第61話

文字数 2,534文字


“嗚呼!わたしは何度、この五丈原に戻ってくるのだろう…。この輪廻の輪から、永遠に逃れられないのだろうか…。”

 舞台上で戸部駿一が、オヨヨとばかりに泣き崩れている。その迫真の演技に、柊子は手に持つハンカチをギュッと握りしめた。

 この日は清原と共に、“五丈原よ、永遠に”の朗読劇を観に来ていた。

 前回のイベント以来、すっかりハマってしまった柊子は、このゲームを購入し、休日に遊んでいた。ゲームそのものも面白かったが、何よりそのシナリオに魅力を感じ、絵も好みな上、主役が戸部駿一なのもツボだった。

 基本的には低音ボイスの戸部だが、声のトーンの幅が広く、その声音も渋いものから艶のあるものまで魅力的だ。
 アニメや映画の吹き替えで演技力のある声優だと思ってはいたが、こうやって生での朗読劇を体験して、一層、その演技力の凄さに圧倒された。

 清原に「朗読劇に一緒に行きませんか」と誘われた時には、断ろうと思った。正直、なるべく距離を置いていたいと思っていたからだ。だが、その朗読劇が“五丈原よ、永遠に”だと聞いて、それはそれ、これはこれだと無理やり割り切ってOKしてしまったのだった。

 自分の事ならが、チョロいなと思うが、この件に関しては敢えて目を(つむ)る。

 感動の朗読劇が終わった後、柊子は清原と共に近くのカフェに入った。

「朗読劇って、初めてだったんだけど、凄くいいね。動かないのに、他の声優さん方とのやり取りの臨場感…。凄かった~」

 興奮が冷めやらない。
 目を閉じると瞼の裏に舞台上の戸部が浮かんでくる。孔明の衣装を纏い、台本を片手に持って、全身から沸き立つそのオーラ…。

「楽しんでもらえて何よりです。ダメ元で申し込んだら当たったんですよね。ラッキーでした」

「そうなのね。正直に言うと、あなたとはもう出かけないし、食事やお茶もしないつもりだったんだけど、今回ばかりは自分の決め事に従えなかったのよね。我ながら情けないけど」

 元々、気の置けない後輩なので、本音を口にしても何ら問題ないと柊子は思っている。そもそもこんな事で傷つくような繊細な心の持ち主ではない。

「あはは、柊子さんもキツいなぁ。でもこれで、柊子さんを落すには戸部駿一だってわかって、僕にとっては収穫でしたよ」

 柊子はキッと清原を睨みつけた。

「今回だけよ。今回だけ。次からは戸部さん絡みでも乗らないから。この先は、自分でチケット取りに挑戦する」

「えー?協力した方がいいと思いますよー?」

「遠慮します」

「じゃぁ、前回のように同伴者が急遽行けなくなったような時は?」

「うっ…」

 ――コイツ、足元を見やがって。
 
 憎らしくなってきた。

「そ、そういう時は、譲ってもらうかもしれないけど、待ち合わせて一緒に行くとか、その後にこうやってお茶するとか、そういうのは無しにする」

「え?酷いな。それなら、一緒に行って終演後は一緒にお茶するのを条件にしたら?」

 眉間が強く力んだ。

「そういう時は、泣く泣くだけど諦めます」

「どっちを?」

「勿論、行くのを諦める」

「ちぇっ」

 全く、何を考えているんだとつくづく思う。

「ねぇ、清原君。君さぁ。そんな事は不毛だよ?その労力、恋活に向けた方がいいと思う。まだ若いんだし、まともな恋愛しなさいよ」

 清原は半白眼のように目を細めた。

「そんなの…。面倒くさくて、やってられませんよ」

「はい?」

 面倒くさいだって?
 それなら今やっている行為だって、面倒くさい事に含まれるんじゃないのか。

「柊子さんが言う通り、僕はまだ若いので、必死になって恋活する必要は無いですし、そこまでして彼女が欲しいとか思ってませんよ」

「ならどうして、かまって来るのよ」

「それはまぁ…、敢えて言うなら疑似恋愛?」

「はぁ?」

 思わず顔を(しか)める。

「ちょっと色恋のテイストを含んだ、楽しい関係?本気じゃないですよ。本気じゃヤバいでしょ?柊子さんは結婚してるから、僕は柊子さんに責任を負う必要はないわけです。普通のカレカノとかだったら、将来的なビジョンまで付随してきちゃうじゃないですか。そういうの、面倒なんですよ。気の合う異性と、一緒に楽しめる事があるだけで十分なんです」

 前回も、確か似たような事を言っていたが、今回それをはっきりと口に出してきた。柊子が既婚者だからこそ、都合の良い相手になったと言う事だ。

「とは言え、柊子さんの事は好きですよ?柊子さんが、あと三つくらい若かったら、本気で交際を申し込んで、何年か付き合ってお互いに良かったら将来を共にする事も考えたかもしれないくらいに」

「はっ!」

 乾いた笑いが込み上げてきそうだ。

「なんか、バカバカしくて笑いそう。私がもし、もう少し若かったとしても、お断りなんだけどね。つくづく、戸部さんに釣られて今日ここで一緒にいるのが、悔やまれてしかたないよ」

「えっ?そんな事、言わないで下さいよ」

 さっきまでドヤ顔のような表情で、堂々と持論を述べていたのが、情けなさそうな顔になって頼み込むような声音だ。

「清原君さぁ。同じ職場の先輩後輩の間柄なんだって事を、もっとしっかり認識した方がいいと思うよ」

 柊子の言葉に、憮然な顔つきになった。

「それは、ちゃんと分かってますよ」

「いやいや、分かってない。職場恋愛はダメになった時、最悪でしょ。だから出来れば避けた方がいい。疑似恋愛?なんてものなら尚更じゃないの?双方で意気投合でもしたなら否定はしないけど、今の状況はそうじゃないでしょ?まして私は結婚してる。責任無いって言うけど、こじれた場合どうするの?責任逃れできなくなるかもよ?仕事にも支障が出るだろうし、周囲にも迷惑をかける。恋愛テイスト?少なくとも私は、全くそんな気は起きないから。こんな事を続けるなら、悪いけど絶交させてもらう」

「……」

 柊子の言葉を受けて、清原は俯いた。
 少しは気落ちしてくれただろうか。してもらわなければ困る。

「じゃぁ、私はこれで。今日はありがとう。コーヒー代は奢るから」
 
 柊子はそう言うと、伝票を持って立ち上がった。

「柊子さん!」

「残りの休み中に、しっかり考えて。反省してくれたらいいんだけど」

 そう言って店を後にしたが、一番反省しなければならないのは自分だろうと思うのだった。

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