第27話
文字数 2,383文字
「これからは僕も土日は仕事を休んで、二人で過ごす日に特化しようかと思うんだけど、どう思う?」
梅雨ももうすぐ明けそうな、七月の土曜日。
サロンで本を読んでいた柊子のところへ、仕事が一区切りした貴景がやってきて、そんな事を言いだした。
これまでの土日は、貴景は大抵仕事だったから、柊子は気ままに過ごしていた。
その時の仕事の状況に応じて、臨機応変といった感じだった。
「それって、仕事は平気なんですか?締め切りとかあるし」
柊子の仕事も当然ながら締め切りがある。大抵は月末だが、締め切りが近くなると職場は修羅場と化すのが常だ。
「そういう時は、例外とさせてもらうけど、通常は土日を休みにして、君と一緒に過ごした方がいいのかな、って言うか、一緒に過ごしたいんだよ。せっかく結婚したのに、なんだか一緒に過ごす時間が少ない気がしてさ」
貴景の言う通り、結婚してからというもの、夜の交わり以外で一緒に過ごす時間は少ないと常々思っていた。
お互いを干渉しない約束だから、そういうものなんだろうと、自分を納得させてきていたが、お見合い後、この家へ遊びに来ていた時の方が余程良い時間を持てていたように思う。
「君も普段、休日はのんびりと過ごしているようだから、その時間を共にできないかと思うんだ。どうかな」
元々あちこちへ出歩くタイプではない。だから特別用事があるわけでもない。
「分かりました。いいですよ。ただ時々は、友達と遊びに行きたい日もあるんですけど」
「そういう時は、事前に言ってくれれば構わないよ。できれば、そういう約束はなるべく土曜日にしてもらって、日曜日だけは夫婦の日として他の用事を入れないで欲しいなって思うのは、僕のわがままかな」
――わがままです。
そう思う。
束縛しない約束の結婚なんだから、日曜日は絶対的に夫婦の日として拘束されるのはおかしいと思う。
たまには友人と旅行にだって行きたい。
日曜日を拘束されるなら、それはできない事になる。
だが柊子は了承する事にした。
お見合いをして、お互いの事をよく知る時間もなくて一緒になったのだから、これからお互いを知る上でも二人の時間は必要だし、大切な時間だと思った。
柊子が頷くと、貴景は「良かった」と言って優しく抱きしめてきた。
久しぶりのぬくもりだ。
ずっとさり気なく避けてきて、浴室にも鍵をかけていた。
アシスタントとの疑惑が柊子の心にも鍵をかけた。だが、思わぬ提案に柊子の心の鍵が開きだした。
貴景の手がそっと柊子の髪を撫で、頬を撫で、薄めの唇が瞼の上に落ち、頬を滑り、唇を捉えた。
甘い吐息が混じり合い、互いの唇を味わうように交差する。
貴景は柊子の服を脱がしにかかり、自らも脱いで肌と肌を密着させた。
彼の熱くて弾力のある胸が柊子の柔らかな胸と重なり、顎が貴景の鎖骨の上に乗り、熱を持った貴景の首に柊子の唇が触れて、貴景の切なげな吐息が柊子の耳に当たった。
「柊子さん…」
柊子を抱きしめる腕が力強くて、息が詰まりそうだった。
なんだかいつにも増して情熱的だ。
久しぶりだからか。
貴景の唇が柊子の胸元へと移動し始めた。
と、その時。
――ブブブブ…
バイブレーションの音が甘い空気を切り裂いた。それと同時に貴景が跳ねるようにして起き上る。
悩まし気な顔をしかめながら、スマホを確認して耳にあてる。
「もしもし?どうしたの?何かあった?」
――…あ…、先生…?それがね……
漏れ聞こえてくる声は真木野だ。
貴景は会話をしながら、脱ぎ捨ててあるシャツを手に取って身につけ始めた。それを見て柊子も自分のシャツに袖を通す。
どうやら二人の時間は終わりらしい。
「うん、うん、わかったよ。これから行くから、待ってて」
(これから行く?)
いつもの事と言えばいつもの事だが、夫婦で親密な時間を過ごそうとしていた矢先に、これなのか。
前にも同じような事があった。
「なんか、台所の流しの水が詰まって、流れなくなったって言うんだ。色々試してはいるけどダメらしい。助けて欲しいって言うから行ってくるよ」
(え?そんな事で?)
小さい子どももいるから大変なのは分かる。だが、そういった事は生活上よくある事だ。男の手を借りられない女性は世の中に大勢いる。
夫でも恋人でもない男を、しかも雇用主である相手を、パシリのように使っているように思えるし、それに疑問も持たずに駆けつけていく貴景もどうかと思う。
干渉すべきではないないのだろうが、これからという時に邪魔に入った内容がこれでは、素直に受け入れて送り出す気にはなれなかった。
「ねぇ…。水道屋さんとか呼べば済むんじゃないの?」
「このくらいで水道屋さんは勿体ないよ。凄く高いからね」
「それなら、賃貸なんだから、管理会社とかへ連絡すればいいと思うんだけど」
「助けてくれる人がいなかったらね。それに僕が行く方が早い。きっと不安だろうから」
言ってる事は、確かにその通りかもしれない。だが、納得はいかない。
「それはそうかもしれないけど、なんでそんなに彼女の呼び出しに毎回毎回行くの?あなた、結婚したのよ?妻帯者なのよ?それなのに他の女のところへ頻繁に出入りしてるとか、おかしいよ」
貴景の顔が変わった。
触ったら冷たいだろうと思わせるほど、顔色が変化した。
切れ長の眼が細くなり、柊子は恐怖めいたものが胸から湧いてくるのを感じた。
「君、もしかして嫉妬してるの?彼女には随分と世話になってる。仕事もプライベートも。こうして気持ちよく仕事をし、家事に煩わされないでいるのも、みんな彼女のお蔭だ。彼女からは給料以上の献身をもらってる。そんな彼女が困っていれば、助けるのは当たり前だろう?君の方がおかしいよ」
貴景は言うだけ言うと身を翻して出て行った。
後に残された柊子は、頬を濡らしている涙をそっと拭った。