第77話 法外な数字

文字数 1,840文字

(公正証書について)

 電話でもお話ししました通り、離婚に際して、嘘偽りないように、すべて公正に書面にしたいと思います。そちらのマンションは分譲ではなく賃貸なので、借金も売却益もありません。主な財産も車ぐらいですが、私は免許を持っていませんので、車はそちらで取ってくださって結構です。その分を加味してそれ以外の養育費と慰謝料についてだけ書きます。

 一、養育費

 甲、天宮秀俊。乙、天宮静子とする。

 子供が十八才、もしくは高校を卒業するまでの間、月八万円を甲は乙に養育費として支払うこと。

 二、慰謝料

 甲は乙に慰謝料として金七百万円を支払うこと。もしくは、甲が慰謝料相応の中古マンションを一括または分割で購入し、乙及び乙の子供共々居住させること。

 三、親権について

 甲、もしくは乙、どちらか一方の親が、直也か遼太のどちらかを引き取り育てること。但し、もし甲乙どちらかに、予期せぬ出来事が起こり、養育することが不可能になった場合、そのときは、甲乙どちらかが二人の子供を引き取ること。

 四、子供との面会について

 月に一度の面会を許可するものとする。但し、一、二の項目に違反せずに遵守していることを前提とする。

 五、違約ペナルティ

 一、二の項目について甲の不履行により乙に損失が生じた時、乙は甲に対し、強制執行できるものとする。

 六、その他

 もし甲乙どちらかに、何らかの問題が生じた時は、甲乙双方が誠意を持って話し合いの上解決に努めること。

                                 以上



 僕は文面を眺めつつその気迫に圧倒されてしまった。これを静子が一人で書いたとは到底思えなかった。こう言った事情に恐ろしく精通している人間の存在を彼女の背後に感じずにはいられない。そして文面もさることながら、その実、その請求金額に唖然となった。僕は法外な数字を眺めながら思わず呟く。

 大人の行動には責任が伴うってか……。まったく苦笑いだ。だが後悔はしていない。自分のエゴが、静子と直也を引き裂き、直也と遼太を引き裂いてしまうことになった。その自責の念が、おそらくこれからずっと背負って行かなければならない十字架になると思った。

 けれど、もう引き返せない。僕自身が選んだ道はどんなに険しくても、それは、自分で選んだ道なのだから。

 僕は友里を選んだ。友里と共に歩こうと決めたのだ。あの冬の城崎の海に、「迷い」は捨てた。もし友里といっしょに居ることができなければ、この世界に居る意味はない。焼身自殺を図った上司のように、あの荒海にこの身を沈めるか、生きて戻って非道を突き進むかという選択で、僕は後者を選んだ。

 あの時点から後悔は一切捨て、それに代わって、償いが始まった。そして僕は今夜も店に出ているであろう友里のことを思っている。

 と、その時、携帯が鳴った。静子だった。

「もしもし、わたしです。手紙読んでくれましたか?」

「ああ、読んだよ」

「あの内容で同意してもらえるなら、公正役場にいっしょに行って証書を作成してもらいたいんやけど」

「……わかった」

「手紙にも書いたけどね、ほんまは、どっちもわたしが引き取りたいねんけど、生活面とか、直也の障害のこととか、ちょっとしんどいと思う。それはきっとそっちも同じやと思うわ。せやから、私、生後半年の遼太だけ引き取って育てようと思うねん。一応、直也にはどっちに行きたいか聞いてみるけど。ただし、もしどっちかに、何かあって、育てることが無理になったら、そのときは、両方を引き取ることにしようと思う。いろいろ不満はあるやろうけど、でも、お金のことだけは、私は譲る気はないから……」

「わかった。それでいい。公正役場へ行くよ」

「ほんなら、こっちでまた日を決めて連絡します」

「あ……」

「何?」

「ひょっとして、村井さんの勤め先とかに、変な噂とか流してないか?」

「はぁ? 何それ」

「いや、それならええ」

「何やの、変な言い掛かりやめて」

「その噂のおかげで店クビになったんや」

「あはは、ええ気味や! じゃあ」

 そこで電話は切れた。

 友里の店に悪い噂を吹聴したのが静子であるのかどうか、その真偽は定かではない。ただ、静子の心の奥底には、未だドロドロに溶けたマグマのような怒りが爆発寸前である。

 なぜ人はそこまで強い怒りに支配されるのか、未だ他人事のように捉える感情の薄い僕には理解できなかった。

                                     続く
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