第63話
文字数 1,719文字
「んー、残念。そこまで言われたら我慢するしかない…」
「あの…、腕も離して欲しいんですけど…」
「えー?このままで料理できない?」
「いやぁ、それは無理ですって…」
「仕方ないなぁ」
貴景はやっと渋々と柊子を解放した。
――なんだ、このシチュエーションは。
まるでよく見る新婚さんの光景みたいだ。
そう思うと顔が熱くなってくる。
「ねぇ。何も無いでしょう?何を作ってくれるの?」
「ふふふ…。さぁ、なんでしょうね?」
柊子は鍋に水を入れて沸かし始めている。ストックボックスからスパゲティを取り出しているので、それを見て貴景は「ナポリタン?」と言った。
「ブブー。ハズレ。カルボナーラを作ります」
「えつ、カルボナーラ?そんなの作れるの」
切れ長の目が丸くなっている。
「難しくないですよ?」
「そぉ?真木野さんは、そんな高級なものは無理!って言って、スパゲティときたら、ナポリタンかタラスパしか作らないんだけど」
その言葉に、何故か顔がヒクヒクした。
「へぇ、そうなんですか。全然、難しくないのに」
なんだか闘志が湧いてくる。
「作るところ、見てていいかな」
期待で目がキラキラしている。そんな目で見ていられたら落ち着かなくて失敗しそうな気がするが、ダメと言っても聞かなそうだ。
「どうぞ」
柊子は諦めて、卵を黄身と白身に分けた。
「どうして分けるの?」
「もう、いちいち質問しないで下さい。邪魔ですから」
「いやだって、さ…」
「邪魔するなら、あっちへ行ってて欲しいかな」
「…分かった」
柊子は小さく息をつくと、そのまま料理を続けた。
パスタを茹でている間に、黄身とチーズでソースを作り、冷凍野菜とコンソメでスープを煮たててから、白身だけのかき玉にした。
フライパンにオリープオイルを入れてからベーコンをカリカリにして、ゆで汁を少し入れてから茹であがったパスタの水を切り、フライパンへ入れて油を絡め、そこへ卵とチーズのソースを入れてサッと搦めてすぐに火を落す。
「はい、できあがり」
「ええー?もう?すっごい早い。こんなに早くできるものなの?」
「そうですね。できるものですね」
柊子はにっこり笑うと食卓を整えた。
「なんか色々質問したい…」
「まずは、食べましょうよ」
「そうだね」
揃って「いただきます」と手を合わせ、フォークにクルクル巻いて口へ入れた。
「美味い…」
「それは良かった」
柊子も口に含んで、美味しくできていることに安堵した。
「カルボナーラって、生クリームとか使うんじゃないの?」
「良くご存知ですね」
「一応、知識としてね。牛乳はあるけど、生クリームは無い筈だから、カルボナーラと聞いて不思議だったんだよ。それに、卵も黄身と白身を分けたでしょう」
「このカルボナーラは、一般的なものと違って、ローマ風?なんですよ。卵は黄身と白身の熱の通り方が違うので、全卵で使うより分けた方が案外楽なんです。ただ黄身の方が火の通りが早いのですぐに火から降ろさないとボロボロになっちゃう。そこだけ要注意で、あとは楽です。濃厚だけどサッパリしてますよね?」
「うん。凄く美味しい。生クリームが入ると重たい感じがするよね」
本当に美味しそうに食べている姿を見ると、胸がほっこりしてくる。それだけで幸せな気持ちになってくるのが不思議だ。
「柊子さんって、いつも手際が良いよね」
「そうですか?」
「うん。真木野さんなんか、ワチャワチャした感じでやってる。色々作るからなんだろうけど」
この人のこういう所が嫌だと思った。
本人は褒めているつもりなのかもしれないが、折角の夫婦の時間が台無しだと思う。
真木野の事を話題に出さないで欲しいと、言った方が良いのだろうか。
だが、そう言ったら、折角の良い雰囲気の方が台無しになりそうな気もした。
結局、自分の方が我慢するしかないのか。
食事の片付けは貴景がやり、その後で「さっきの続き」と言われて甘い時間となった。
貴景の瞳は情熱を孕みながらも真摯で、このひと時だけは柊子の事しか頭の中には無いことを信じられた。
その事が柊子の胸を熱くし、同時にそんな自分を不思議に思う。
――私はこの人の事を…。
自分の中に芽吹き、根ざし始めているらしい感情に戸惑うのだった。