくて暖かかったけれど、友里は吹く風の冷たさを頬に感じていた。また厳しい冬がやって来るのだと思った。

 公園の正面入り口を抜けて中央広場まで続くメインストリートの両側には黄金色に輝く銀杏並木がずっと続いている。通りは地面も見えないぐらい黄金色の落葉で埋め尽くされていた。

 その中を友里は、咲希を載せたベビーカーをゆっくりと押す。 

 たまに吹き抜ける木枯らしが地面の落ち葉を巻き上げる。幻想的な光景だった。

「きれい……」

 友里はただその光景をじっと見つめながら呟いた。それが一時の現実逃避であることはわかっていた。でも今少しだけ、ここでこうしていたかった。

「ミヤ、寒ない?」

「うん。寒ないよ。ママ、めっちゃ葉っぱや。葉っぱの海みたい。みんな黄色や。きれいなあ」

 友里は何も言わず、ただ微笑んで都を見ていた。初冬の園。友里と幼い子供たち三人だけのとても幸せなやさしい時間が流れていた。

 と、その時、静けさを打ち破るように友里の携帯が鳴った。

 いつ発作に襲われて動けなくなるかもわからない。あるいは都が癲癇を起こすかもわからない。そんな不測の事態に備えて三郎が無理やり友里に携帯を持つように命じた。

 その画面には実家の電話番号が表示されていた。父からだ。友里は眉間にきゅっと皺を寄せ、目を閉じて、恐る恐る耳に当てる。こめかみに蒼い静脈が浮き出て見えた。

「もしもし」

「友里、今どこや?」

「泉浜公園やけど」

「あんまり言いたくないんやけどな、今ここへ旦那さんが来てはるんや。今おれへんって言うたら戻るまでここで待つ言うたはるねん」

実は今朝方、実家に祐一から電話が掛かって来ていた。

 三郎が出て友里に取り次ごうとしたが、彼女は頑なに拒んだ。祐一は埒が開かないと思ったのだろう。とうとうここまでやって来た。

 友里の最も怖れていたことが起こった。その恐怖たるや尋常ではない。できることならばもう二度と顔を見たくなかった。どう考えても、今はもう自分の正気を保つのが精一杯な状況だった。 

「ごめん、お父さん、悪いけど、今は会いたくないねん」 

「友里、旦那はお前やなくて子供らに会いたいって言うてはるよ。どうする?」

「嫌っ! 会わせたくない。お願い、子供ら連れて行かんといて、お願い!」

 友里は咄嗟に大声で叫んでいた。手を繋いでいた都がびくっと驚いて友里の顔を見る。

「おい友里! 今は子供ら連れて帰るつもりはない! ただ様子を見に来ただけだ。第一、今俺が連れて帰っても何もできないだろうが!」

 祐一だった。受話器から洩れた友里の声を聞きつけて三郎の手から受話器を強引に奪い取ったに違いない。

「おい! 聞いてるのか? お前のやっていることは誘拐だぞ」

「そんな、そんな……ゆ、誘拐やなんて酷い! 都も、さっ、咲希もあたしの子ぉです!」

「とにかく、俺は子供たちの無事をこの目で確認するまでここから一歩も動かないからそのつもりでいろ!」

「そんな……」

 携帯を持つ友里の手がぶるぶると震える。

「おい、切るな! おやじさんに代わる」

「友里、ここはとりあえず一回帰って来なさい。旦那の思い通りにはさせへん。わしが付いてるさかい大丈夫や」

 どうしようもない。どうすることもできない。友里は思わず都の手をぎゅっと握った。

「ママ、痛い」

 都の表情が曇る。友里は握った手を慌てて緩めた。

「ごめん、ミヤ。お父さん、うちに来てはるんやて。ミヤ、お父さんに会いたい?」

 都は友里の顔色を窺いながら、そして少し淋しそうに、こくんと頷いた。

「もしもし、友里、もしもし、おい聞いてるか?」

 三郎の声が電話から響く。友里はじっと目を閉じて搾り出すように言った。

「うん。わかった。帰る。けど、ほんまに子供らはあかん」

「ああわかった」

 これ以上言うと三郎まで怒り出しそうで怖かった。仕方なく友里は今来た道をゆっくりと戻ることにした。

 家が近付くに連れ、友里の足取りはさらに重くなった。普段は気にもならないベビーカーさえずっしりと重い。

 次の角を曲がると家までは一本道だ。ゆっくりと角を曲がる。向こうに家の玄関の引戸が開けっ放しになっているのが見えた。中に人がいる。間違いない。祐一だ。彼は靴も脱がずにたたきに立って友里の帰りを、いや正確には子供たちの帰りを今か今かと待っていた。

(まさかここまで子供に会いに来るなんて……)

 都の手を引きながら、片手でベビーカーを押してゆっくり家に向かう友里。祐一も友里と子供たちを見た。しかし友里は目を合わせようとはしなかった。彼が不穏に満ちた空気を身に纏っているのを瞬間的に感じ取ったからだ。

                                続く
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み