第36話 生理的嫌悪感

文字数 1,842文字

華やいだテレビ画面から急に現実に引き戻される。何のことなのか僕には瞬時にわかった。やはり心のどこかでずっと気にしていたのだ。それはすぐに動揺に変わったが、静子に悟られまいと努めて冷静さを装った。

「聞いてるの? たぶん今日ぐらいからいけると思うわ」

 静子が食器棚の引き出しから小さなカレンダーを取り出し、僕に見せながら言葉を濁すことなくはっきりと言った。

 おそらくマタニティ雑誌の付録だろう。そのカレンダーの今日の日付のマスにはかわいい玉子のシールが貼ってあった。心中穏やかではない。僕自身から言い出したことなのに静子の目を直視できないでいる。

「ちょっと、わかってるの?」

「ああ」

「何、その気のない返事。ほんまに作る気あるの?」

「わかった。行くわ」

 やはり静子と目を合わすことなく、テレビ画面をじっと見たまま答えた。

 あまりに身近な存在になった時、僕の中で静子に対する性欲は厭わしいものに変わった。まるでそれは、母親や姉妹と交わす背徳の行為にも似ている。家族とはできない。だが僕は覚悟を決めた。

 ――深夜二時。

 住居は2LDKの間取り。夜は別々の部屋で寝ている。僕は六畳の洋室に、そして静子と直也はもう一方の和室に寝ていた。結局眠らないまま、僕は布団を抜け出して隣の和室へと向かった。

 まるで夜這いのようだ。音を立てないようにドアを開け、そっと中に忍び込んだ。

 エアコンの切れた室内は蒸し暑かった。そして人間の汗や吐息の臭いが、閉めきった室内に重く、濃く漂っていた。

 薄暗いナツメ球の下、汗だくになりながらも二人はよく眠っているように見えた。

(蒸し風呂やな、この部屋……)

 たまらずエアコンのスイッチを入れた。ピッと言う電子音に静子が目を開けた。いや、元より起きていたのかもしれない。だが彼女は何も言わず、僕の方を虚ろに見つめていた。  

 僕は彼女の目を見ずに布団に近付き、腹から下を覆っていたタオルケットをそっとめくる。

「あっ!」

 僕は思わず悲鳴にも似た小さな声を上げた。

 静子は上にTシャツを着ていたが、下には短パンはおろか下着すら付けておらず、薄暗い灯りの下、肉付きの良い真っ白な下半身がぼんやり浮かんで見えた。

 ちらりと静子の顔を見ると、彼女はうっすらと笑いを浮かべている。照れ笑いだろうか。再びむき出しの下半身に目をやる。かつて呆れるぐらい交わりあったその肢体なのに、今は思わず怯みそうになった。彼女の方がよほど肝が据わっている。

 そして始まった。心配したがそれはきちんと機能したことに我ながら驚いていた。だがそこには色気も何もない。もちろんキスも前戯もない。当たり前だ。僕に取ってその行為は愛の営みなどでも、百歩譲って、性的欲求を満足させるためでもないのだから。あるのは生殖に係わる単純作業のみ。

 とにかく暑かった。肌に汗が絡み付く。生理的嫌悪感。僕は雑念を払い、下半身に意識を集中させた。深く沈めるたびに子宮口の硬い隆起が何度も刺激する。その中の様子はまるで映像を見ているようにはっきりとわかった。

 静子が小さく声を上げる。その度に僕は隣で寝ている直也の方をちらりと気にする。

 思ったよりもすぐにその時はやって来て、ほんの一瞬、鈍い快感と共に僕の頭と心と体、そのすべてが一箇所に集まった。しかしすぐにそれぞれが遠く距離を置いてばらばらになった。それはあのプラスチック容器に射精した時と同じような感覚だった。

 事が済んで、僕は一刻も早くシャワーを浴びたかった。静子の陰部から溢れた粘液が絡み付いている。エアコンから吹き出される風を受けて、背中の汗は湿り気を残したまま急速に冷やされる。不快だ。でも静子にはきちんと労いの言葉を忘れない。

「疲れてるとこ、悪かったな。ありがとう」

「ううん。けど今回は、できるような気がする」

「なんで?」

「わからんけど、絶対大丈夫。できる。そんな気すんねん」

 あの嘴くちばしのような子宮口が放出した精を一匹残らず、すべて貪欲に飲み込んだに違いない。ふとそんなことが脳裏をよぎった。

「それやったらええんやけど」

「うん。大丈夫や」

 僕はむき出しの静子の下腹部をその薄い陰毛の上からやさしく撫でて、そしておもむろに二回、拍手を打った。

「何やそれ。神頼み?」

「うん」

 静子がにっこり笑った。そして言った。

「ちょっと、気持ち……良かったな」

 僕は逃げ出すように浴室へと向かった。

                                      続く

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