第72話

文字数 1,186文字


「柊子さん!」

 心配そうな顔をした貴景が、早足で近づいてきた。

「貴景さん…。どうしたの?」

「それは、こっちのセリフだよ。足、どうしたの。擦りむいた?」

 貴景は柊子の前に跪くと、柊子の足をそっと持って確かめるように顔を近づけた。

「あ、や、やめてっ」

 恥ずかしくて顔が火照ってくる。

「踵かな…」

 柊子の足を高く持ち上げようとしたので、慌てた。

「ちょ、やだ。スカートめくれちゃうし」

 柊子は膝の上に手をやって、自分の足を思い切り下に降ろした。
 その拍子に、踵が床を打った。

「いたーい」

「大丈夫っ?」

 貴景が落ちた足を再び手に取った。

「あなたのせいでしょうに。大丈夫だから、やめて」

「でも…」

 オロオロしている貴景が、なんだか可愛らしく見えてきた。

「擦りむいたりとか、してないから大丈夫。ちょっと疲れただけなの」

「本当に?」

 下から見上げる顔が妙に(なま)めかしく見えて、ドキリとした。

「本当よ…」

 柊子は頬に笑みを浮かべた。それに応えるように、貴景の頬にも笑みが浮かんだ。
 だがすぐにその笑みが消えて、表情が硬くなった。

「途中から、和人と一緒にいなくなって心配したよ」

「え?そうなの?見てたの?」

「……」

 貴景は答えずに横を向いた。

「和人さんが、舎人社の人たちに紹介してくれてたんだけど、足が疲れてきちゃって。だから、休憩室で休もうって」

 貴景は溜息のようなものを一つ吐くと、柊子の足を降ろし、隣へ腰かけた。

「…ごめん。僕も悪かった。インタビューが終わったら、さっさと君の元へ行けば良かったのに、編集者たちに囲まれて、そのまま抜け出せなくなって」

「それは、仕方ないと思います。それに、貴景さんの人気が凄い事は、重々承知していることですし」

「こうなる事が大体予想できたから、僕は君を連れてきたくなかったんだ」

「えっ…」

 こうなる事って、どういう事だろう。

 逡巡していたら、突然、声を掛けられた。

「あのっ!遠峰先生…」

 少し離れた所に座っていた三人組だ。
 頬を染めて、サインや握手でも求めてきそうな雰囲気だ。
 年の頃は、二十代半ばといったところか。

「あたし達、先生のファンなんです。お会いできて嬉しいです」

「それは、ありがとう。それで君たちは、舎人社の社員かな」

「はい。入社三年目なので、今回のパーティは初めてで…」

「そう…」

 貴景は彼女たちがまだ喋りたそうにしているのに気づいていないのか、おもむろにしゃがみ込むと、柊子の靴を手に取って履かせ始めた。

「え?」

 女性三人組は互いに顔を見合わせ、柊子は顔を赤くした。

「さぁ、柊子さん。お手をどうぞ。もう帰ろう」

 ――王子だ。王子過ぎる…。

 身のこなしからして上品で、そういう仕草もセリフも違和感がない。
 生粋の女たらしと言われても、誰も疑問に思わないだろう。
 だが、女たらしなわけではない。

 三人組は固まったまま、こちらも顔を赤くしている。

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