第43話 わたしはここにいるよ

文字数 2,069文字

僕が何となく死について理解したのは、この都とそう年の変わらない子供の頃だった。あれは早くに亡くなった父の告別式の出棺前のことだった。母に言われるままに、小さな僕が棺の中の父の亡骸に、一輪の百合の花をそっと手向けた時のこと。

「こんな小さな坊やがおるのに」と周りを取り囲んだ人々が一斉に声を上げて泣き出した。

 母も泣きながら子供だった僕に、「よく見ておきや。もう最期やから。もう見られへんから」と言ったけれど、僕は父の亡骸を見てもなぜか悲しくはなかった。よく眠っているようで、またすぐに会えそうな気がしていた。

 なぜもう会えないのか。不思議な、とても不思議な気分だった。でもやはり母の言った通り、それ以来父は帰って来ることはなかった。そして少しずつ理解した。死とはもう二度と会えなくなることなのだと。

 都が僕の答えを待っている。

「あのね都ちゃん、翔一君とはね、もう二度と会うことはできへんようになったんや」

 ようやくそう伝えた時だ。

「そう、やっぱり死んじゃったんだね」

 わずか五才の都は、僕の意表を突くようにあっさりとした口調で言った。

「え? 都ちゃん、それどう言うことか知ってるの?」

「死んじゃったんでしょ? 翔一くん」

「うん。でも都ちゃん小さいのによくわかるね」

「わかるよ。ミヤ、前に入院した時な、隣に寝てたおじいちゃんが寝る前にはおしゃべりしてたのに、朝が来る前にベッドで血をいっぱい吐いて死んだんだよ。ほかにもミヤのいた部屋の人何人も死んだよ」

「え? 壮絶やな、それ」

 都の答えは僕の考えの遥か上を行く。一生懸命考えあぐねた末に出した答えに何の意味があったのだろうか。

「朝になってな、看護婦さんに隣の人死んだの? って聞いたら、何て言うたと思う?」

 僕は答えられなかった。この会話は普通ではない。しかも都はまだたった五才だ。ここに通う人は皆、何かしら修羅場をくぐりぬけて来ていると感じた。ここはそう言う場所だ。たとえ幼い子供であってもそれは同じこと。僕は都の頭部に装着されたピンク色のヘッドギアを見つめながら言葉を失っていた。

「わからない? 教えてあげるわ。あんな、ミヤちゃんは大丈夫やで、そやし、亡くなった人はな、また新しい命、神様からもらえるからって」

「都ちゃん、僕にはそんなこと言われへんわ」

「直也のお父さん、大人やのに。知らなかった? 死んだらな、また新しくなるねんで。だから翔一くんも新しくなるんやで」

「そうか。よっぽど都ちゃんの方がよくわかってそうやな」

 都は得意げににっこり笑った。一体この子に何があったんだろうか? その過去にとても興味を持った。常日頃それに携わる仕事でもしていれば話は別だが、日常の中に普通に〝死〟というものが存在していると言うことをまざまざと見せ付けられた。ここはそんな場所なのだと僕は改めて思い知った。

「ごめん、お待たせ。咲希大丈夫やった?」

「ええ。村井さん、一体何を聞かれたのですか?」

「うん、まあ、ちょっとな」

 友里の表情はすぐれない。

 友里が何か言いかけたその時、再び近藤がやって来て事務的に言った。

「いろいろお騒がせしてます。伊藤さんね、なんとか検死だけで終わるみたい。こんなこと言うのもアレやけど、事故扱いで済んでホッとしたわ」

「検死だけ? 事故扱いって? 近藤さん、もしかしてこういうことって、ここでは割とあるようなことなんですか?」

 僕も事務的に聞く。

「いや、そんなにはないよ。伊藤さんはちょっといろいろあって、特別やねん」

「何があったんですか? さっき村井さんもそんなようなこと言うてましたけど」

「ごめん、プライベートなことやから、わたしの立場ではこれ以上は、な」

 その時二人の会話を遮るように友里が呟いた。

「事情聴取とか、検死とか、最低や」

 二人は友里を見た。もうほとんど泣きそうな顔だ。

「伊藤さん、ほんまに翔一くんのこと一生懸命に育ててやったのに。翔一くんのこと、ものすごく愛してやったのに」

「村井さん、その思いは村井さんだけやない。わたしも、ここにおる人みんなも、同じこと思ってるよ。伊藤さん、翔一くんがあんなことになって、ほんまはものすごく悲しかったんやと思うけど、誰に頼ることもなくて、たった一人で一生懸命育ててやった。いっつも笑ってやったけど、心はしんどかったと思うよ。誰でもいいから聞いてほしかったと思うよ。それは村井さんも、天宮さんの奥さんもいっしょやで。みんなしんどい。けど、泣き言一つ言わんと必死で頑張ってるんやで」

 近藤の言葉は一つ一つに重みがあった。それはここでずっと見守って来た人だけが言える言葉だと思った。そして友里は静かに泣いていた。

 伊藤さんのやり場のない〝母の悲しみ〟が、きっとそうさせているのだと思った。都が友里の涙を見上げながら、その袖口をぎゅっと掴んでいた。僕にはそれはまるで、『心配しなくてもいいよ。わたしはここにいるよ』、とやさしく諭しているように見えた。 

                                     続く
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