第35話
文字数 1,726文字
「…どういう、意味?」
酒場独特のザワザワした喧噪を破るように、ただならぬ気配が柊子に向かって来るように感じるのは思い違いか。
警戒心が生じてきたのを敏感に察したのか、清原の表情が緩んだ。
「いや、結婚しても独身時と変わらずに自由って言うなら、その自由の中に恋愛も含まれるのかな~って単純に思っただけですよ。その場合、やっぱり不倫って事になるんでしょうかね」
「不倫って…」
嫌な言葉だ。
「うーん、この場合、ニュアンス的には違う気はしますけどね。婚外恋愛?になるのかな。実の無い形だけの結婚なら、恋人を外に求めるのも寧ろアリじゃないですか。それで恋人を作っても責められる謂れは無いって思いますけど」
清原の言葉が胸に痛い。
貴景は、柊子とは形だけの夫婦を演じ、実際に心を寄せているのは真木野とその子どもと言う事なのかもしれない。
本来なら真木野と本当の家族になりたかったのかもしれない。それができないから、建前上の妻として柊子と結婚した。
確か前に、秋穂に言われなかったか。
柊子は隠れ蓑だと。
柊子が考え込んでいると、清原が唐突に言った。
「僕、ちょっと後悔してるんですよね」
「え?何?後悔って?」
婚外恋愛の話から、いきなり『後悔してる』なんて言われて柊子は首を傾げる。
「柊子さんのこと、いいなって思ってたんですよ」
「はぁ?」
なんだ、なんだ。なんでそうなる。
過去に何度も二人だけで夕飯を食べに行ったり、居酒屋へ飲みに行ったりしていたが、ついぞ甘い雰囲気になどなった事がない。
ただの気の合う先輩後輩だと思っていた。
「柊子さん、実年齢より若く見えるから、二、三歳しか違わないと思ってたんです。まさか六つも年上だなんて。…それを知って腰が引けちゃったんですよね。結婚とか、まだまだ考えられないし。でも柊子さん、結婚願望ないって豪語してたでしょ。だから少し安心もしてたんですよね。時々一緒にご飯食べたりとか、そういうの気楽だし」
最初はビックリしたが、聞いているうちにムカムカしてきた。
「あんたって、意気地なしだったんだね」
思い切り不愉快な思いを込めた。ついでに、ギロリと睨みつける。
「え?それは酷いなぁ。でもまぁだからこそ、後悔してるって話なんですよ」
「そんな事、今更言ってもしょうがないでしょ?後悔先に立たず、じゃない」
「それはそうですけど、だからこそですよ。ダンナさんとは、相変わらず冷めた関係みたいだし、いいじゃないですか」
「何がいいのよ」
「だからぁ。この際だから、僕とつきあいませんか?」
「……」
全く理解できない。
こんな事を言い出す後輩だとは思っていなかった。柊子が独身の時には、そんな素振りは塵ほども見せなかったのに。
要は、責任を取らなくて良い気軽な相手だから、遊ぶのに丁度良いって事なんだろう。
「あんたって、サイテー」
柊子は立ち上がって伝票を掴むと、レジへと速足で向かった。
後ろから呼び止められたが無視した。
(来るんじゃなかった)
帰りの電車の中でそう思ったが、バッグの中にあるグッズを見て、イベントだけは参加して良かったと思い直す。
それにしても、だ。
月曜日から、またアイツの顔を見るのかと思うと、気が重くなる。なんせ机が目の前だ。否が応でも顔を合わす。
一体彼は、どうしたと言うのだろう。
好意を寄せたものの、年上過ぎて気持ちは冷めたって事だ。そんな事で冷めるくらいなんだから、最初からたいした好意ではなかったのだろう。だからこれまで、微塵もそんな気配を見せなかったんだろうに。
結局、都合よく遊びたいだけの軽い男だったことが、よく分かった。
それに万一、柊子が変わらず独身で、清原から交際を申し込まれたとしても、お断りだ。気の合う後輩以上の気持ちは持てないし、迫られたとしても断固拒否する。どうしたって、恋愛感情を持てそうにない相手だ。
(あぁ、それにしても…)
どうしてこう、毎度毎度、幸せな気持ちをぶち壊すような事ばかりなのだろう。
せっかく、ステキな気持ちでハイになっていたのに、それをラケットで叩き付けでもするように、ドン底へと落される。
電車に揺られながら、貴景のいる家へ近づいている現状にも憂鬱を覚えるのだった。
