第13話 二人きりのゴール

文字数 3,108文字

その後の処理の手早いこと。さすがこういうことに慣れた集団だ。そして直也は何事もなかったように再びテレビの前に座った。

「直也、パパに嫌がらせしに来たんちゃうか? なかなか相手してくれへんから」

「ほんまや! けど笑わせてもろたわ」

 皆、底抜けに明るい。これが、この明るさが、静子の心を救っているのだと思った。

 会は終焉を向え、洗い物から片付けまでメンバー全員が協力して終わらせた。静子も僕もその手を煩わすことはなかった。そして皆、礼を言い合って、明日からの生活をお互いが心から励まし合って帰途に着いた。

 後には静寂が戻った。まるで嵐の後のようだった。

「今日はほんまにありがとう。我慢してくれてほんまにありがとう」

 静子が僕に改まって礼を述べた。僕は何も言えなかった。

 僕たちは明るい日の光が燦々と降り注ぐ急峻な尾根の道を一歩一歩登っていた。その道は、おそらくは、高みを目指す正しい道。しかし道は険しく、足元は荒れに荒れていた。今にも崩れそうな足元を一生懸命踏み固めつつ、少しずつ少しずつ前進していた。でも、目の前の荒れた道を整地する作業に少々疲れて来ていたのも事実だ。 

 ふと横を見ると、薄暗い谷へ続く、下り坂が見える。その道は楽そうで、とても魅力的に見えた。



   7



 一九九八年  秋   

 運動会シーズンがやって来た。もちろんひかりの家でも開催される。当然ながらここでの参加者の多くが障害を持つ子供たちとその父兄だった。

 ここの運動会と他所の運動会の違う点は、その異常なまでの意気込みの高さ、及び結束力の強さだろう。参加する子供からその父母、兄弟、祖父母たちに至るまで、まさに家族ぐるみで一丸となって臨んでいる。中途半端な気持ちの者はほぼいない。極端な父兄になると、練習から予行演習、本番まで欠かすことなく毎日見学しに来る。

 ひかりの家は保育園代わりの施設ではない。つまり仕事で子育てのできない親が子供を預ける場所ではなく、あくまで就学前の障害児を主とした発達支援施設として子供を預かるのである。片時も休むことが許されない障害児介護に疲れた親たちに休息の時間を持てるようにとの配慮である。

 福祉行政の有り難味がよくわかる。一般的なことを言うなら、老人介護もそうだが、福祉施設とは介護や育児をする人たちに取って、なくてはならない憩いの場所なのだと思う。それは静子を見ていてよくわかる。

 と言うことで、ひかりの家には働いていない母親や祖父母たちが業務時間中に頻繁に出入りしている。それもまるで第二の我が家のように、皆家族であると言った風にごく当たり前に出入りしている。

 そしてこれは運動会に限ったことではないが、そういったイベント事があると、その度、尋常ではない力の入れ方をする。まるで燃え盛る炎のごとくの盛り上がりを見せる。恐ろしいまでの連帯意識だ。

 それはうまく利用すればこれほど心強いことはない。子育てする上で何らかの問題が発生した時はもちろんのこと、その他、福祉に係わる行政の支援を受ける(行政はこちらから積極的に申し出ないと何もしてくれない)に当って煩雑な手続き方法や、どうすればよいかがわからない時などは親切に、且つ適切なアドバイスをもらえる。

 しかしもし、彼らを敵に回せば――。

 何か人道に反する問題が起こった時、彼らの怒りは尋常ではない。

 一人が何らかの被害を受ければ、電話一本で知り合いたちが出て来る。みんなまったくの赤の他人だ。それが我が事のように他所の家の問題に首を突っ込む。

 ふと僕は思った。虫に例えて申し訳ないが、一匹の蜂を攻撃したら瞬く間に何百何千と言う仲間が巣からわっと出て来るような、そんな感じだ。いつか自分にその矛先が向けられるのではないかと戦々恐々としていた。

 

 そして運動会当日がやって来た。

 爽やかな晴天に恵まれた絶好の日和だった。青く澄んだ秋の空が広がり、どこからか金木犀の甘い香りが漂って来ていた。

 会場の大きさはテニスコート場ぐらいしかなかった。運動場ではなく広場と言った方がしっくりと来る。たぶん一周百メートルもない小さなトラック。そのトラックの中央にまっすぐなコースが白線で引かれている。スタートからゴールまでの距離は短く、健常者ならば全力で走ったらあっという間に着いてしまうだろう。しかしここでは長いコースなど必要ない。

 外周のトラックを取り囲むように保護者席が設けられている。見渡せば、競技に参加する子供よりも席を埋め尽くしている父兄や関係者の数の方がずっと多いように思えた。

 狭い会場なので大勢の人の表情までよく見える。それは逆に自分も他人からしっかり見られていると言うことに他ならない。



「なあ、あの男の人、誰?」

「ああ、あれって静ちゃんの旦那さん違う?」

「ええ、そうなん? あの人が噂の直也のお父さん?」

「そうそう」

 

 このようなやり取りが父兄の間で行われているような気がしてならなかった。その居心地の悪さを打ち消そうと、僕はバッグから三脚と長期月賦で購入したニコンを引っ張り出して望遠レンズに交換した。当時ハンディカムが主流の中にあってアナログの一眼はきっと目立つはず、と一人よがっていた。

 そして直也が走る番になり、僕は重厚なカメラを構える。その望遠レンズの先には直也と静子の姿があった。嫌がる直也を静子が強引に引っ張り、最後はほとんど静子に抱えられるような格好でゴールを切った。その途端に会場から大きな拍手が湧き起こった。

 僕は拍手もせずに、これこそが父親の運動会での姿。世間一般の運動会にやって来た父親たちは皆一様にそうするものだろうと、どこで得た知識なのか必死でそのステレオタイプをまねた。 

 いや、写真を撮ることが、その時の僕に与えられた任務だと思っていた。つまりそれ以外にここに居る意義はないし理由もない。

 つまり僕は、心から我が子が可愛いという衝動からシャッターを切るのではなく、妻や、妻の親、僕の母親、まわりの人すべてに、自分のその親バカぶり、ではなく、〝親バカのふり〟をアピールしたかった。

 でもそれは大きな勘違いだった。

 昨夜のことだ。申し訳なさそうに静子が僕に尋ねる。

「明日、来てくれるのん?」

「行くで、もちろん」

「そう。すみません。よろしくお願いします」

「しっかり写真撮りに行くから」

「……うん、わかった。ありがとう」

 でも本当はあの時、静子は僕が写真を撮ることなどどうでも良かった。

 ――ねえ、覚えてる?

 ――あたしな、あの時、ほんまはあんたもいっしょにな、三人で走ってほしかってん。

 ずっと後に静子はこう言った。

 ここに通っている子供たちはそのほとんどが自力でゴールまで走れない。だから家族がいっしょに参加することが認められていた。

 あの時、直也のほかにもう二組の親子が走っていた。そのどちらもが親子三人でゴールを目指して一生懸命走った。けれど静子は直也とたった二人切りでゴールを目指した。

 子供一人では何もできない。でも家族でならできる。写真やビデオを撮ることなど他の誰でもできる。けれども、一緒に走り、ゴールすることは、静子と直也と、そして僕でなければできないことだ。 

 それは静子にとって、家族として力を合わせることが試される場であるような気がしていた。

「ほら、直也ぁ! ちゃんと走りなさい。お願いやから走って!」

 静子が嫌がる直也の手を強引に引っ張っている時、彼はずっとカメラのファインダーを覗いていた。それが静子にはたまらなく淋しかったのだろう。

                                    続く

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