第68話
文字数 1,338文字
「柊子さん。結婚する時、貴景、何て言ってました?」
「えっ?」
「貴景からは、叔母から勧められたから、見合いをするって聞きました。僕は妻と上手くいかなくて離婚した男ですから、外聞を気にしての結婚なんて、お勧めできないと言ったんですけどね…」
和人の少し憮然とした態度に柊子は戸惑う。この人はこの結婚を良く思っていないのだろうか。
「…いつまでも独身でいると世間が何かと騒がしいし、一緒になった方がお互いにメリットじゃないかって」
「それだけで結婚したんですかぁ?」
二重まぶたの大きめな目が、更に大きくなっている。
「いえ…。それだけじゃないです。決めたのには他にも色々な感情があります。総合的に判断したんです」
プロポーズの時に、『あなたと過ごす時間が好きです』と言われた事を思い出した。
柊子も同じだ。
貴景と過ごす時間が好きだった。だから、受けたのだ。
それなのに、いざ結婚してみれば、共に過ごす時間はほんの僅かだった。
「まぁ、…そうですよね」
和人はワイングラスを見つめながら僅かに揺らすと、一気に飲み干した。
テーブル上の料理はほぼ食べ終わっていた。
「ワイン、もう少し飲みますか?」
「いえ、もう結構です」
あまり強くないので、飲み過ぎて翌日の仕事に差し障ってはまずい。
「…柊子さんにとっては不本意かもしれないけど、真木野さんの存在は認めるしかないですよ。彼女無しに貴景の生活は成り立たない。気にしないに限る」
結局は、そうなるのか。
誰もかれもが、行きつく先はそこだ。
この結婚生活を続けようと思うのなら、真木野の存在を認めて割り切るしか無い。
それしか無いと皆が言う。
「性的関係は無いのだから、柊子さんが気にする必要はないです」
昔、趣味サイトで知り合ったバツ2の女性の、二回目の結婚相手がマザコン男だった事をふと思い出した。
最初の夫はDVで、逃げるようにして別れたそうで、次に出会った男はとても優しい人だったから、前の時の反動のように強く惹かれて一緒になった。
ところが、いざ一緒になってみると母親とは同居で、想像以上のマザコンだった事に気が付いた。何かと言うと母親の指示を仰ぐし、食事も母親の作ったものでないと食べない。
母親自身は良い人で、彼女にも何くれと無く良くしてくれていたから、最初は仕方ないと思っていたが、仕事から帰ってきた時に二人が風呂に入っていて、夫が母親に体を洗ってもらっているのを目撃した途端、吐き気を催してダメだと思ったそうだ。
このケースはさすがに極端だとは思うが、母親でもない年下の女に、マザコンのように依存しているというのも、客観的に考えれば気持ち悪くなる話ではないだろうか。
「一番の理由が外聞なら、尚更ですよ?」
そんな事は、分かり切っている。
分かり切っている事を念押しみたいに言わないで欲しい。
言われれば言われるほど傷ついている自分がいた。
「…そうですね」
柊子はかろうじて笑みを浮かべて相槌を打った。
外へ出ると、風が少し涼しく感じた。
ついこの間までヒートアイランド状態だったのに、今年は秋が早そうだ。
暑さは体からやる気を奪うが、余計な事を考えなくて済むのは有難かった。だから、秋はゆっくりでいいのにと柊子はこの時、思っていた。