第71話

文字数 1,953文字


 パーティは立食形式なので、長く立っていると疲れるのだろう。
 休憩室があるのは有難い。
 和人に促されて長椅子に座ると、だいぶ楽になった。

「足、大丈夫ですか?靴擦れしてませんか。見ましょうか?」

 隣に腰かけた和人が、心配そうに大きな体を折り曲げて、柊子の足の方へ顔を近づけた。

「大丈夫です。疲れただけなので…」

「それなら、靴、脱いじゃったらいいですよ。楽になります」

「では…、お言葉に甘えて…」

 靴を脱いだ瞬間、言い知れぬ解放感に包まれて、一気に体の疲れが抜けていく気がした。
 普段の仕事中も、机の下で靴を脱ぐことが多々ある。そうやって疲れを抜くようにしていたから、今回は余計に疲れたのかもしれない。

「今日のパーティ、どうでした?初めてですよね、こういう場は」

「そうですね。慣れないのもあって、疲れたとしか言いようがないです」

「はははっ。まぁ、柊子さんにとっては異世界ですもんね。皆とは初対面だし、神経を使ったでしょう」

 和人の言う通り、まさに異世界と言った感じだった。
 本づくりなんて地味な仕事だと思うのに、業界の人たちは偏屈ながら賑やかだった。

「あれはね。普段のストレスが爆発した結果ですよ。本作りの序盤はね。みんな大人しいです。でも締め切りが近づくにつれ、段々と変わっていきます。豹変しますよ。職場も地獄の様相を呈してきます。そして校了、無事に印刷となって昇天する感じ。今回のようなパーティは、昇天後の極楽にいる感じですかね?アハハハハ!」

「そうなんですね。それにしても、貴景さん、想像以上の人気ですね」

「あぁ、まぁそうですね。みんな群がって、そんなにいいのかな?って不思議に思いますよ。スター扱い?目的が分からない」

 本当に不思議そうに首を傾げている。
 柊子はその様子にクスリと笑った。

「スターであるなら、私ちょっとは分かるかな。あそこにいるのが私の推しなら、やっぱり同じように群がっちゃうかも…」

「ええー?柊子さんまで?」

「なんなんでしょう…。そうだな…。まず、よく顔が見たい」

「顔?」

「だって、日常的に会える人じゃないでしょう?限られたイベントとかで、遠くからしか見れないし。近くで見れるなら見たい」

「なるほど。まぁ貴景の場合、見るに値する顔ですしねぇ…」

「あとは、そうですねぇ。やっぱり出来る事なら触りたいとかあるのかも」

「触る?それ危険じゃないですかぁ?」

「確かに…。私はそこまでしないけど、心理的には触れたいって、思うんじゃないのかな。あとはそうそう、言葉を交わしたいとか…」

「あー、そうかぁ、なるほどね。それってもう、恋ですね」

「恋…」

 確かにそうかもしれない。だが現実的な恋とは違うだろう。

「彼女たち、確かに貴景を自分のものにしたい欲求に駆られてるしねぇ。結婚したから少しは鎮火するかと思ったんだけど、そういうの、彼女たちには関係ないのかな。万一落せたとして、不倫になったら大ごとでしょう。会社側としても大損失になるし」

「過去に何度もトラブルになってるって、言ってましたよね。それでもアレなんだ…」

「そうなんですよ。呆れるでしょう。しかも今回は柊子さんが来ているのに」

「そう指摘されたら、確かに不思議かも。もしかしたら私の存在って無視されてるのかな。それか、大勢の前で紹介された訳ではないから、認識されてないのかもしれません」

「パーティ開催の通知をした時に、奥様も同伴されると通達はしているんですけどね」

 会場へ来た時に受付で確認された。その時に受付嬢に睨まれたような気がした。そしてすぐに、貴景だけ囲まれるようにして会場内へ連れて行かれ、柊子は取り残されたのだった。

 入口近くに真木野が立っていて、彼女に手招きされて中へ入った。なんだか自分は歓迎されていないような気がして、一人さっさと帰ろうかと思ったのだった。
 だからきっと、敢えて無視されているのだろう。

 ――ブブブブ…

「あ、僕のようです。すみません、ちょっと失礼」

 和人が立ち上がって部屋を出て行った。

 柊子は解放された足を踵だけ床に付けて、指先を動かす。さすがに和人の前では出来なかったから丁度良い。
 だがホテルの休憩室でこんな事をしている自分が、なんだか滑稽に思えてきた。
 パーティって、もっと楽しいものじゃないのか。

 なんだか見られているような気がして、顔を上げて辺りを見回すと、少し離れたソファに腰かけた三人組がこちらを見ていた。女性だ。
 柊子は軽く頭を下げたが、向こうはジッとこちらに視線をぶつけてくる。

 ――会釈くらい返せばいいのに。

 失礼だな、と思う。
 このままここにいても仕方がないので、柊子が靴を履こうと思った時に部屋のドアが開いた。

「きゃっ!」

 先ほどの女子達の嬌声のような声がして顔を上げると、貴景だった。

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