第83話 最後のお客にならんといて

文字数 2,489文字

 ここで少し僕のスケジュールを書いてみたいと思う。友里は午後に家を出て、戻るのは毎日、午前一時を過ぎる。当然ながら朝の子供たちの世話は僕の役目となった。

 友里の長女、都は、堺の小学校から住民票のある元の生野区の小学校へと、小学二年の五月半ばで転校となった。咲希はひかりの家に戻り、そして直也は住まいのある校区の小学校へ通う。つまり三人の子供たちが三人共、別々のところへ通うのである。幸いなことに、直也の通うのは校区の小学校だったので、朝は集団登校の上級生が家まで迎えに来てくれた。その子に直也を託し、急いで都と咲希をそれぞれ車で送って行くのである。

子供たちを皆学校へやった後、その足で僕は職場へ向かい、そして夕方、僕は仕事を一度抜け出して、朝とは逆に都、咲希、直也の順番で迎えに行く。もちろん夕食も僕の分を含めて毎日四人分の食事を作った。夕食を済ませて、僕は再び職場へ戻り、夜九時過ぎに家に戻った。それから子供たちを風呂に入れ、溜まった洗濯や掃除などの家事をこなし、深夜一時に寝られれば良い方で、だいたいが二時を過ぎてようやくベッドに入るのである。

そしてすぐに朝はやって来る。夏休みなどの長期休暇は、学童保育のため、給食はないので、この上に弁当作りが加わった。いつ終わるとも知れぬハードなスケジュールに僕は翻弄されて、しんどい、疲れたと思う間もないほど多忙を極めた。目を閉じて一分あれば眠りに落ちる。そんな生活が続いた。

 一方、友里は何をしているのかと言えば、毎晩深夜に戻って、昼まで寝ていることが多くなった。この頃より友里の精神状態はさらに重症化の一途を辿っていた。彼女の職業も、おそらくまともな精神の女性が就いたとしても相当に神経をすり減らすのだろうが、元々精神疾患のある友里ならそれは尚更に違いない。

ある日の夜、店から戻った友里はいつも以上に疲れた顔をして僕に言う。

「もし、できたらでええんやけど、店終わったら、近くまで迎えに来てくれへんかな」と。

 僕はにっこり微笑みながら「わかった。行くわ」と答えた。

「ほんなら悪いけど明日の夜一時に、御堂筋の道頓堀橋南にあるロイホ前まで来てください」

 それは僕が知っている甘えた友里のしゃべり方ではなく、冷え冷えとした敬語口調だった。その一言を残して友里は寝室へ消えた。僕は慌てて後を追う。

「何?」

「シャワーはええの?」

「ごめん、朝浴びるわ」

「…………」

「まだ何か?」

「あの、したいんやけどあかんかな?」

「今日最後のお客にならんといて」

 そう言って友里は向こうを向いて寝てしまった。

 怒りとも哀しみともつかない、持って行き場のない感情が生まれた。僕はただ虚しかった。

 翌日の夜から友里のお迎えに行くことになった。店の終わる時間、御堂筋で車を端に寄せて友里を待っていると、まるで自分がデリヘル嬢を送迎する雇われドライバーになったような気がして、何ともやるせない気分になった。

 しかしそんな暗澹とした気持ちよりも、疲れ切った体は、わずかな時間で寝落ちしそうになる。それはつまり、僕のびっしり詰まったスケジュールの中の『睡眠』の枠の一部に『友里のお迎え』が組み込まれたと言うことだ。

 

 それからの毎日が目まぐるしく過ぎ去り、あっという間に半年が過ぎた。だがしかし、その間にも、友里の精神状態は、改善の兆候を見せず、逆に悪くなる一方だった。

 仕事中であろうが家で料理を作っている最中であろうが、そんな僕の事情などお構いなしに友里はSOSを僕に送った。しかも近くでも遠くでも、車で迎えに行ける場所ならどこからでも友里は僕を呼びつける。

 その度に、召使いも同然に僕は車を走らせた。タチの悪いことに、僕はそれを嫌だとは思わず、逆に嬉しいとさえ感じていた。

 さて、友里の病気を悪化させる要因はたくさんある。夜の特殊なサービス業ももちろんその一つであるが、最も要因となるものに、夫との離婚協議があった。

 親権の問題で揉めていたのだ。都と咲希の二人をどちらが引き取るかである。夫の思惑は、新しい彼女を家に迎え入れて、友里の代わりに二人の子供の面倒を看させるというものだった。

 その母親代わりの彼女は、前述の都、曰く『メロディさん』であった。もう十年以上も前に、バンドマンだった、夫、祐一の追っかけをしていた頃からの因縁である。

 友里はメロディさんを忌み嫌っていた。百歩譲って、二人の子供の父である祐一だけならまだしも、そんな女性が自分の代わりに都と咲希の世話をするなどと考えただけで虫唾が走った。

 絶対にそれだけは許せないと思っていたので、離婚協議ももう二年近く続いていた。友里は何度も家裁に足を運び、その度に子供は譲らないと申し立てをする。

 僕はできるだけこの二人の問題に関して傍観者でありたいと願っていた。それはいつも通りの厄介事、諍い事から逃げ回る僕らしい姿勢である。

 しかしどんなに避けようとしても、それらは向こうの方から詰め寄って来る。それこそが難題を吸い寄せながら生きる自分の人生であると僕はわかっていなかった。

 僕はもう半年以上も都と咲希の幼い二人の子供の面倒を看て来た。好むと好まざるに関わらず、そうなってしまったのだ。これも否応の無い外部的要因に違いない。

 しかし無我夢中で子供たちの世話をするうちに、僕に父性本能とも呼ぶべき不思議な感情が湧き出していた。そんなある日のこと。

 友里から僕に相談事があると言われた。

「今度の日曜が都の学校の運動会なんやけど、あたしその日、お店の撮影会でどうしても行かれへんから、悪いけど代わりに行って写真撮ってくれへんかな?」

 撮影会。つまり以前僕がネットで見た店の看板写真か、あるいは風俗紹介雑誌の売れっ子嬢のグラビアモデルなのかもしれない。嫌な想像をしてしまったが、もちろん僕は断りはしない。

「ありがとう。都の写真いっぱい撮って来てな」

 友里はにっこり微笑んだ。

 と言うことで、僕は都の小学校の運動会に見学に行くことになった。

                                   続く
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