第31話

文字数 2,837文字

 部屋へ戻るとやはりクロードは恐い顔をしていた。二人の姿を見るなり、何か言おうと口を開きかけたが、自分を落ち着かせるために深く息をつく。
「兄さん、あの……」
 ちゃんと話さなければとは思うのだが、やはりいざ兄の怒った顔を目の前にすると、まず何と言えばいいのかわからなかった。

「後は二人で話すといい。私はユルのところへ行ってくる」
 ガゼルがポンと背中を叩くと、シノワはまた不安げな顔でふり返ったが、その時にはもうそこにガゼルの姿はなく、代わりに小さな風が巻き起こっていた。毎度のことながら、消えるなら消えると先に言ってくれとシノワは内心ため息をつく。

「シノワ」
 クロードの低い声に呼ばれて、恐る恐るふり返ると、クロードは木剣を投げてよこした。それを額にぶつけながらも何とか受け取り、怪訝な顔で兄を見やると彼もまた木剣を手にしていた。
「久しぶりに勝負しよう、シノワ」
「あ、でも、あの、兄さん。話があるんだ」
「後でゆっくり聞いてやる」
 言いながらクロードはぐいぐいとシノワの背を押して、ドアの外へ押し出した。

 学生寮のすぐ脇の空き地まで来ると、クロードはためらうことなく剣をシノワの肩に載せる。
「どうしてもやらなくちゃダメなの?」
 シノワはやはり不安げな顔で兄の顔を見上げたが、クロードは真面目な顔でうなずいた。しかたなくシノワも兄の肩に剣先を載せ、二人は軽く膝を折ると数歩ずつ下がる。
「真剣にやれよ」
「うん」
 どうして兄と勝負しなければならないのか、腑に落ちないままにシノワは剣を構える。クロードがいったい何を意図しているのか、さっぱりわからなかったが、彼とこうして剣を交えるのも本当に久しぶりのことで、状況はともかくシノワはワクワクするのを抑えられなかった。クロードとフィンなら、どちらが手強いか確かめたいと思っていたのだ。

 先にクロードが打ち込み、シノワはそれを受け脇へ流す。
 久々のことだったが、クロードの腕も落ちてはいなかった。背が伸びた分、打ち込んでくる剣も重くなり、手に重い衝撃が伝わる。しかし、フィンの剣にくらべれば何でもない。正確すぎる太刀筋にフィンのような敏捷さはなく、ひょいとかわされて剣先がビョウと鳴いた。

──君はシノワが剣をふる時、どんな顔をしているか知ってるかい?

 なるほど、と剣を受けながらクロードは頭の隅で思った。いつもどこかぼんやりした印象しかなかったが、目の前で剣をふるシノワは、その年頃の少年がよく持っているような、活き活きとした表情をしていた。
 戦争のない今の時代は、領主を継ぐには剣の腕を上げるよりも、ノービルメンテに行く方がよっぽど強みになる。勉強の妨げになるから、クロードは剣を置いた。そして、同じようにシノワも剣を置いた。でも、本当のところ、シノワはそれで良かったのだろうか。続けたい気持ちが本当はあったのかもしれない。

──頑張れば剣士(フェルルム)になれるかもって言ってたんだけど

 ガゼルが言ったように、シノワの剣はクロードが記憶していたよりも早くて重く、クロードは徐々に追い込まれていった。自分がシノワに負けなかったのは、単に体格差だったのかもしれない。そう思ったとき、カン、とひときわ高い音がして、クロードは木剣を取り落とした。

「兄さん、ちょっとにぶったんじゃないの?」
 息を弾ませながらシノワはにっと歯を見せて笑った。それにクロードは苦笑する。
「話をしようか」
 そう言ってクロードは落とした木剣を拾い上げ、シノワの差し出す木剣とクロスさせる。互いに木剣を収めると、部屋へ戻った。




「ことの顛末(てんまつ)は、一応報告はしておこうかと思いましてね」
 ソファにゆったりと座り、ガゼルは目の前のジュストを真っ直ぐに見すえた。ジュストは、そうですか、と微笑む。

「気弱と見えて、思いのほか骨のある子だったのですね」
「気は弱いんですよ。ただ、意志は強い」
 なるほど、とジュストは胸の奥まで冷えるような青い目をガゼルに向けた。
「それで、どうなさるおつもりなのですか? 魔法を封じたとして、その後に彼が悲惨なあつかいを受ける可能性は充分ありますし、また暴動が起きないとも限りませんよ」
「そのことで、あなたの手を煩わせる気はありませんから安心してください。ただ、言っておきたいのは、私は規定をあなたの思うように改訂するつもりは毛頭ありません。今すぐあなたの研究の方針を見直していただかないと、ノービルメンテは危険因子として廃します」
「おやおや、たいそうなことをおっしゃいますね。この国最高学府であるノービルメンテを廃校になさると? いくらなんでも横暴というものでは?」
「もしあなたが方針を変えなければの話ですよ。それとも、懲戒処分という形にした方がよろしいですか?」ガゼルはいつものように、にこりと笑む。「ユル、私はこれでもずいぶんと譲歩してるんですよ。本心を言えば、私は心底頭に来てるんです。今すぐにでもノービルメンテを廃校にして、あなたの当主の位を剥奪したいぐらいなんですよ。仮にも人を導く立場にある学院長が、そのあなたにあこがれていた少年をあんな所へ誘い込むなんて。もし戻れなかったら、あのまま息をしながら死んでいたかもしれない」
「ずいぶんとかわいがっておいでなのですね。司祭は執着を持つべきではないのでは?」
「私は本気ですからね」

 ジュストは、感情のこもらない目でじっとガゼルを正視していたが、ふとそれを緩めると息をつく。
「承知いたしました。善処いたしましょう。ですが──」
 腰を上げかけていたガゼルがジュストを見返すと、彼は大きく息をつきながら、ソファに背をもたせかける。
「あなたの元教師として、ひとつご忠告差し上げても?」
 ガゼルがいぶかしげに眉をひそめると、ジュストは妙に間を持たせて口を開く。

「力の根源である【星】については、歴代司祭間の口伝によってのみ伝えられ、記録は一切存在しない。いかに当主であろうとも、【星】の秘密について知ることは叶いません。ですが、ひとつわかったことがあるのですよ」
「わかったこと?」
「【星】とは、常に一定の力を放出し続ける存在なのではないか、と思いましてね」
 ほんの一瞬、ガゼルの表情にいつもにはない揺らぎがかすめたのを、ジュストは見逃さなかった。
「司祭ともあろう者が、どうして杖など持ち歩いているのか」
「何が言いたいんです?」
「あまり、ご自分の力を過信なさいませんよう」
 ガゼルは深く息をつくと、にこりと笑む。
「ご忠告ありがとうございます、先生。うっかり殴られないように気をつけますよ。でも、私からもひとつ。あなたが認めようが認めまいが、私が望もうが拒もうが、司祭は私一人です。どんなに望んでも、私は司祭以外のものにはなれないし、星を持たないあなたは司祭にはなれない。それを忘れないでいただきたい」

 その言葉だけを残すように、ガゼルはその場から姿を消し、広い学長室に沈黙が落ちる。その中でジュストの青い瞳が静かな光を見せた。
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