第14話 出会い

文字数 1,659文字

 直也たちがゴールを駆け抜けたその後、すぐに次の競技が始まった。会場は割れるような拍手と歓声に包まれ、そしてコース上には車椅子に乗った一団が登場した。次の種目は車椅子競走らしい。

 まったく歩けない子供を乗せた車椅子を保護者と同伴の係員が押して順位を競う。競うと言っても安全を考慮して普段よりも少し早足で押してゴールを目指し、順位などはどうでも良い。

 よく見ると、その中に見覚えのある小さな男の子とそれを押す母親らしき女性が一人。ぴったりと体にフィットしたジャージ姿は妙に色気がある。伊藤さんだ。彼女は時折立ち止まり、その子に何かを真剣に話しかけながら必死にゴール目指して押しているが、男の子の方はぐったりした様子でぴくりとも動かない。

 望遠ファインダーの中のその目はまるで死んだ魚のように、どこかを見ているのか、あるいはどこも見ていないのか、ただぼんやりと周りを眺めていた。僕は見てはいけないものを覗き見したようで、思わずカメラから顔を上げる。

 ゴールが近付くに連れ、人々は皆その二人に高らかな声援を送った。

「ガンバレー もうちょっとや! ガンバレー」

 僕は再び望遠レンズでその親子を追う。僕の中に二人の人間が混在していた。一人は、「頑張って! あと少し! 頑張って!」と、声援を送り、もう一人は、「大人の自己満足や。茶番やな」と、冷たい言葉を吐いていた。一体どちらが本当の僕なのだろう。

 二人が無事ゴールした時、更なる声援と惜しみない拍手が贈られた。そして静子はその親子のところへ駆け寄って行った。直也を抱きかかえて、にっこり微笑みながら。

 どうか、自分のところへ来ませんように、と僕は願っていた。と、その時、僕の横でひとりの女性が、まるで不安な僕の心を見透かしたように話しかけて来た。

「あの子、翔一くんて言うねん。翔一君な、生まれた時は普通の子やってんけど事故でな、命は助かったけど、後遺症であんなふうになってしまってん。自分では、体を動かすこともできへん。食べ物も、水も飲まれへんねん。長いこと横向きで寝ることもできへんねん。痰が気管に入るからなんやって」

「あ、知ってます」

「そう」

「ええ、前にうちに遊びに来たことがあって」

「ああ、そう言うたらそんなこと言うてやったわ。あたしは行かれへんかったけど」

 僕はあの夜、伊藤さんの『誰からも返事来えへんかってん。あはははは!』の持って行き場のない笑い声を思い出して次の言葉に詰まった。

「はじめまして、直也君のお父さんですよね?」

「あ、はい」

「いつも奥さんからお伺いしています。あたし村井友里(むらいゆり)って言います。よろしくね」

「あ、はい。こ、こちらこそ」

「あ、なんか緊張してます?」

「あ、いや、こちらこそ、いつもお世話になってます」

 友里はにっこり微笑んだ。やさしそうな大きな瞳。だが、そのつぶらな瞳の奥に、僕は何か、頭では説明のできないものを感じ取っていた。

 彼女には五才と三才の二人の娘がおり、どちらもひかりの家に通っているらしい。そして下の子は健常だが五才になる長女は重度の癲癇(てんかん)持ちだと言った。

 彼女は僕が一言もしゃべらないのに一方的に話す。驚くほどマイペースだ。

 ――村井友里、不思議な女性……。

 これが僕と友里の出会いだった。何の変哲もない普通の出会い。それは子供の父兄同士の運動会でのありふれた挨拶だった。

 ふと見ると、直也をその手から下ろした静子が、こっちへ来いと手招きしていた。僕は友里との会話もそこそこに二人の方へゆっくり向かう。直也が車椅子の翔一君に顔を近付けて不思議そうに覗き込んでいた。

 僕は翔一君に何と話し掛ければ良いのか。伊藤さんにどのような労いの言葉を掛ければいいのかと思い悩んでいた。

 体は近付くにつれ、心はどんどん遠ざかっている。気が重かったが、顔では笑っていた。前にもこんなことがあったような気がしていた。そんなことあるはずもないのに、とても不思議な気持ちだった。

                                     続く
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