第47話
文字数 1,730文字
「元々君の善意から始まった事だけど、顔を合わせる時間が少ないし、この時間が無かったら全く顔を合わせなくなってしまう。疲れて帰って来る君には申し訳ないとは思うけど、僕には大事なことなんだ」
「うん…」
そんな風に言われてしまうと、嫌だとは言えない。
――ズルいよ、本当に…。
「それから…」
「え?まだあるの?」
思わず顔を上げると、憮然としている顔に遭遇した。
「ここからが大事」
「あ、…はい」
「夫婦の日、なんだけど…」
「あぁ~」
――そこなのね。確かに大事なことかもしれない。
まぁ、暫くは難しいだろう。
柊子は休みだが、モーターについて勉強したいし、貴景も仕事で厳しいに違いない。
昨日の日曜日は初めてのデート?で楽しかったし、充実していた。
夜も共に甘い時間を過ごし、夫婦らしい時間を持てたと思う。ちょっと恥ずかしくはあるが、柊子は満足していた。
そんな二人の時間を、今後しばらくは持てないのかと思うと、残念な気持ちが湧いてくるのは否めない。
「夫婦の日だけは、どうしても一緒に過ごしたい」
「へっ?」
これまた予想外の言葉が聞こえてきた。
提案しておきながら申し訳ないが、暫くは…って話だと思っていたのに。
「この日だけは、なるべく、用事を入れないで欲しいんだ。僕との時間を最優先にして欲しい」
熱を帯びたような声音に、柊子の胸は熱くなる。
「あの、でも…、仕事は大丈夫なの?」
「なるべく大丈夫なようにするよ。そこは会社員とは違うから、自分でどうにかできると思う。ただ…。たださ。どうしても、追っつかないって時もあるかもしれない。そんな時は…」
貴景は眉根を寄せて、言いにくそうな顔をした。
「そんな時は?」
「…手伝って欲しい」
「はい?…それって、私に真木野さんの変わりになれって事ですか?」
「初めて来たとき、手伝ってくれたじゃないか」
「それは確かにそうでしたけど、正直なところ不本意でしたよ」
あまりに必死にお願いされたから、まぁしょうがないかと思った。
「それなら、…それなら手伝わなくてもいいよ。ただ、僕のそばにいてくれるだけで。同じ部屋で、本でも読んでてくれて構わない。だから…」
どうしてそこまで、と思う。
確かに毎日のコーヒー以外で、顔を合わす事は無くなるのだろうから、休日の一日だけでも一緒にと言うのも分からなくはない。
だが、そこにこだわる事は理解できない。
――だって、わたしたちは…。
どうしても結婚の前提事項がチラつく。
「夫婦の日を設ける事は、君も了承してくれた事だよ。それを今後も維持しようって話なんだ。忙しいからこそ、憩いの時間も大切だろう?」
――憩いの時間、かぁ。
二人の時間を、憩いの時間と思ってくれているのか。
なんだか胸が、ほっこりしてくる。
「…わかりました」
そうまで言われては了解するしかない。
「良かった…」
貴景は安堵したように、大きく息を吐くと、抱きしめる手に力が入った。
強く抱きしめられて鼓動が跳ねる。
この後、抱かれるのだろうか…。
少し緊張した時、貴景のスマホが鳴った。
「ごめん、ラインだ」
貴景は柊子から手を離すと、ポケットからスマホを取り出した。
――え?またなの?
さっき帰ったばかりだし、家には母親がいるのではないのか。
折角いい感じになっても、こうやって真木野の邪魔が入って来て、そのたびに繋がり始めた絆をプツリと切られるのだ。
「あ、和人からだ」
「え?…篠山さん、ですか?」
相手が真木野では無かった事に思わずホッとする。
貴景は篠山からのLINEに返事を送信すると、済まなそうな顔を柊子の方へ向けた。
「さっきの打ち合わせで言い忘れた事があるって内容だった。あいつ昔から抜けた所があるんだよ。…それで、これからすぐ仕事に入らないとならなくて。悪いんだけど、コーヒーを淹れてくれないかな。いつもより少し早いけど」
柊子は微笑むと、「わかりました」と返事をした。
笑みは自然に浮かんできた。
どんなに仕事が忙しくても、こういうささやかな触れ合いを積み重ねていければ、自然と絆も深まっていくのだろう。
その事を心地よいと柊子は感じている。
そして、心地よいと感じている事を、嬉しく思う自分がいる事を自覚したのだった。