第50話
文字数 2,080文字
「お盆休みは、どこかへ行くの?」
午後の休憩時に、たまたま一緒になった大蔵から声を掛けられた。
休憩時間は何時と決まってはおらず、個々のタイミングで取っている。大蔵と一緒になるのは久しぶりだった。
「残念ながら、どこへも…」
「新婚旅行にでも行くのかと思ってたよ」
「うーん…、向こうも今すごく忙しいから…」
「じゃぁ、本当にどこへも行かないんだね」
「だから始めからそう言ってますって…」
つい口調が強くなってしまった。
「…忙し過ぎて、ストレス溜まってる?」
「あ、…すみません」
予想通りと言おうか、予想以上と言おうか、木下が使えなさすぎて柊子はイライラしていた。
「いや…。君がそれほどまでにストレス溜めるのも、少しは分かるよ。直接じゃないからこそ、見てて君の苦労が偲ばれる」
労わるような大蔵の眼差しに、彼に全てを吐き出してしまいたい欲求に襲われた。
新しいモーターは化け物のようだった。
ベテラン組に指導を受けながらも、難しい部分が多すぎて頭がパニックになって壊れそうだ。
そこへ持ってきて、木下が与えられた仕事を時間内に終わらせてこない。
各人に仕事を振り分けているのは柿原だが、それをまとめて回収し、チェックするのは木下の仕事だった。量が多いながらも皆が殆どしっかり作っているから、難易度としては高くない。
「彼…、頭の回転がのろいよね…」
彼とは木下の事だ。
「どうして彼が抜擢されたのか、俺は理解できないな。柿原は見る目が無いね」
矢張り、同じ職場にいれば分かるものなんだな。
一緒に仕事をしていなくても分かるのだから、一緒に仕事をしている方は直面させられる分、イライラが募って来る。
「彼の事は、柿原さんじゃなくて、もっと上の人の人選だそうですよ」
「それは、上も酷いね。彼の普段の仕事ぶりを見ていれば、絶対に選ばないよね」
「そうですよねー」
二人が話している間に、休憩にやってきた秋穂が、いきなり話に割り込んできた。
「大蔵さんの言う通りですよ。後輩の清原の方がよっぽど上でしょう。情けないくらい、あいつは出来ない。はっきり言って、生島並みだと思うわー」
「秋ちゃん。そこまで言わなくても…」
柊子は嗜 めたが、秋穂の口は止まりそうも無かった。
「だって、本当の事じゃない。私は直接関係ないけどさ。被害を被ってる柊子が可哀そうで。大体、ここって男尊女卑の年功序列の学歴主義が如実よね」
憤懣やるかたないと言った感じの口調だ。
「樫原君、気落ちでもしてるのかい?」
秋穂の夫である樫原は、現在総務で働いているが、以前は同じ部署だった。秋穂が憤懣やるかたないのも、夫が割に合わない目に遭っているのもあるのだろう。
「大蔵さんでも、ご存知なんですね」
「ははは…。まぁ、耳に入って来てしまってね」
人付き合いが良くない非社交的な大蔵だから、社内の人事や人間関係の噂話などとは縁遠いと思われている。
――この人、案外事情通なところがあるのよね…。
休憩室では口数が少ないものの、その分、周囲の話をよく聞いていて、いい所で相槌を打つものだから、相手がよく喋るのだ。
柊子たちが勤めている会社はブラック企業ではないものの、人事に関しては非常に古臭い。
大卒で新卒入社の年功序列。大卒であっても中途入社は外される。ましてや、専門、高卒は、ほぼ出世街道とは無縁。そして、女性の役職途用もほぼ無い。
今回、ベテラン勢を差し置いて木下が抜擢されたのも、根本的な途用形態に原因があると言えるだろう。
他のベテラン勢は、みんな専門卒や中途入社なのだ。
とろ臭いとは言え、木下は大卒の新卒入社だった。例え仕事ができなくても、こういう人間が途用されるとなれば、他の社員が大きな不満を抱えていくのも、仕方がないだろう。
大蔵も、大卒ながら中途入社組だ。だからこそ、諦めの境地で割り切って仕事をしているのかもしれない。
傍から見ると、故意に全力を出さないようにしているとしか、思えない印象だ。
「うちのダンナ、家庭の事情で進学できなくて、高卒でここへ入社したけど、働きながら頑張って大卒の資格を取ったんですよね。でもそういうの、全然評価されないの。体よく使われて、上へ上がっていくのは自分より能力が下の後輩ばかり。よく面倒を見てあげていたのに、上になったら顎で使うようなデカい態度らしくって」
悔しそうに、飲み終わった紙コップを握りつぶした。
「気持ちは分かるけど、この会社にいる限り仕方のない事だよ。それなら能力主義の会社の方が良いのかと言えば、そっちもそっちで過酷だよ。使い捨てられるのがオチ。出世だけが全ての人生じゃない方が、よほど幸せだと俺は思うけどね」
「それはそうかもしれないですけど…」
秋穂が肩を落とした。理屈はそうでも気持ちが納得しないのだろう。
柊子も何とも複雑な思いを抱く。
自分自身も出世なんて望んではいない。だが、木下のような人間が上になって、偉そうに使われる事には、納得できない思いになる。