酒場独特のザワザワした喧噪を破るように、ただならぬ気配が柊子に向かって来るように感じるのは思い違いか。
警戒心が生じてきたのを敏感に察したのか、清原の表情が緩んだ。
「いや、結婚しても独身時と変わらずに自由って言うなら、その自由の中に恋愛も含まれるのかな~って単純に思っただけですよ。その場合、やっぱり不倫って事になるんでしょうかね」
「不倫って…」
嫌な言葉だ。
「うーん、この場合、ニュアンス的には違う気はしますけどね。婚外恋愛?になるのかな。実の無い形だけの結婚なら、恋人を外に求めるのも寧ろアリじゃないですか。それで恋人を作っても責められる謂れは無いって思いますけど」
清原の言葉が胸に痛い。
貴景は、柊子とは形だけの夫婦を演じ、実際に心を寄せているのは真木野とその子どもと言う事なのかもしれない。
本来なら真木野と本当の家族になりたかったのかもしれない。それができないから、建前上の妻として柊子と結婚した。
確か前に、秋穂に言われなかったか。
柊子は隠れ蓑だと。
柊子が考え込んでいると、清原が唐突に言った。
「僕、ちょっと後悔してるんですよね」
「え?何?後悔って?」
婚外恋愛の話から、いきなり『後悔してる』なんて言われて柊子は首を傾げる。
「柊子さんのこと、いいなって思ってたんですよ」
「はぁ?」
なんだ、なんだ。なんでそうなる。
過去に何度も二人だけで夕飯を食べに行ったり、居酒屋へ飲みに行ったりしていたが、ついぞ甘い雰囲気になどなった事がない。
ただの気の合う先輩後輩だと思っていた。
「柊子さん、実年齢より若く見えるから、二、三歳しか違わないと思ってたんです。まさか六つも年上だなんて。…それを知って腰が引けちゃったんですよね。結婚とか、まだまだ考えられないし。でも柊子さん、結婚願望ないって豪語してたでしょ。だから少し安心もしてたんですよね。時々一緒にご飯食べたりとか、そういうの気楽だし」
最初はビックリしたが、聞いているうちにムカムカしてきた。
「あんたって、意気地なしだったんだね」
思い切り不愉快な思いを込めた。ついでに、ギロリと睨みつける。
「え?それは酷いなぁ。でもまぁだからこそ、後悔してるって話なんですよ」
「そんな事、今更言ってもしょうがないでしょ?後悔先に立たず、じゃない」
「それはそうですけど、だからこそですよ。ダンナさんとは、相変わらず冷めた関係みたいだし、いいじゃないですか」
「何がいいのよ」
「だからぁ。この際だから、僕とつきあいませんか?」
「……」
全く理解できない。
こんな事を言い出す後輩だとは思っていなかった。柊子が独身の時には、そんな素振りは塵ほども見せなかったのに。
要は、責任を取らなくて良い気軽な相手だから、遊ぶのに丁度良いって事なんだろう。
「あんたって、サイテー」
柊子は立ち上がって伝票を掴むと、レジへと速足で向かった。
後ろから呼び止められたが無視した。
(来るんじゃなかった)
帰りの電車の中でそう思ったが、バッグの中にあるグッズを見て、イベントだけは参加して良かったと思い直す。
それにしても、だ。
月曜日から、またアイツの顔を見るのかと思うと、気が重くなる。なんせ机が目の前だ。否が応でも顔を合わす。
一体彼は、どうしたと言うのだろう。
好意を寄せたものの、年上過ぎて気持ちは冷めたって事だ。そんな事で冷めるくらいなんだから、最初からたいした好意ではなかったのだろう。だからこれまで、微塵もそんな気配を見せなかったんだろうに。
結局、都合よく遊びたいだけの軽い男だったことが、よく分かった。
それに万一、柊子が変わらず独身で、清原から交際を申し込まれたとしても、お断りだ。気の合う後輩以上の気持ちは持てないし、迫られたとしても断固拒否する。どうしたって、恋愛感情を持てそうにない相手だ。
(あぁ、それにしても…)
どうしてこう、毎度毎度、幸せな気持ちをぶち壊すような事ばかりなのだろう。
せっかく、ステキな気持ちでハイになっていたのに、それをラケットで叩き付けでもするように、ドン底へと落される。
電車に揺られながら、貴景のいる家へ近づいている現状にも憂鬱を覚えるのだった。