第19話 わたしが、やらなければ!

文字数 2,123文字

さて、在京五年が過ぎ、さらに半年が経った頃、祐一の高校の同級生で、同じく音楽に身を投じていた衛藤一馬えとうかずまと言う男が、大阪で、とある芸能事務所にスカウトされたことを風の便りに知った。祐一の心には、友を祝福する気持ちよりも先に悔しさが広がった。

 ――なんであんな奴が。国にいた頃は自分の方がずっと優れていると自負していた。そいつが、自分よりも先に一旗揚げたことで彼の自尊心は傷ついていた。東京ではなく、所詮は大阪という地方都市だからだ、と自分に言い訳しつつ、本当は悔しくて悔しくてたまらなかった。

 だから衛藤一馬からこっち(大阪)で組まないか? と話を持ちかけられた時、自慢の鼻っ柱をへし折られて、祐一の心は相当に傷付いた。

 しかし彼は元来頭が良い。いや、ずる賢いと言うべきか。

 ――自分は決して負けを認めたわけではないが、このままここ(東京)にいればおそらく何も変わらないのではないか? 夢は引っ越し屋のプロになることではなかったはずだ――と、考えを改めるに至った。彼には何かにつけ自分を納得させる理由が必要だったのだ。

 実際、上京して五年、妥協すべき時期が差し迫っていたことも事実だった。人生には、自分が動かなくても外部的要因によって強引に押し流されて行く時もある。祐一は、それが今だと感じた。

 ――そうだ、俺はあいつに媚びるのではない。利用してやるんだ。

 そうして祐一は、一馬を頼って来阪することになった。

 来阪してからの祐一は、誘ってくれた相方、ギターと曲を担当する一馬とペアを組んで再び失いかけていた夢に向かって歩み出した。

 しかし当然ながらそう簡単に売れるはずもなく、日銭を稼ぐため、そして名前を売るためにどんな小さな仕事も引き受けた。いわゆるドサ回りだ。飲み屋、ショッピングセンター、小さな遊園地、等々、声が掛かればどこへでも出かけた。スズメの涙程度のギャラだったが、それでもまだ東京にいる時よりは音楽で金が貰えるだけましだった。

 そして途中、前述の通り友里と出会った。例の近鉄百貨店の屋上だ。

 最初は友里の一方的な片思いだった。まるで若い通い妻のように友里は祐一の部屋へ足繁く通った。やがて若い二人はその本能の赴くままにずるずると同棲を始める。

 もちろんこれと言った将来的な計画も何もない。お互いがその傷を舐め合うようなそんな自堕落な生活が三年続いた。二人きりならそれでも良かった。

 しかし精神的にはいくら幼くてもその肉体は、新しい命を育むには十分熟していた。朝と言わず夜と言わず、覚えたばかりの快楽の虜となっていた二人だったから、友里の月のものが姿を消して三ヶ月経ち、漸く事の重大さに気付く始末だった。

 友里の話に戻りたい。

 友里、二十四才。祐一との出会いから七年が経った。その間、友里は祐一と正式に籍を入れ、姓も西田から村井に変わり、そして祐一との間には長女、都みやこ、次女、咲希さきの二人の娘を儲けていた。

 実家では母、幸子が一時期体調を崩して長期に入院したこともあって、それを機に父、三郎は豆腐屋を廃業し、今は夫婦二人、年金暮らしののんびりとした日々を送っていた。

 それは、友里が下の子、咲希を産むために三才になったばかりの都を連れて実家へ里帰りしていた時のことだった。無事出産も終わり、おおよそ一ヶ月が経とうとしていた頃。

 まだ咲希が生まれてひと月足らずだというのに、夫、祐一はそんな彼女を自宅へ呼び戻そうとした。自宅へ帰れば容赦なく家事と育児が、産後間も無い彼女の上にのし掛かるだろう。それは当然のこと。彼女はわかっているつもりだった。

 しかし、他所と少し違っていたことは、長女の都に少し問題があったということ。三才になる都は、いつも泣いては彼女を困らせ、また突然に大声を上げたり、高いところへ登ろうとしたり、少し普通ではない奇行がしばしば見られた。

 友里はそんな都をとても心配して、もしかしたら、何らかの障害があるのではないかと不安に思っていた。

 祐一はそんな彼女の心配をよそに、仕事と自分のやっている音楽活動に持てる時間のすべてを注ぎ込み、家事、育児など、どんなに彼女がしんどいときでも、ほとんど手伝うことはしなかった。

 九州の典型的な男尊女卑の旧家に生まれ、それを幼い時から見て育った祐一にはそれが当たり前だった。

 ある時、彼女はもうどうしようもなくなって、祐一に相談したことがあった。しかし、祐一は彼女の頼みに対して予想もしていない言葉を返した。

「俺は外で一生懸命やっているんだ。家で、子供たちと楽しく遊んでご飯を食べているお前にそんなこと言われたくない。俺が一度でもお前に俺の仕事がしんどいから手伝ってくれと頼んだことはあるか?」

 それを聞いた時彼女は、腹が立つよりも、やるせない思いでいっぱいになって、それ以来、祐一に助けを求めるのは筋が違うと思うようになった。  

(わたしが、やらなければ! わたしが! わたしが!)どんどん彼女への精神的負担は大きくなっていくばかりだ。
                                    続く
                           
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