第81話
文字数 1,306文字
これから帰るとLINEを入れて帰宅すると、玄関で貴景が待ち構えていた。
――
痩せて顔色が悪く、目の下にはクマが出来ていた。仕事に追われて疲れ切っていた夏の時よりも更に憔悴している見た目に、柊子の胸がズキンと痛んだ。
「柊子さん…。探したよ。どこへ行ってたんだ。どうして…」
貴景は涙ぐみながら、柊子の体を抱き寄せた。
――どうして、なの…?
貴景の態度に困惑するばかりだ。
こうやって、愛おしげに柊子を抱きしめて体を重ねるクセに、柊子を放って真木野の元へ駆けつける。そんな貴景が、どうしたって理解できないし、ついていけない。
「とにかく、中へ入ろう。話はそれから」
貴景が目もとを指で押さえながら、柊子を促す。
リビングへ入ると、部屋の中は雑然としていた。
いつも綺麗に片付いているのに、掃除機も掛けた様子が無いように見える。
「お茶を淹れるから、座ってて」
「え?私がやります」
「いやいいから。僕に淹れさせて」
仕方がないのでソファに腰かけた。
もう、どのくらい留守にしていただろう。
生島の結婚披露宴の日から数えると、かれこれ三週間も経っている。
怪我もすっかり良くなっていた。
「旅行、って、どこへ行ってたの?随分長期だよね。会社は大丈夫なの?」
貴景は湯呑をテーブルに置くと、柊子の隣へ腰かけた。
――この人は、本当に旅行へ行っていたと思っているのだろうか。
いや違うだろう。そうでなければ、会社や実家へ度々消息を訊ねたりはしない筈だ。
「そんな事、本気で聞いてるの?」
貴景の顔に、僅かだが怒気が浮かんだ気がした。
「じゃぁ、はっきり言うよ。一体、今までどうしてたのかな。音沙汰もなく、着拒までして」
責めるような口調だ。
「…『互いに打ち込める仕事を持っていて、相手にあまり干渉しない』、そう最初に言ったのは貴景さんですよ。それでも一応夫婦だから、ちゃんと伝えたじゃないですか」
全てはそこに帰結する。
「だからって…」
柊子は手を前で振って、貴景を遮った。
「私たちの結婚って、結局は、そこでしょ?その為に結婚したんだから、相手が何をしようが、どうであろうが、関係ないじゃないですか。干渉しなければストレスは溜まらずに済むって、貴景さんが言ったんですよ?なのに、ストレスを溜める事をして、どうするんですか。夫婦なんて名前だけの事で、実際はただの同居人に過ぎないのに…」
貴景は膝の上で手を握りしめた。
「僕は…、ただの同居人なんて思った事は一度も無いよ」
苦しげな口調に柊子は貴景の顔を見た。
貴景は柊子を凝っと見つめている。
「そんなの…」
――嘘っ。
口には出せなかった。
「僕は…、確かに見合いの時に、干渉しあわない関係と言いはしたけど、結局それは理想論であって、実際にはそうはいかなかった」
「それは…、そういうものでしょ。一緒に住んでいれば、全く干渉しないなんて無理だと思うもの」
「…多分…、君が言っているのとは意味合いが違う。有体に言えば、僕は見合いの席で、君を気に入ったんだ」
「…え?」
理解し難いセリフが通り過ぎていったような気がした。
貴景は、少し困惑気味で、照れたような笑みを浮かべている。