第59話

文字数 1,813文字

「君が抜擢されていれば、大分良かったんじゃない?木下君とは同期だし、大卒でもある。仕事だって出来るのに」

「あはは…。主任は私を推してくれたみたいですけど、男尊女卑だから。仕方ないです」

「そういう所がバカだよね。能力のあるなしに、性別は関係ないのに」

「そう言ってくれる人がいるだけでも、有難いです」

「柿原も、もっと強く出れば良かったのに。あいつはまとめるのが上手い分、相手に強く出れないのが欠点なんだよな」

 冷めている分、よく見ているなと思う。
 大蔵は中途入社なので勤続年数は柿原の方が先輩だが、柿原とは同年代だ。
 普段から、他の社員たちとは付かず離れずといった距離感で接している。
 忘年会や歓送迎会などには出席しているが、それ以外での飲み会には出ていない。
 休憩室で一緒になった時に雑談を交わす程度で、基本的には傍観者といった印象だ。

「主任は案外、気の小さい人だなって思いますね。だから、争い事を好まないんですよ」

「上手い言いようだね」

 大蔵はニヤリと笑った。

「あいつはさ。確かに気弱だよね。強く出て叩かれると、途端に小さくなる。主任になった頃、図に乗ってるもんだから、俺もつい痛い所を突いちゃったんだよね。そしたら急に萎れちゃってね。可愛いところもあるもんだと、逆に好感持ったけど。まぁ、そういう性格だから、色々と背負わなくていいもんまで、背負っちゃうんだろうねぇ。ストレスで胃潰瘍にならなきゃいいが、と思うよ」

 そこは同感だ。時々だが可哀そうに思えてくる。

「だからぁ。私は抜擢されなくて正解だったんですよ。あのメンツだったら、本当にストレスで潰されかねないですよ」

「あははは。確かにそうかもしれないね。でも今だって相当ストレスを抱えてるでしょう。だから少しは外に出て、発散させて欲しいって思ったんだよ」

 そうだったのか。

 大蔵はここ数年、お盆の休暇は家でのんびり過ごすと話していた。
 暑いのが苦手なのもある。だから今年、この時期に誘われたのが意外だった。
 秋穂や中村に色々言われたのもあって、妙な勘繰りをしてしまっていたのを恥ずかしく思う。

「それはありがとうございます。誘われでもしなければ、多分ずっと家でゴロゴロだったと思います。それはそれで体は休むけど、ストレス発散できるかどうかは怪しいですよね」

「喜んでもらえたらなら良かったよ。俺もたまには外で若い子とデートして、リフレッシュしたいしねぇ」

「デートって…」

 思わず笑う。これまでそんな風に思った事なんて皆無なのに。

「まぁまぁ、いいじゃない。そう思わせといてよ」

「はいはい、わかりました」

 そう言って顔を見合わせて笑ったが、心が少しだけ華やいだ。
 元々憧れのような感情を相手に抱いてきていたのだから、少しくらい雰囲気を味わうのも良いだろう。

「晩飯、どうする?」

「あー、そうですね。今日は帰ります。実家なので家で食べようかと」

「そっか。夜はうなぎ屋に付き合ってもらおうかと、思ってたんだけど…」

「えっ」

 思わず大蔵に視線をやると、恨めしそうな顔で見つめられてたじろいだ。
 そう思っていたなら、どうする?なんて聞かないで欲しい。

 まるで餌を目の前にぶら下げられている気がした。
 なんせ鰻なんて高過ぎて、もう何年も食べていない。この人の事だから、きっと上等なうなぎ屋に違いない。

「はぁ~っ。大蔵さん、ずるいなぁ」

 柊子は頭を抱えるように、テーブルに肘をついた。

「そう?」

 とぼけた顔に薄い笑みが浮かんでいる。本当に人が悪いと思う。

「昼はとんかつだったし、今はおやつを食べてしまったし。ここで夜は鰻となるとハードかなぁ、と思ってね」

「いえいえ、鰻は別腹です!」

 柊子の言葉に大蔵はクククと笑った。

「それ、使いどころが違う気が…」

「気にしない、気にしない。それなら腹ごなしに、もう一軒行きましょうよ」

「あはは、まるで酒場を梯子するみたいに聞こえるよ?」

 大蔵の明るい笑い声に、柊子も楽しい気持ちが増した。
 忙しさに追われ過ぎて溜まっていたストレスも、減っていくのを感じる。

 二人はホンダを後にして、近くのミュージアムへと移動し、ゆっくりと鑑賞した後、大蔵お勧めの店で国産の美味しい鰻を堪能した。

 うなぎ屋を出て、二人で駅へと歩いている時に、前から知っている顔が近づいてくる事に気づいた。

「柊子さんじゃないですか」

 相手もすぐに気づいたようで、速足で近づいてきた。
 篠山和人だ。

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