第62話
文字数 1,646文字
お盆休みの最終日である日曜日の午前中に、柊子は自宅へ戻った。
夫婦の日である事も意識している。
「おかえり」
貴景は玄関まで出迎えに来た。
「ただいま…」
久しぶりに見る貴景はやつれていた。
「ゆっくり休めた?」
「うん…、それより貴景さん、大丈夫?凄く疲れてるみたいだけど」
「大丈夫だよ。それよりも…」
貴景が柊子の手を掴んで歩きだした。
「ど、どうしたの?貴景さん!ねぇ…」
問いかける柊子に返事をせずに、黙々と柊子を引っ張って歩く。
その足が向かったのは夫婦の寝室だった。
中に入ると、そのままベッドに押し倒された。
「柊子さん、逢いたかった…」
そう呟くと、貴景の唇が柊子の口を塞いだ。
チュッチュと何度も小さく口づけて、段々と深いものへと変化し、やがてその唇は柊子の首筋へと移動した。
その手は、柊子の体をまさぐっている。
貴景は、柊子の体を求める時はいつも情熱的だった。有無をも言わせない強引さがある。普段は何を考えているのか分からない、飄々淡々とした空気を纏っているだけに、そのギャップには驚かされる。
彼と真木野の関係を疑った時には、貴景と交わる事を拒んでいたが、いつの間にか彼との交わりが柊子の心を氷解させてきたように思う。
彼を自然と受け入れている自分がいる。
そう思っていたら、急に体の圧迫を感じた。
――重たい。
柊子の体を触っていた手が止まっている。
自分の肩の上に貴景の頭が乗っている。
どうやら眠ってしまったようだ。その体が重しのようになっていた。
相当、疲れているようだ。
考えてみれば貴景のライフスタイルは夜型なので、朝はゆっくりだ。
だが今日は夫婦の日だし、柊子が帰ってくる事で、いつもより早くに起床したのかもしれない。
柊子はそっと貴景の体の下から抜け出した。
ベッドの下に座って、貴景の寝顔を眺める。
長い睫毛が目の下のクマを更に濃く翳らせている。
そっと貴景の頭を撫でてから、柊子は静かに部屋を出た。
玄関に置きっぱなしの荷物を取りに戻り、自分の部屋へと移動する。自分のベッドにゴロンと横たわって、ホッと一息ついた。
――帰ってきたんだな。
ここへ来た時には、毎朝見慣れぬ天井に落ち着かない感じがしたが、僅か二か月半なのに、ここが自分の家だと感じるのだった。
実家にいる時は、どこか借りてきた猫のような気がした。
大蔵と清原との外出以外は、元自室でゲームをしたり本を読んだりして過ごしたが、気持ちのどこかで貴景の存在を意識していたように思う。
最早、彼の存在が柊子の心の中を大きく占めているように思える。
矢張り実家へは帰らない方が良かったのかもしれないと思う一方で、ここにいたところで、真木野と書斎で籠っている事が気になってしょうがなくて、落ち着かない日々だったろうとも思う。
結局、何より気になるのは真木野の存在なのか。
腕時計に目をやると、時計の針が昼近くになっていた。
――昼食の支度、しなきゃな。
食材はあるのだろうか。
台所へ行って冷蔵庫の中身を見ると、卵と牛乳、チーズ、ベーコンくらいしか入っていない。冷凍庫に若干、冷凍野菜が入っていた。ストックボックスに数種類のパスタが入っていたので、カルボナーラにでもするかと準備を始めていたら貴景がやってきた。
「ごめん、寝ちゃったね…」
「ううん。遅くまで仕事だったんでしょう?目の下にクマが出来てる。眠いなら寝た方が体の為だと思います」
貴景が柊子の後ろから抱きついて、腕を体に絡めてきた。
「そうだけど、顔を見たのが久しぶりだったから、どーしても、抱きたくなった」
気怠そうな息遣いで柊子の頭髪の中に鼻を突き入れてきて、唇が髪の生え際から首へと滑っていく。
「貴景さん。お昼ご飯の支度をしてるの。遠慮してもらえません?」
「んー?そうなの?でも…」
はむっ!と耳を甘噛みされた。
「もう、貴景さんったらっ。いい加減にしないと、私、怒りますよ」
そう言われて、やっと貴景の悪戯が止んだ。
だが、腕は絡んだままだ。