これから先、更に自分より年下の、木下より出来ない男に使われるようになる可能性も多いにあるのだ。
午後の休憩時に、たまたま一緒になった大蔵から声を掛けられた。
休憩時間は何時と決まってはおらず、個々のタイミングで取っている。大蔵と一緒になるのは久しぶりだった。
「残念ながら、どこへも…」
「新婚旅行にでも行くのかと思ってたよ」
「うーん…、向こうも今すごく忙しいから…」
「じゃぁ、本当にどこへも行かないんだね」
「だから始めからそう言ってますって…」
つい口調が強くなってしまった。
「…忙し過ぎて、ストレス溜まってる?」
「あ、…すみません」
予想通りと言おうか、予想以上と言おうか、木下が使えなさすぎて柊子はイライラしていた。
「いや…。君がそれほどまでにストレス溜めるのも、少しは分かるよ。直接じゃないからこそ、見てて君の苦労が偲ばれる」
労わるような大蔵の眼差しに、彼に全てを吐き出してしまいたい欲求に襲われた。
新しいモーターは化け物のようだった。
ベテラン組に指導を受けながらも、難しい部分が多すぎて頭がパニックになって壊れそうだ。
そこへ持ってきて、木下が与えられた仕事を時間内に終わらせてこない。
各人に仕事を振り分けているのは柿原だが、それをまとめて回収し、チェックするのは木下の仕事だった。量が多いながらも皆が殆どしっかり作っているから、難易度としては高くない。
「彼…、頭の回転がのろいよね…」
彼とは木下の事だ。
「どうして彼が抜擢されたのか、俺は理解できないな。柿原は見る目が無いね」
矢張り、同じ職場にいれば分かるものなんだな。
一緒に仕事をしていなくても分かるのだから、一緒に仕事をしている方は直面させられる分、イライラが募って来る。
「彼の事は、柿原さんじゃなくて、もっと上の人の人選だそうですよ」
「それは、上も酷いね。彼の普段の仕事ぶりを見ていれば、絶対に選ばないよね」
「そうですよねー」
二人が話している間に、休憩にやってきた秋穂が、いきなり話に割り込んできた。
「大蔵さんの言う通りですよ。後輩の清原の方がよっぽど上でしょう。情けないくらい、あいつは出来ない。はっきり言って、生島並みだと思うわー」
「秋ちゃん。そこまで言わなくても…」
柊子は
「だって、本当の事じゃない。私は直接関係ないけどさ。被害を被ってる柊子が可哀そうで。大体、ここって男尊女卑の年功序列の学歴主義が如実よね」
憤懣やるかたないと言った感じの口調だ。
「樫原君、気落ちでもしてるのかい?」
秋穂の夫である樫原は、現在総務で働いているが、以前は同じ部署だった。秋穂が憤懣やるかたないのも、夫が割に合わない目に遭っているのもあるのだろう。
「大蔵さんでも、ご存知なんですね」
「ははは…。まぁ、耳に入って来てしまってね」
人付き合いが良くない非社交的な大蔵だから、社内の人事や人間関係の噂話などとは縁遠いと思われている。
――この人、案外事情通なところがあるのよね…。
休憩室では口数が少ないものの、その分、周囲の話をよく聞いていて、いい所で相槌を打つものだから、相手がよく喋るのだ。
柊子たちが勤めている会社はブラック企業ではないものの、人事に関しては非常に古臭い。
大卒で新卒入社の年功序列。大卒であっても中途入社は外される。ましてや、専門、高卒は、ほぼ出世街道とは無縁。そして、女性の役職途用もほぼ無い。
今回、ベテラン勢を差し置いて木下が抜擢されたのも、根本的な途用形態に原因があると言えるだろう。
他のベテラン勢は、みんな専門卒や中途入社なのだ。
とろ臭いとは言え、木下は大卒の新卒入社だった。例え仕事ができなくても、こういう人間が途用されるとなれば、他の社員が大きな不満を抱えていくのも、仕方がないだろう。
大蔵も、大卒ながら中途入社組だ。だからこそ、諦めの境地で割り切って仕事をしているのかもしれない。
傍から見ると、故意に全力を出さないようにしているとしか、思えない印象だ。
「うちのダンナ、家庭の事情で進学できなくて、高卒でここへ入社したけど、働きながら頑張って大卒の資格を取ったんですよね。でもそういうの、全然評価されないの。体よく使われて、上へ上がっていくのは自分より能力が下の後輩ばかり。よく面倒を見てあげていたのに、上になったら顎で使うようなデカい態度らしくって」
悔しそうに、飲み終わった紙コップを握りつぶした。
「気持ちは分かるけど、この会社にいる限り仕方のない事だよ。それなら能力主義の会社の方が良いのかと言えば、そっちもそっちで過酷だよ。使い捨てられるのがオチ。出世だけが全ての人生じゃない方が、よほど幸せだと俺は思うけどね」
「それはそうかもしれないですけど…」
秋穂が肩を落とした。理屈はそうでも気持ちが納得しないのだろう。
柊子も何とも複雑な思いを抱く。
自分自身も出世なんて望んではいない。だが、木下のような人間が上になって、偉そうに使われる事には、納得できない思いになる。
これから先、更に自分より年下の、木下より出来ない男に使われるようになる可能性も多いにあるのだ。