第78話
文字数 2,254文字
翌朝、スマホの着歴が凄い事になっているのに柊子は気づき、自分のウッカリに閉口した。
まず、貴景からの電話の数が凄かった。
LINEで連絡がつかないからだろう。遅くなっても連絡が無いまま帰ってこないのだから、さすがに心配するのも当然だ。
貴景は実家へも問い合わせたようで、実家からの着歴も多かった。
このままでは捜索願でも出されかねないので、まずは貴景へLINEを入れた。
“連絡を忘れてしまって、すみませんでした。昨日は友達の家に泊まりました。すっかり盛り上がってしまって連絡もできず、申し訳ありませんでした”
すぐに既読がついた。
“友達とは、誰ですか?凄く心配して実家へも問い合わせたよ。ちゃんと連絡入れてくれないと困る”
確かに困るのかもしれないが、それでも柊子はどこか冷めていた。
――さて。この後、どう伝えようか。
転んで怪我をして、暫く入院を余儀なくされている事を知らせたくない。
自分が大変だった時に、他の女と楽しく過ごしていた夫になんて、会いたくなかった。
何か事情があったとしても、家族然とした三人の姿を思い出す度に胸が痛くなる。
会って心が揺さぶられるのは、もう嫌だ。
とは言え、退院後の進退にも悩む。
実家へ身を寄せれば、家族から色々言われるだろうし、貴景もやってくるだろう。考えただけで煩わしい。
LINEの着信が鳴った。
“今日は何時頃に帰宅する?”
――もう、帰りたくない。
さすがに、そうは打てない。
少し考えるが上手い言い訳が浮かんでこない。
もう一緒にはやっていけないと、正直に伝えた方が良いのだろうか。
“久しぶりなので、もう少しゆっくりしたいから遅くなります。”
取り敢えず、そう返した。時間稼ぎだ。
“わかった。でも、できるなら早めに帰宅して欲しい”
フッと笑みがこぼれた。
早く帰ったところで、何になる。どうせ形だけの夫婦なのに。
真木野親子と家族ごっこをずっと続けられれば、それで満足なんだろう。
柊子は中村へLINEした。矢張り誰か女性の助けが必要だ。
暫くしてから、一時間後くらいに来ると返信があって、ひとまず安堵した。
「柊子ちゃん、大変だったわね」
慌てた様子で病室に入ってきた中村の顔を見て、柊子は泣きそうになった。
前日も、ついウッカリ柿原の前で泣いてしまったが、つくづく涙腺が弱くなったと自覚するばかりだ。
「中村さん、来てくれてありがとう…」
「いいのよ、そんな事。…ダンナさんは?」
柊子は躊躇いがちに、今回の顛末を話した。
「そんな事が…。ショックだったわね」
柊子は頷く。
「だけど…。気持ちは分かるけど、内緒にしておくのはどうなのかしら。一応、家族でしょ?向こうだって、帰ってこない柊子ちゃんを心配してるでしょうし」
「貴景さんは優しい人だから、知れば放っておけないと思います。でも、そういう理由で優しくされても嬉しくないし、あの人と関わる事で一喜一憂するのが、もう辛くて」
話していると、どうしても涙ぐんできてしまうのだった。
「…それは、柊子ちゃん。ダンナさんが好きだから、なんじゃないの?」
瞬殺された気分だ。
全く自覚していなかった訳ではない。
だがその度に否定してきた。
なんども胸をときめかせながら、その一方で、形だけなんだと言い聞かす。
最初は形だけであっても、共に時間を過ごすうちに互いに静かな愛みたいなものが生まれて、育まれていくのではないか。
そんな風に思っていた。
真木野の存在を知るまでは。
真木野との関係を知ったら、貴景は形だけの夫婦を求めているんだと思った。
それならそれで、仮面夫婦としてやり過ごしていけば良いと思うのに、何故か貴景は柊子とのスキンシップを求めて来るし、終いには“夫婦の日”なんてものまで押しつけてきた。
そうやって夫婦の距離が近づいて、案外それも心地よいものだと思うたび、真木野の存在が介入してきて柊子の心を掻き乱す。
「私、貴景さんの心が分からない。あの人は、一体何を望んでるんでしょう。真木野さん親子との親密さには、もう辟易なの。他人が見ても家族に見えるほど、なんですよ?最初から互いにメリットがある結婚って話だったけど、これじゃぁメリットがあるのは彼だけですよね。私ばかりが振り回されてバカみたい。だからもう、嫌なんです」
「そうね。ダンナさんは、本当に分からない人だわよね。…でも柊子ちゃん。そういうの、ちゃんと相手に伝えた?これまでからして、鈍そうな相手じゃない。言っても伝わるか分からないけど、言わなければ全く伝わらないでしょう」
「それは…、そうだなって思います。思うんですけど、これまでも真木野さんの事で話そうとすると、相手の態度が変わるから…」
「うるさいとか、色々言われた件ね」
「貴景さんにとって、真木野さん親子は大事な存在なんですよ。だから、私なんて、本当は要らないんです」
「…そんな事、言うべきじゃないわよ。相手から要らないって言われた訳じゃないでしょう」
「……それはそうですけど、今は一人で落ち着きたい。柿原主任からも、休んでよく考えろって言われたし、ちょうど良い機会だからゆっくり考えたい。だから、会わずにいたいんです」
「そう。確かに、一人で考える時間は必要かもね。ただ、何もかも一人で考えて一人で決めたらダメよ。相手あってのことなんだから。話し合いは必要よ」
柊子は小さく頷いた。
中村が言うように、話し合いは必要だろう。
だがそれは、柊子の気持ちがしっかり固まった後だろうと思うのだった。