第60話
文字数 2,090文字
「こんばんは…」
「なんか、よく会いますね」
「そうですね…」
相手の屈託のない笑顔に、柊子の方は少し戸惑う。
「えぇっと…?」
大蔵の方に視線をやり、目で問いかけている。
「会社の先輩です。美味しいお店があるって連れて行ってくれて、これから帰るところなんです」
大蔵は軽く微笑んで「こんばんは」と会釈した。
「あぁ、どうも…。僕は舎人社の篠山和人と言います…」
篠山は懐から名刺を出してきた。
「はぁ、篠山さん。…すみません、生憎今は名刺を持っていなくて。わたしは柊子さんと同じ職場の大蔵春久と言います」
二人は挨拶しながら握手を交わしている。
なんだか変な感じだ。この二人の取り合わせがピンと来なさすぎる。
「…舎人社って?」
大蔵が小声で柊子に尋ねてきた。柊子は思わずプッと吹いた。
文芸とか好きそうな見た目なのに、中身は殆ど文芸に縁が無い。それでも舎人社を知らないとは知らなかった。
「遠峰が連載している雑誌の編集長さんなんですよ」
「ああぁ~」
やっと分かってくれたようだ。
目の前の男に名刺を出されて握手をしたものの、どういう人間なのか分からない。それでも、挨拶されて手を出されれば、条件反射のように応えてしまう。
「確か、お盆休み中でしたよね。一緒にご飯を食べに行くなんて、仲良しなんですねぇ」
なんだか言い方に棘があるように感じるのは穿 ち過ぎか。
「ええ、そうなんですよ。柊子ちゃんとは馬が合うせいか、よくデートさせて貰ってます」
――げっ!何を言ってるんだ、この人は。
「いやいや、ちょっとやめてくださいよ、大蔵さん。大袈裟に語らないでください」
柊子は慌てて間に入る。
「へぇ~、いいですねぇ。羨ましいですよ。僕もデートして欲しいなぁ」
「ちょっともう、篠山さんまで何言ってるんですか」
「あれぇ?この間まで“和人さん”って呼んでくれてたのになぁ。苗字呼びとか寂しいんですがー」
「そうなんですかぁ。それこそ羨ましい。わたしも名前で呼んでもらいたいものです」
二人のやり取りに脱力してくる。
――この二人、いったい何なの~?
「折角こうしてお会いできたんですから、良かったらこの後、三人で飲みに行きませんか。お近づきの印に一献差し上げたいんですが」
和人の提案に、勘弁してくれと思う。いい加減、帰りたい。
そんな柊子の気持ちを汲んだのか、はたまた本人の本音なのかは分からないが、大蔵は申し出を断った。
「いえ、生憎ですがわたし達は帰らせて貰います。暑い中、一日遊んだので、疲れ切ってるんですよ。それに、わたしは酒を嗜 まないので」
――良かった。これで二人のやり取りからも解放される。
「そうですか。残念です。それじゃぁ、柊子さん。気を付けて。また連絡しますね」
三人はにっこり笑ってその場を離れたが、柊子の内心はなんだか複雑だ。
大体、『また連絡します』の『また』とは何だ。まだ一度も連絡し合った事がない。それに、二人のやり取りも変としか言いようがない。
「大蔵さん-ん、あの人とのやり取り、なんか私、納得できないんですけど」
「え?どうして?」
心底不思議そうな顔を向けて来る。
「どうしてって…。なんか変、って感じたんですけど」
「変、ねぇ。まぁ、ちょっとしたユーモア?のつもりだったんだけどね」
「ユーモア?あれが?」
柊子の勘違いかもしれないが、妙な火花が散っていたように見えた。
「あの人がさ。隠れた敵意を向けて来るものだから、ちょっと揶揄ってやろうって思ったんだよね」
「敵意?」
「そう。君だって感じてたでしょ。棘と言うか、険のある感じ。顔はにこやかだったけど」
「……」
「ダンナさん関係の人だから、あっちサイドから見ると、俺の存在が気になって、だから牽制してきた感じ?」
「そう思うんなら、なんで『デート』とか言うんでしょうね?」
「だから。あえてそう言う事で、相手の出方を見たんだよ。面白い反応、してたよね」
柊子ははぁ~っ、と大きく息をつく。
普段から斜に構えてる人が、こんな事をするとは。
面白がっているのだとしたら、案外この人も意地悪だ。
「ダンナさんとは、相変わらずなんじゃないの?仕事とは言え、妻を実家へ追いやってアシスタントと二人きり。今日の事はきっと彼の耳に入ると思うから、少しくらいヤキモキさせてもいいんじゃないかい?」
妻を実家へ追いやって、の件 が胸を痛める。本当にそうなら、ヤキモキなんてしないだろう。
貴景の綺麗な顔が頭によぎる。少し寂しげな優しい微笑み。
今頃どうしているのだろう。
この時間なら真木野も帰宅して一人きりで仕事をしている筈だ。
――コーヒーを淹れに行こうか…。
ふと思ったが、すぐに否決する。
「柊子ちゃん」
大蔵の呼びかけにハッとした。
「とりあえず、今日はありがとう。楽しかったよ。送ろうか?」
「あ、いえ。大丈夫です。こちらこそ、連れ出してくれてありがとうございました。いいストレス解消になりました」
最寄り駅に到着し、二人は別々の電車に乗った。
