第57話

文字数 1,840文字

「作家さんも、大変ねぇ。でも実家でのんびりしてて、いいの?こんな時こそ、手伝うべきなんじゃ?普段できない主婦としての仕事だってあるでしょうに」

 実家の母の言葉は、柊子の気持ちを逆なでする。

「私は家事をやる為に結婚したんじゃないし。そんなのが嫌だから、ずっと結婚したくなかったんじゃない。折角、しなくて良い相手と一緒になったのに、なんで家事とか言うのかしらね?」

 娘の言葉に母は大きなため息をついた。

「そうは言ってもね。そんなの結局は理想論よ。実際に結婚すれば、どうしたって家事は付いて回るものなの。それで結局は、女がやることになるのよ」

 ウンザリした言いようだ。

 結局、そうなるのは目に見えている。どこの家庭も似たり寄ったりだろう。女は仕事をしていても家事と育児を背負い、男は結局ほとんど仕事だけで、家事も子育てもお手伝い程度だ。それだって、やってくれるだけマシな方なのだろう。

 柊子の父だって、同じだ。休日に少し手伝う程度だ。
 中には家事が疎かだと怒る夫もいるとか。
 何様だ!と怒りの感情が湧いてくる。

「結局男はね。家の中をしっかり整えてくれる、自分が心地良く生活できる環境を提供して欲しいのよ。そういう役割を妻に求めているの。だから、しなくていいって言われたからって、それに甘えていると後でしっぺ返しがくるかもしれないわよ?」

 ギクリとした。

 真木野の姿が瞼に浮かぶ。
 心地よい環境を提供してくれる相手。
 だが真木野は他人の妻だ。

 形だけでも“妻”という存在が欲しかったのか…。

 ――嫌だな…。

 何かというと、こんな風に思ってしまう自分が嫌だった。

 浮かんだ思いを振り切るように、柊子は出かける支度を始めた。
 結局、大蔵と出かける事にしたのだった。
 普段なかなか出来ない、都会のミュージアム巡りだ。

「結局、美術館くらいしか思い浮かばなかった。ごめんね」

 大蔵が申し訳なさそうに言ったが、柊子としては大体予想通りだった。

 大蔵は典型的なインドア派で、暑さ寒さが“超”がつくほど苦手な上、世間的な“遊び”の類も殆どしない。
 普段の休日をどう過ごしているのか訊いたら、のんびりグルメや旅の雑誌を見たり、そこで見つけた店へ行ってみたり、マッサージに出かけたりするくらいらしい。

「柊子ちゃんのお蔭で、美術関係には興味を持つようになった。新たな趣味ができて良かったよ」

 そう感謝されていたから、今回もきっとそうなるんだろうと思っていた。

「大蔵さんの事だから、予想通りでしたよ。だけど、家族で遊びにとか、無いんですか?」

「今は無いね。お盆は妻と子どもは実家に帰ってるし…。子供たちが小さい時には、遊園地やプールへ連れて行ったりはしたよ?これでも一応、父親だからね」

 大蔵のそういう姿を想像してみるが、全然浮かんでこない。そういう事が全く似合わない印象の風貌だからか。
 覇気がないから、子どもの熱量に圧倒的に負けそうだ。

 小さなミュージアムを幾つか回った後、とんかつ屋に入った。
 こういう暑い日は冷やし中華くらいしか食べられそうにない印象なのに、細くて覇気が無い割に、この人はガッツリ食べる人だった。

「美味しいとんかつ屋があるんだけど…」

 と、心配そうにこちらを窺う大蔵に、柊子は笑って「大丈夫です」と答えた。
 暑いからこそ、しっかり食べないとバテてしまう。

 ちょっと細い道に入った目立たない場所だったが、お盆の時期なのに、それなりに席は埋まっていた。

「ここ、平日は並ぶらしいよ。だからちょうど良かったよ。お盆の時期なら空いてるだろうと踏んでたんだ」

 やはりこの時期は、街も普段に比べて空いていた。

 出てきたとんかつは分厚くサクサクジューシーで、油っこくない。中は薄ピンクで絶妙な火の通りなのか、想像以上に柔らかくて食べやすかった。

「すっごい美味しい!」

 思わず口に出してしまう。

「なんか、タレもいいですね。甘過ぎなくて」

 甘いとんかつソースがあまり好きでない柊子にとって、これは絶品だった。

 大蔵は満足そうに微笑むと、箸が止まらないといった感じで黙々と食べている。
 痩せているのに良く食べる人が柊子は好きだ。その点では、貴景も良く食べる方だと思う。だが一緒に食事をする機会が少なすぎて、残念に思う。

 ――今頃、真木野の手作り弁当を食べているのだろうか。

 そう思ったら、急にテンションが下がってきた。

「ごちそうさま」

 大蔵の声にハッとして、真木野の事は頭から振り払うように、箸を動かし始めた。

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