第97話 永遠の愛

文字数 2,972文字

僕の生活は以前と変わらず、仕事、家事、育児の三つで構成されている。夕方に一度職場を抜けて直也を学校に迎えに行き、夕食を作り、直也に食べさせてから再び職場に戻って、し残した仕事を片付けてから家に戻った。

 家に戻ると午後十時にはなる。そこから家事をこなし、明日の用意をすると、寝るのは一時を軽く回った。

 毎日変わらず同じことを繰り返していた。時間はまるで砂時計の砂のように、さらさらと流れ落ちた。僕はただ一生懸命だったのだ。

 そのような多忙な生活を送っているものだから、季節は巡り、あっという間に二年が過ぎようとしていた。

 友里は、と言えば、精神状態は一進一退を繰り返し、その間も僕が救援に向かうことも度々あり、また短期であったが入院することも二度ほどあった。

 基本的には友里は佐伯の家で暮らしてはいたが、もちろん秀俊との付き合いも依然として継続中であった。その点は何も変わらない。

 三日会えないと淋しい。

 一週間会えないと苦しい。

 三週間会えないと、狂ってしまう。

 一ヵ月会えないと、少し楽になる。

 二ヵ月会えないと、少しずつ、思い出へと変化する。

 けれど、大体一ヵ月過ぎる頃、まるで僕の心を見透かすように友里から、「迎えに来て」のコールがあり、僕は長く放って置かれた飼い犬のように、千切れんばかりに尻尾を振って彼女の下へ駆けつける。

 待ち合わせの時間よりも、いつも早く行って彼女を待ち続ける。十分でも二十分でも三十分でも一時間でも。

 友里は来ないことも何度もあった。けれど僕は待ち続ける。一番初めに、友里と待ち合わせした、あの上本町のドーナツショップ。あの時も、彼女は三十分遅刻していたけれど、あれから僕はずっと友里を待っているような気がする。

 誰かが、人生とは「待つこと」と言っていた。生まれてから必ずやって来る「死」をみんなが待っている。けれど、その待ち方がきっと問題なのだろう。

 友里を待つことが、僕の人生だとは思わない。けれど、今はどうしようもなく、ずっと彼女を待っている。本当は僕を待ってくれている人が、きっといるのに。

 あまりに待ちぼうけを食わされて、僕は友里に聞いてみた。顔では冗談を装いながら、内心、至って真剣に。

「俺、おれへんようになったらどうする?」と。

 友里はじっと僕の目を見つめ、たった一言言葉を発した。

「……困る」

 困るのか。それは僕の聞きたい答えとは程遠い。

 いや、そんな答えなどどうでもいいから、ただ、否定してほしいと僕は思った。「嫌!」でも「なんでそんなこと言うの?」でもいいから。

 その「困る」は、なんて無機質な響きがするのだろう。真冬の冷え冷えとした空気みたいな言葉だと思った。

 僕の心にほんの少しではあるが、変化の兆しが見え始めている。僕は考える。なぜなのだ! と。もうここまで来ているのに、なぜ自分はここでぐるぐると回っているのだ! 

 それでも友里を愛しているのか。まるで友里は気まぐれな猫のようじゃないか。捕まえることなんて誰もできやしない。気が向けば、帰って来て、お腹がいっぱいになれば出て行く。

 では僕は一体、どうしたい? 彼女をどうしたい? 結婚して家に閉じ込めておきたいのか? 僕だけのものにしたいのか? いやそれは違う! 絶対に違う。

 ならば本当は、この状況を最も楽しんでいるのは僕自身なのではないのか? 人を傷つけるのが恐いと言いながら、本当は僕自身がその罪悪感を背負いたくないだけで、自分が一番かわいいのではないのか?     

 そんな時、僕の心に波紋を投げかける出来事が起こった。それは別れた静子からのメールだった。 「忙しいときにすみません、遼太のことです。今まで、そうかなと思っていましたが、やはり、そうでした。直也と同じ障害です。幼い頃の直也ほどではありませんが、今日、児童相談所の判定を受けに行って来ました。〝B1〟でした。またそちらにもお世話を掛けるかもしれませんが、よろしくお願いします」

 やはりそうなったか。もしやとは思っていたが、また新たな波がやって来た。まだまだ幼くあどけない遼太の顔が僕の脳裏を横切る。もう逃げない。遼太を守らなければ。





 それから何日かたったある日、僕は会社の先輩の紹介で、とある占い師と会う機会があった。その占い師は僕より少し年上の男性で、名前をSORAと言う。本名は知らなかった。僕は付き合いの意味もあり、半ば義理で鑑定をお願いすることになった。

 実際、僕の人生において問題は山積みだったし、今現在、迷いに迷っていたことは事実だったが、僕は占いなどとというものは、ある意味、目安にはなってもその通りに行くものではないと考えていた。

 確かに、僕自身、スピリチュアル系はけっこう信じている方なのだが、人生の問題となると話は別で、人の言うことや占いは、助言としては受け入れるが、最終的に決めるのは、自分自身であると思っていた。

 その場所は占いの店などではなく、よくありそうなテナントビルの、ごく普通の小さな応接間と言った感じの一室であった。

 ソファーに対面で座り、SORAはワイシャツにネクタイという、こちらもごく普通のサラリーマンのようなスタイルで、腕まくりをしたSORAの手元には占いらしいものと言えば、小さなカードの束が一つ置かれているだけであった。僕は占いと言えばもっと仰々しいものかと思っていたが、その予想はあっさり外された。

「何かお聞きになりたいことはありますか?」

 SORAは尋ねた。僕はまず、自分が今悩んでいることについて話すことにした。それは友里のこと、直也のこと、遼太のこと、別れた妻のこと。そして、自分の将来のことである。SORAはその各々の人についてのカードを切った。

 友里と僕はどうなるのか、どうするべきか、本当に僕は友里のことを愛しているのか。それは僕自身の心の問題であるのに僕自身がその真意を測りかねていた。

 ところが、SORAは僕の悩みとはまったく違う質問を問いかける。

「あなたは、別れた奥さんのことはどう思っていらっしゃいますか?」

 僕にはその質問の意味がよくわからなかった。僕の聞きたいことは、静子のことではなく友里のことだ。

「え? それは、どういう意味ですか?」

 僕は問い返す。

「ええ、まだ気持ちはお持ちですか? その、別れた奥さんに対して」

「いいえ、もう気持ちは離れました」

 僕は答える。というか、初めから愛などは持ち合わせてはいなかったのかもしれない。友里に出逢うまで、僕は心から誰かを愛することができない人間だったからだ。

 SORAは少し怪訝そうな顔をして、首を傾げながら言う。

「んー、それはおかしいな、カードでは『永遠の愛』と出ているんですけどね……」

「え?」

 まさか、そんなはずはない。それは何かの間違いだ。僕は静子を思い出し、再び彼女と一緒に居ることができるかどうかを想像してみたが、想像するだけでかなり疲れた。

 やはり無理だ。けれど遼太のこともある。放って置く訳にも行かないのも事実である。そして肝心の友里に関しては、結局、はっきりした答えを貰うことはなかった。ただ、その『永遠の愛』だけが、僕の頭にこびり付いて離れなかった。

                                   続く
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