第46話

文字数 2,397文字

 しかし。
「もうやめなさい、クロム」
 耳元で声がして、クロムがぼんやりと顔を上げると、そこには父の顔があった。
「父さん……」
 呆けたようにつぶやいて、よろめいた体に思わず手を伸ばして支えると、その手のひらの感触にクロムははっと我に返った。ルイスの左腕は真っ赤に染まっていた。カノの縫い取りではない。血だった。
「父さん!」
「黙っていなさい」
 そう言ってルイスはくるりとふり返ると、深々と頭を下げた。その先にはガゼルの姿があった。
「ウィルド。内輪の問題に巻き込んでしまい、真に申し訳ありませんでした。お許しいただけるとは思いませんが、後は私どもで片付けますので、ひとまず今日のところは、私に免じてお収め願えませんか」
 かまいませんよ、とガゼルが微笑むとルイスはさらに頭を下げた。その左腕からはボタボタと血が滴っている。
「大丈夫ですか?」
「ええ。報いですから」
 ルイスはそう言って微笑むと、まだ呆然としているクロムと地面に伏しているソウェルとを外套で包むようにしてかき消えた。
「シノワ、私たちも戻ろう」
 ガゼルが手を差し出すとシノワはハッと肩を揺らし、のろのろと彼の方へ歩き出す。そしてガゼルの手が届きそうな所まで来ると、その歩みが止まる。
「ガゼル、僕は間違ったんでしょうか」
「シノワ」
「ソウェルさんの話を聞いて、そうするしかないと思って、それで、法印(タウ)のつなぎ目を……」
「ごめん、シノワ。私がやるべきことだった」
 ガゼルはめずらしく何かをこらえるような顔をした。
 シノワはぶんぶんと首をふる。
「いつもどんなに悩んでも、心で正しいと思うことをした後は、心が晴れるんです。今日も、こうすることが正しいと思ったからそうしたんです。でも、今日は少しも楽にならないんです。やっぱり僕は間違えたんですか?」
 シノワが今にも泣き出しそうな顔を上げると、ガゼルはそっと腕を伸ばしてシノワを抱きしめた。
「君は彼らを助けたかったんだろう? それで充分だ」
 一番つらいのは恐らくクロムで、苦しめた自分が泣きたくなんかないと思うのに、次々と涙がわき上がってきて目からこぼれ落ちていった。


 腕の治療を終えると、ルイスは数年ぶりにクロムの部屋を訪れた。足が遠のいている内にソウェルのこともあってクロムをさらに遠ざけ、今日直にまみえたのも実に二年ぶりのことだった。
 いつか間違いに気付くだろう。その責任は自分に全てのしかかってくるのだということを、自分でそうとわかるまでは手を出すまいと、突き放すつもりでクロムをカノ家から出した。しかし、それは単に息子が犯した罪から目を背けたかっただけなのかもしれないと、今になってはそう思う。
 現に、彼に責任を負わせる覚悟があるのなら、ウィルドが訪ねてきた時にクロムのことを素直に話せばよかったのだ。己の非力さを隠すために、息子を否定したのだ。
 ノックに答える声もなく、ドアを開けて中へ入ると、クロムは薄暗い部屋に明かりも点けないで窓辺に置かれた机に伏していた。
「少しは落ち着いたか」
 ルイスは両手を合わせ、そこから燃え出た火を彼の机の上に置く。
 左腕に受けた傷は深かったが、医師の魔法ですっかり癒えて、傷跡が残るのみとなっていた。
「頭に血が上ると、周りが見えなくなるのはカノの悪い癖だな。あの子に魔法封じをやめると言わせたとして、あんな風に司祭に向かっていってどうするつもりだったのだ。司祭がこのことを放っておくとでも思ったのか?」
 ルイスは静かに彼の向かいの椅子へ腰かけると、少しも反応しないクロムの肩に手を置いた。
「今回のことは、自然の(ことわり)に逆らったお前が悪かったのだ。そして、こんなことになるまで、お前から目を背けていた私の(とが)だ」
「……どうして魔法なんてものが存在するんですか。人を救うために魔法はあるんじゃないんですか。司祭はずるい。【星】から好きなだけ魔力を引き出せるのに、誰の命も救ってはくれない」
「お前は何もわかっていない。あれだけの力を持ってしても、魔法では人の命をどうすることもできないのだ」
 でも、とクロムはようやく顔を上げた。その(しょう)(すい)した表情にルイスは胸を突かれた。
「俺にだって、つなぎ止めることはできたんです。司祭ならもっと簡単に救えるはずじゃないですか」
 ルイスは疲れたように首をふった。
「どんなに魔法を研究しても修練しても、どうにもできないことというのはあるのだ。それが【星】の意思なのだから」その言葉にクロムは目をみはる。「【星】は私たちの祖先に魔法をあつかう力を与えはしたが、永遠に生き続けることを良しとはしなかった。だから、どうあがいても人の命を魔法でよみがえらせることなどできはしない。それは戒めではない。単なる事実だ」
 すがるような目で見上げてくるクロムに、ルイスは小さく首をふる。
「ウィルドが百年を生きる内に、そのことを一度も考えたことがないと思うのか」
「でも、前司祭のことは別でしょう。前司祭が命を落とすとわかっていたのに、あの司祭は魔法の解放を止めなかったじゃないですか。司祭を継ぐ前とはいえ、星を持って生まれたウィルドには、それができたはずです」
 ルイスは物憂げにゆるゆると首をふった。
「止められなかったのだよ。ソウェルと同じように、前司祭本人が、それ以上長らえることを望まなかった」
 クロムは苦しげに顔をゆがめる。
「あの人は、クリフォードは、宣言してからたった三日で逝ってしまった。一生共にあるものと思っていた我々を残して。私はそのことがとても悲しかったよ。ガゼルも反対してたんだよ。クリフォードが逝く三日前まではね。お前も、受け入れるしかないのだよ。これは魔法云々の話ではない。自然の理でしかない」
「無理だ、そんなこと」
 クロムはうつむくと、顔を両手でおおう。
 ふたたび部屋に落ちた静寂の中で、ルイスの灯した炎の燃える音だけが小さく響いていた。
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