別れる時に軽く手を振った大蔵は、いつもと変わらぬ雰囲気だったが、今日の事を考えると、その心の裡は謎過ぎるのだった。
「なんか、よく会いますね」
「そうですね…」
相手の屈託のない笑顔に、柊子の方は少し戸惑う。
「えぇっと…?」
大蔵の方に視線をやり、目で問いかけている。
「会社の先輩です。美味しいお店があるって連れて行ってくれて、これから帰るところなんです」
大蔵は軽く微笑んで「こんばんは」と会釈した。
「あぁ、どうも…。僕は舎人社の篠山和人と言います…」
篠山は懐から名刺を出してきた。
「はぁ、篠山さん。…すみません、生憎今は名刺を持っていなくて。わたしは柊子さんと同じ職場の大蔵春久と言います」
二人は挨拶しながら握手を交わしている。
なんだか変な感じだ。この二人の取り合わせがピンと来なさすぎる。
「…舎人社って?」
大蔵が小声で柊子に尋ねてきた。柊子は思わずプッと吹いた。
文芸とか好きそうな見た目なのに、中身は殆ど文芸に縁が無い。それでも舎人社を知らないとは知らなかった。
「遠峰が連載している雑誌の編集長さんなんですよ」
「ああぁ~」
やっと分かってくれたようだ。
目の前の男に名刺を出されて握手をしたものの、どういう人間なのか分からない。それでも、挨拶されて手を出されれば、条件反射のように応えてしまう。
「確か、お盆休み中でしたよね。一緒にご飯を食べに行くなんて、仲良しなんですねぇ」
なんだか言い方に棘があるように感じるのは
「ええ、そうなんですよ。柊子ちゃんとは馬が合うせいか、よくデートさせて貰ってます」
――げっ!何を言ってるんだ、この人は。
「いやいや、ちょっとやめてくださいよ、大蔵さん。大袈裟に語らないでください」
柊子は慌てて間に入る。
「へぇ~、いいですねぇ。羨ましいですよ。僕もデートして欲しいなぁ」
「ちょっともう、篠山さんまで何言ってるんですか」
「あれぇ?この間まで“和人さん”って呼んでくれてたのになぁ。苗字呼びとか寂しいんですがー」
「そうなんですかぁ。それこそ羨ましい。わたしも名前で呼んでもらいたいものです」
二人のやり取りに脱力してくる。
――この二人、いったい何なの~?
「折角こうしてお会いできたんですから、良かったらこの後、三人で飲みに行きませんか。お近づきの印に一献差し上げたいんですが」
和人の提案に、勘弁してくれと思う。いい加減、帰りたい。
そんな柊子の気持ちを汲んだのか、はたまた本人の本音なのかは分からないが、大蔵は申し出を断った。
「いえ、生憎ですがわたし達は帰らせて貰います。暑い中、一日遊んだので、疲れ切ってるんですよ。それに、わたしは酒を
――良かった。これで二人のやり取りからも解放される。
「そうですか。残念です。それじゃぁ、柊子さん。気を付けて。また連絡しますね」
三人はにっこり笑ってその場を離れたが、柊子の内心はなんだか複雑だ。
大体、『また連絡します』の『また』とは何だ。まだ一度も連絡し合った事がない。それに、二人のやり取りも変としか言いようがない。
「大蔵さん-ん、あの人とのやり取り、なんか私、納得できないんですけど」
「え?どうして?」
心底不思議そうな顔を向けて来る。
「どうしてって…。なんか変、って感じたんですけど」
「変、ねぇ。まぁ、ちょっとしたユーモア?のつもりだったんだけどね」
「ユーモア?あれが?」
柊子の勘違いかもしれないが、妙な火花が散っていたように見えた。
「あの人がさ。隠れた敵意を向けて来るものだから、ちょっと揶揄ってやろうって思ったんだよね」
「敵意?」
「そう。君だって感じてたでしょ。棘と言うか、険のある感じ。顔はにこやかだったけど」
「……」
「ダンナさん関係の人だから、あっちサイドから見ると、俺の存在が気になって、だから牽制してきた感じ?」
「そう思うんなら、なんで『デート』とか言うんでしょうね?」
「だから。あえてそう言う事で、相手の出方を見たんだよ。面白い反応、してたよね」
柊子ははぁ~っ、と大きく息をつく。
普段から斜に構えてる人が、こんな事をするとは。
面白がっているのだとしたら、案外この人も意地悪だ。
「ダンナさんとは、相変わらずなんじゃないの?仕事とは言え、妻を実家へ追いやってアシスタントと二人きり。今日の事はきっと彼の耳に入ると思うから、少しくらいヤキモキさせてもいいんじゃないかい?」
妻を実家へ追いやって、の
貴景の綺麗な顔が頭によぎる。少し寂しげな優しい微笑み。
今頃どうしているのだろう。
この時間なら真木野も帰宅して一人きりで仕事をしている筈だ。
――コーヒーを淹れに行こうか…。
ふと思ったが、すぐに否決する。
「柊子ちゃん」
大蔵の呼びかけにハッとした。
「とりあえず、今日はありがとう。楽しかったよ。送ろうか?」
「あ、いえ。大丈夫です。こちらこそ、連れ出してくれてありがとうございました。いいストレス解消になりました」
最寄り駅に到着し、二人は別々の電車に乗った。
別れる時に軽く手を振った大蔵は、いつもと変わらぬ雰囲気だったが、今日の事を考えると、その心の裡は謎過ぎるのだった。