第70話

文字数 3,589文字

 シノワとロゼリアが箱の中に閉じ込められていた間に、ガゼルの言った通り王都は大騒ぎになっていた。

 まず、獅子(シン)が王立図書館の立ち入り禁止書庫内で大暴れをして騒動になった。図書館長を呼ぶのに手間取り、到着した時には貴重な書物が無残に散乱していた。獅子(シン)は王女が肩に乗せていられるほど小さいとは言え、精霊の一種だ。万が一噛まれれば、ただではすまない。魔法使いですら恐がって近づけず、もたもたしている間に図書館の外へと逃げられてしまい、そのまま姿をくらましてしまった。
 危険な精霊が逃げ出したということで、王都の中心部の役所や住民に注意勧告が出された。

 そしてそれと同時に、飼い主であったはずの第五王女の行方がわからなくなったため、侍従(じじゅう)や王女付の侍女(じじょ)たちが図書館の中を探し回っていた。日暮れまで探し回っても、どこにも第五王女を見つけることができず、侍女(じじょ)たちは王城へと戻った。
 本来なら、第五王女を見失うなどという失態は処罰されるべきことだったが、侍従長(じじゅうちょう)はとがめることなく彼女らを帰した。

 第五王女は今、体調不良で療養中の国王から、様々な公務を任されているのだが、そもそも、国王が体調不良で倒れると同時に突然戻ってくるまでは、この第五王女は行方をくらましていたのだ。ここ数日は毎日図書館に足を運んで勉学に励んでいる様子ではあったが、また放浪癖が出たのではと侍従長(じじゅうちょう)は頭を抱えていた。
 戻ってきてからの第五王女は、妙にかいがいしく国王の面倒を見ていたが、あの国王がどうして元々素行の悪かった第五王女に公務を任せたのかもよくわからない。

 そして、侍従長(じじゅうちょう)が国王へ報告に向かったおりに、もうひとつの事件が発覚する。
 侍従長(じじゅうちょう)が国王を訪ねてゆき、第五王女の姿がどこにもないことを報告したのだが、国王は返事をするものの、どことなく様子がおかしかった。
 侍従長(じじゅうちょう)何を言っても「うむ、それで良い」「そなたに任せよう」としか言わないのだ。(いぶか)しんだ侍従長(じじゅうちょう)が意を決して国王の寝台に近づいてのぞき込むと、そこには国王に似せて作った人形が横たわっていたのだった。

 老齢にさしかかり、いつもは穏やかで冷静沈着な侍従長(じじゅうちょう)だったが、あまりのことに取り乱して大声を上げてしまった。そのことが、騒ぎを大きくした。その翌日には、王城で働く者のほとんどに、国王が人形とすり替わっていて、行方がわからないことが知れ渡ってしまったのだった。

 そうなると、国王と第五王女が行方不明になった話が、王都中に広がるのに時間はかからなかった。国王が暗殺された、王女が人質になっている、などというデマやとんでもない憶測が飛び交い、犯人捜しが過熱したのだった。そして、そこに名の上がったのがジュスト・ユルだった。

 ジュスト・ユルは最近何度も王城を訪れては王女に面会していた。面会理由は第五王女の勉学のためと報告されていたが、勉強中は誰も立ち入らぬようにと言い置かれていたために、彼の授業を見た者が王女以外には誰もいなかった。さらに、近頃各地の役所で行われていた、ノービルメンテ学院出身者の強引な人事が、学院長であるジュスト・ユルが国王と第五王女を暗殺したという憶測に、信憑性を持たせたのだった。彼が王座を狙って国王と第五王女を殺したのだ、彼はこのテサを我が物にしようとしていると。

 そして、強引な人事に不満を持っていた人々が各地で集まり、人事の無効やジュスト・ユルのノービルメンテ学院長及び、ユル家当主退任を求める抗議団体を結成する動きが出てきたのである。
 法庁の方でも、司祭代理としてジュストはいろいろな改革を推し進めようとしており、ユル家以外の魔法使いたちの間でも不満が高まっていた。

 これらを踏まえて、法庁からも正式にジュストに対しての登庁命令が出てはいるが、彼は仕事が片付き次第登庁する、とだけ返答しており、未だ登庁する様子はないという。命令が出ているとはいえ、司祭代理が本人であるうえに国王代理も不在のため、あまり効力がないのである。

「面倒なことになってきたもんだ」
「楽しそうだな。どれだけ大変な思いをしてここまで出て来たと思ってるんだ」
「おやおや、楽しんでなんかいないよ、私は」
「充分楽しそうですよ」
 狭い路地に、ふたつの人影が顔をつきあわせてささやき合っていた。一人の手のひらには、クマのぬいぐるみがひとつ。

