第26話

文字数 1,866文字

「なんか、先生から奥様との事を色々聞いて、疑われてるんじゃないのかなぁ、って思ってたんですよね。それもあったから、今日こうして来てもらったんです。直接会って、お話した方がいいと思って」

 丸い頬にエクボが浮かぶ。
 邪気の無い笑顔だ。
 その言葉が嘘であったとしたら、物凄い演技力だと思う。そのくらい、本当の事を言っているように感じられた。

 だが、自分の瞳に映る三人の姿は、誰が見ても夫婦であり親子である。
 唯一の救いなのかどうかは分からないが、子どもは二人に似ていない。

「あの…、タカちゃんの名前って…」

 そこだけは、どうしても気になる。

「え?タカシですか…?」

「どういう字を書くのかな、って…」

「変な事を聞くね」

 不思議そうに貴景が突っ込んできた。

「高い低いの“高”に、(こころざし)です。…あー、やだ、奥様ったら、そこですかぁ?」

 あはははっ!と愉快そうに真木野は笑い出した。
 どうやら柊子の疑惑に気づいたようだが、相変わらず貴景は不思議そうな顔をしている。

「やだやだぁー。そんなわけ、無いじゃないですか。ウチのダンナ、ヤスタカって言うんですよ。井上靖の靖に高いって字で靖高。れっきとしたダンナの子ですよ?もう、ほんと、やだわぁ」

 涙目になりながら、尚も笑っている。

「どういう事なんだい?」

「先生、鈍すぎー」

 そこには大いに同感だ。

「小さい子どもがいるのにダンナが単身赴任なものだから、一人で大変で。だから先生が心配してくれて、何くれと無く助けてくれるのが有難くて。でも、それ以上の関係じゃないですから、奥様は心配されなくても大丈夫ですよ。フルタイムで働いていて大変でしょうから、家事とかも私が適当に、チャチャっとやっときますから安心して下さい」

 明るくて大らかと言うか大雑把な印象で、あけすけな物言いだ。
 見た感じでは、裏があるようには思えない。言葉通り信じて良さそうに思える。

 貴景の方に目をやると、子煩悩な父親のようだ。

 問題は、彼女の方ではなくて、夫の方にあるのかもしれない。
 真木野の方は、貴景の親切をこれ幸いとばかりに、受け入れているだけのように思えてきた。

 とは言え、それもどうなんだ、とは思う。
 言うなれば、図々しいと感じる。

 終始、明るい雰囲気に包まれた食事会を終えて、二人は帰宅の途についた。

「良かったら、また遊びに来てくださいね」

 社交辞令なのだろうが、そう感じさせないほど、親しみに満ちた笑顔だった。

「タカちゃん、可愛い子だったろう?僕のこと、パパ、だって。可愛すぎるよ」

 貴景は幸せそうな顔で、笑っている。

「貴景さんって、子ども好きなの?」

 確か、子どもは出来ても出来なくても、どちらでも良い、と言っていた気がするが。

「いや特に。勿論、嫌いではないけどね。あの子が特別に可愛いんだよ」

「……」

 普通の子だったと思う。

 正直、真木野に似ていたら可愛かったのではないだろうか。
 丸顔でぽっちゃりしているが、ぱっちりした目元に小さめの受け口が、可愛らしい印象だ。
きっと父親似なのだろう。少し眠そうな印象の、ぼんやりとした大人しそうな顔つきだった。

 笑ったりはしゃいだり楽しそうにしている表情は、小さな子供特有の可愛らしさが感じられるが、それだけだと思う。
 小さい子は大体がみんな可愛いものだ。なぜそんなに入れ込むのか不思議でしょうがない。

「どうしたの?もしかして、子どもが欲しくなったとか?」

 柊子の顔を覗き込む貴景の綺麗な顔に、艶めいた色が浮かんでいる。

「いえいえ、そういうんじゃなくて。あまりにタカちゃんと仲良しなものだから、子ども好きだったかしら?って単純に思っただけです」

 帰宅して座り心地の良いソファに二人で並んで座っているが、柊子は気づかれないようにそっと距離を取った。

「子どもって不思議だよね。自分の子だったら、どうなんだろう?」

 貴景は膝の上で頬杖をついた。

「さぁ、どうなんでしょうね。でもきっと大変だと思いますよ」

「そうだよね。真木野さんが苦労して子育てしてるのを傍で見てて、本当にそう思うよ。そいう点では、女の人って凄いよね」

 本当なら、真木野の夫がそう思わないといけない事なのじゃないか。
 きっと、そんな事は露も思わず、仕事に打ち込んでいるに違いない。
 そしてこの人は、実際に自分の子どもができた時、その苦労を妻と分かち合ってくれるのだろうか。

 自分の仕事に打ち込みたい、生活のペースを守りたいと公言している人だ。
 子どもができたら、そんな事を言ってはいられない。
 その時この人は、どうするのだろうか。


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