第75話
文字数 1,365文字
披露宴を終え、皆と別れて帰宅の途についた。
結婚できたことに単純に喜んでいる生島に一抹の不安を感じるものの、それでも今この瞬間を幸福で一杯にしている新郎新婦を祝えた事は良かったと思う。
自分たちは籍を入れただけで、式の予定は無いし、披露宴なんてしたくないと思っているが、他人の披露宴に参加するのは嫌いでは無かった。なんだか幸せのお裾分けに
柊子は近くのショッピングモールへ入った。ヒールからパンプスに履き替える為だ。出版社のパーティで失敗したので、今回は楽な靴を持参してきた。
「ねぇ、さっきの子連れ…。ダンナさんステキな人だったよね」
「あぁあれ?奥さん太ってて、不釣り合いなカップルじゃなかった?」
「イケメンなのに、そういう人を選んでるところが尊くない?」
「えっ?そうかしら…」
鏡の前で化粧直しをしている二人組のやり取りが聞こえてきた。
よくある噂話だなと思ったが、靴を履き替えた柊子がコンパートメントから出た時に、聞こえてきた言葉に衝撃を受けた。
「あたし、あの人どこかで見た事があると、ずっと思ってたんだけど、今思い出した。作家の遠峰貴景じゃないかしら」
「えっ?あー、そうかもー」
「だよね、だよね」
思わず二人を注視する。
「最近、結婚したとかって聞いたけど、あれがそうなの?」
「えー?でも、それならあんな大きな子、いる?」
「確かに。デキ婚にしても大き過ぎるよね」
「もしかしたら、子連れの再婚とか?」
「ええー?」
柊子は駆けだすようにして化粧室を出た。
――もしかして、まだいる?
辺りを見回すが、それらしき姿は見当たらない。
今日は用事で出かけるとは聞いていた。
だが、具体的な内容までは聞いていない。
柊子は立ち止まった。
――探してどうする…。
自分でも分からなかった。
だが、確認せずにはおれない衝動に駆られる。
ばったり会ったふりをして、理由を問おうか。
そう思っていたら、奇しくも見つけてしまった。
十メートルほど離れた所で立ち止まって、何やらやっている彼らがいた。
貴景の腕に抱かれたタカちゃんが、何やらぐずっているようで、二人でそれをあやしているように見えた。
どう見ても、子ども連れの夫婦だ。
三人が声を上げて笑ったのを見た瞬間、固まっていた柊子の足は回れ右をした。
――どういう事なの?
なぜ三人が仲良さげにショッピングモールにいるのか。
以前は土曜日に、真木野の家によく行っていた。
だが最近は仕事が忙しかったのもあって、殆ど自宅で過ごしていた。
お盆の時には、二人で缶詰のような状況に胸を痛めたが、仕事の忙殺さを知り、考えすぎだと後から納得した。
本が出版され、ようやく日常が戻って来て、再び少しずつ距離が近づいてきたと感じていた。
特にパーティの時の貴景の態度にはトキメキを覚えたし、その後も求められているのが伝わってきていた。
――それなのに…。
出る杭は打たれる、ではないけれど、浮上する度に地の底まで叩きつけられている思いだ。
何度こんな事を繰り返すのだろう。
グチャグチャになったような心を抱えてモールを出た時に、足が縺れて転んだ。
左手には結婚式の時の荷物、右手には履き替えた靴とバッグ。
その為、柊子は転んだ時に手をつけず、右側の額と側頭部を打って意識を手放したのだった。