 まだ昼にもなっていなかったが、建物の陰になって日の射し込まない路地は薄暗い。
 王都は人口が多いこともあって、四階建てなど背の高い建物が多く、こういった狭い路地が網の目のように巡っていた。どこも同じ石切場から切り出された白っぽい石を使って建てられており、同じような建物ばかりで、よく道に迷うことでも王都は有名だった。

 シノワの目の前には、ちょうどシノワと同じ年頃の少年の姿があった。ほっそりした体つきになり雰囲気もずいぶん違うが、目元はアレフそのものだった。その肩にはロンの姿がある。
 そのままの姿では王都には知り合いが多すぎるというので、アレフは自ら魔法をかけて少年の姿に変わったのだった。やはりガゼルが以前やって見せたように、全くの別人の姿に変化するのは難しいらしく、アレフは自分の少年時代の姿になっているのだった。

 小竜とクマを含めた四人は、獅子(シン)を捕獲するために王都の路地に潜んでいる。図書館のある中央広場より南東にあるケレス地区である。 

「ずいぶん静かですが、本当にこの辺りで合ってるんですか?」
「【星】の気配は確かにこのケレスの辺りにある。ベオークにホルトゥスの結界を張ってもらったから、【星】は中央広場から半径二キロから外へは出られない。だから君らもそれより外へは行かないように」
獅子(シン)はどれぐらいの速さで走るんです? 僕らで追いつけるものですか?」
獅子(シン)とは言っても、あれはまがい物の獅子(シン)だから、それほどたいしたことはないと思うけどねえ。まあ犬よりは速いと思うよ。猫より高く跳び上がれるだろうしね。でも、充分注意してくれたまえよ。噛まれると大怪我をするからね」
獅子(シン)ってそんなに凶暴なんですか」
「昔ロンが食べられそうになったことがあってね」
 ガゼルが見やると、ロンは嫌そうにヒゲを下げてフスンと、ため息をついた。

「動物を捕まえるなら、ユルの魔法使いがいてくれれば助かるんだがな。植物を生やすのが得意だから、網を張るなんてことがやりやすい」
 アレフはユル家の魔法使いではないらしい。ベオークはユル家の魔法使いだったが、彼には法庁でロゼリアを預けてある。
「ベオークならともかく、今はユル家の魔法使いは信用できない。どうにか君らで頑張ってくれたまえ」

 それからロンが獅子(シン)の気配を探って姿を消したが、食べられかけたトラウマなのか、しょんぼりとヒゲが下がっていた。なんだかかわいそうな気もしたが、ロンは特定のものの気配を探り出すのが得意であるらしく、居所のわからないものを探すのにうってつけなのだった。いつも手紙を届けるときは、気配を追って届けているのだという。

 空からの捜索はロンに任せ、シノワとアレフは地道に獅子(シン)の隠れていそうな場所を探して歩いた。中央広場から半径二キロ以内に入るケレス地区は、五百メートル四方程度で、それほど広くはなかったが、路地がとても入り組んでいて、シノワはずっと手のひらに写し取った地図を確認していなければならなかった。

 そうしてしばらく探して歩いたところで、路地の先に数人の人影が現れた。それを見た途端に、シノワはぴたりと足を止める。
「どうした?」
 アレフが不思議そうにふり返るが、シノワはその腕をつかむ。と、人影が足を速めるのがわかった。
「逃げましょう」
 それは本能的な感覚だった。路地の先にいる三人の男たちのまとわせている雰囲気が、クロワやカルムでシノワを襲ってきた者のそれと同じだったのだ。

 シノワがきびすを返すとほぼ同時に、シノワの行く手を阻むように、目の前の石畳から唐突に植物の葉が生い茂った。
「魔法使いか!」
 アレフが後ろをふり返ると、三人の男たちがこちらに向かって走ってくるのが見え、わけがわからなかったが、道をふさぐように生い茂った細い木々を即座に剣で切り払ったシノワに続いて、アレフは細い切り株をまたいで元来た方へと走った。

 そしてアレフがことさら細い路地にシノワを引き込み、追ってきた三人をやり過ごす。しかし、しばらく路地をうろついていると、また別の男たちがシノワらの姿を見つけて追ってきた。

 アレフが指先で素早く法印を描き、パチンと指を鳴らすと、そこからすさまじい勢いで水が流れ出て、クロワで見たような大波が巻き起こった。追ってきた男たちは、その波に飲み込まれて路地の奥へと押し戻されていく。
「奥へ走れ!」
 アレフの声を背中に聞きながら、シノワは薄暗い路地の奥へと必死に走った。
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