第88話 付き添い

文字数 2,796文字

そうこうしているうちに、詰め所から副師長のネームプレートを胸に付けた、いかにも厳格そうな年輩の看護師が出て来て僕に言う。

「あの、面会されるのはかまいませんが、その前にお話しておきたいことがあります」

「はい」

「村井さんのことなのですがね、今は手術の必要もあって整形に入院していただいております。でも歩けるようになったら、心療内科の部屋に移っていただきますので。それと、大変失礼ですが、あなたはご主人様ですか?」

「ああ、えっと……内縁の夫です」 

「そうですか、本来はご主人様か親族の方しかダメなんですが、ほかに親族の方もいらっしゃらないようですので、そういう事情なら仕方ありません。しばらくの間、夜はこちらで付き添いをお願いすることになりますがよろしいですか?」

「付き添い? というのは?」

 その看護師は少し不機嫌そうな顔で続けた。

「怪我の原因は、ご自分から飛び降りられたと言う事ですので、整形としましては、事故の再発の危険性のある患者様を入院させておくことはできません。ですから、手術が済んで、落ち着かれたら、心療内科病棟へ転室していただきますが、それまでの間、夜間はこちらで付き添いをお願いいたします」

 それは、僕の意向など知ったことではないとも感じられるかなり高圧的な言い方だった。

 うちで彼女を預かるのは決して本意ではなく、正直、迷惑しているのだけれど、道義的責任上、仕方なく入院させます。という気持ちがはっきりと伝わって来る。だから、友里が再び妙な行動を起こさないように監視しろということらしい。

 だが、普通に考えたら、至って常識的な判断だろう。今回は未遂に終わったけれど、院内で再びそのような事故が、しかも今度は病室内で発生すれば、院側の責任問題として社会的に追及されることは明らかだ。

 今ひとつ釈然としない気持ちのまま、僕は教えられた病室へと向かった。

 病室に入ると、友里は静かに眠っていた。両足を包帯でぐるぐる巻きにされて見るも痛々しい様子だったが、その安らかな寝顔を見て、僕は、少しだけほっとしていた。

 しばらくたって、窓の外が夕暮れに染まる頃、友里はようやく目を覚ました。

「起きたか?」

「うん……」

 彼女は僕の方を見ていたが、その目はうつろだった。

「大丈夫か? 痛むか?」

「ううん。大丈夫。ごめんなさい。いつも迷惑ばっかり掛けて」

「いや、気にするな」

 そう言って僕は、そっと友里の手を握った。

「天宮さん」

「ん?」

「あたしのやったこと、天宮さんは責めへんの?」

「責めるわけない。十分君は苦しんでいる。だからもう気にしなくていい」

「理由とかも聞かへんの?」

「うん。済んだことや。けど、君が話した方が楽になるなら聞くよ」

「聞いて。お願い。あたしな、飛び降りるつもりなんかなかったんや」

「うん。知ってるよ」

「今朝、置いてあった荷物を取りに、旦那さんとこに戻ってん。そしたら、あたしの物、もう全部きれいに捨てられとった。洋服も着物もアクセサリーとかも、何もかも全部や。おまけにもう別の女の人といっしょに住んでた。わたしもう、腹立つやら悲しいやら」

「メロディさんか?」

「うん、そう。あたし初めて彼女の名前知ったわ。真由美さんって言うんや。それでな、真由美さんが新しいお母さんになるから、子供ら引き取らせてくれって言うんや。もうあたしは必要ない。子供らにとってもいらん人間なんやって、そんな風に言うねん。あんまりやわ。あたし、もう自分がすごく汚れた人間みたいな気がして来てな、診察待ちしてるときに、下のロビー見たら、吹き抜けから差し込む光がすごくきれいでな、きらきら光ってるねん。その光の中に入ったら、自分の汚いもの全部が清められるような気がしたんよ。心も体も、捨てて来た過去もね。全部、何もかも全部よ。洗いざらいきれいになるような気がして居ても立ってもいられなくなった。それで気がついたらいつのまにか手摺りを乗り越えてた」

「大丈夫。僕がついているから」

 友里は泣いていた。僕はやさしく友里の頭を撫でてやった。まるで父が娘にするように。僕はそれ以上何も言えなかった。

 しばらく頭を撫でていると、少し落ち着いたのか、友里が小さな声で僕に問いかける。

「天宮さん……天宮さん、あたしのこと、好き?」

「突然、どうしたん?」

 友里はそれには答えず、ただじっと僕を見つめていた。ほんの少し時が止まり、それから僕は少し照れ臭そうに言った。

「……ああ、好きやで」

「ねえ、ただ好きって言うだけで、こんな厄介な女やのに、なんでいつもそんなにやさしくしてくれるの?」

「それが僕の、いや、今の僕にしかできない役割やから、かな?」

「あなたにしかできない、役割? そう。ありがとう」

 それを聞いて安心したのか、友里は再び目を閉じ、すぐにまた深い眠りの谷へと落ちて行った。その寝顔は安らかだった。その寝顔を見ているだけで、僕の心は少しだけ安堵した。

 しばらくして、友里の父が堺からやって来た。やはり僕と同じで病院から急な知らせを受けたのだと言う。そして友里の父も、看護師から、僕同様に友里の付き添いを申し渡されていた。

「おたくはどちらさん?」

 友里の父は僕に問い掛ける。初対面である。

「私は天宮と申します。今現在、友里さんとお付き合いさせてもらっています」

「ああ、あんたが……。友里から聞いてます。なんや子供らの世話まで看てもろてるらしいですな」

「はい。都ちゃんも咲希ちゃんもうちにいてます」

「そらおおきに。よろしく頼みます」

「ほんで今回は、友里のこともえらい迷惑掛けたようで、すんませんなあ」

「いえいえ、僕の努めだと思ってますので」

「おたく、ええ人ですなあ。友里も初めにおうた人があんたならよかったのに……」

 友里の父はその目を細めて呟くように言った。 



 結局、僕と友里の父親は、昼と夜の二交代で友里の付き添い、つまり事故再発防止の見守りをすることになった。

 昼間、仕事に行かなければならない僕は、夜の十一時から朝六時半まで付き添い、友里の父が朝六時半から夜十一時まで付き添う。

 医者の話では、整形外科病棟に入院する期間は一週間とのことだった。今夜からしばらくの間、僕はこの部屋で寝泊まりすることになる。

 問題は家のことだ。夜間、子供たちだけになってしまう。心配だった。でも都はしっかりしているので事情を話せばきっとわかってくれるだろう。子供たちが寝静まる深夜から早朝までの間である。

 早朝に帰って子供たちの朝食を作り、それぞれ送り出せば、ぎりぎり何とかなるはずだ。そう、僕が少しだけしんどい思いをするだけである。それだけのこと。一週間だけ何とかそうするしかない。でも僕はその辛さより、本当は一週間ずっと友里の傍に居られることが嬉しかった。

                                     続く
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