第43話

文字数 4,511文字

 ひどい吐き気と割れるような頭の痛みを、小さなうめき声に込めて耐える。
「大丈夫か、クロム」
 心配そうにアルジスが彼の背中をさすっているが、クロムの額には汗がにじみ、呼吸も荒い。
「氷づけになった俺たちより、お前の方がまいってるなんて」
「大丈夫だ。すぐ治まる」
 そう言って笑みを作ってみるが、すぐに頭の痛みに意識が引き戻された。
 いつもこうなのだ。魔法の秩序を乱して使うということは、それなりのリスクが伴うらしい。その魔法が強大であればあるほど、その反動も大きくなる。今回はその相手が司祭だったのだから当然だった。
 しかし、これくらい何でもないと思う。魔法を封じられて、自分の半身をもぎ取られるよりは。あの少年の意思を変えるまでは倒れるわけにはいかない。何としても守らなければならないのだ。そう強く思ってクロムは目を閉じた。

 うーん、とシノワは低くうなってみた。
 いったいここはどこなのか。いったい何が起こったのか。なぜ自分だけがここにいて、ガゼルはどうしたのか。
 自分の体の下には草で編んだ粗末な敷物があり、天井は板張り、壁は石積みで床も石。窓には物々しい格子がはまっていて、そこから日の光が射している。近くで馬のいななきが聞こえるところからすると、母屋からは離れた物置小屋か……というのはかなり楽観的と言えよう。目の前の壁は鉄格子なのだ。どう見てもシノワが放り込まれているのは牢屋だった。
 はあ、とシノワはため息を声に出してみて、ぼりぼりと頭をかいた。
 記憶が確かなものであれば、シノワが最後に見たのはすさまじい炎だった。それも確実にガゼルに向けられていた。それからこの牢屋みたいな部屋に記憶がジャンプしている。ということは、やはり自分はあの男に捕まったのか。
 もちろん、シノワの荷物も剣もない。とりあえず鍵が壊れていたりしないか、窓の格子がはずれないか、目の前の鉄格子のどこかがゆるんでいないか、壁か床の石のどれかが抜ける仕掛けがないか……と確認してみるが、やはりどれもガッチリとシノワを閉じ込めていた。
「いったい何なんだろう」
 力なくつぶやいてチクチクする敷物に寝ころぶと、ガゼルのことが気になった。
 あの時、ずいぶん大きな爆発が起こったようだった。ガゼルは司祭なのだから、魔法で負けるなんてことがあるとも思えないが、こうして自分がここにいるということは、ガゼルも何らかのダメージを受けたのかもしれない。それに、あの男は秩序がどうとか言っていた。何かガゼルの予想していないことが起こったのかもしれなかった。
 そんなことをモヤモヤ考えていると、窓の格子の間からひょっこりとロンが顔を出した。
「ロン!」飛び起きて手を伸ばすと、ロンはシノワの手のひらに前足をかけた。「ロン、ガゼルは? ガゼルはどうしたの?」
 ロンはこくこくとうなずくと、何か一生懸命説明しているようだったが、何を言っているのかシノワにはさっぱりわからなかった。
「ごめん、やっぱりガゼルじゃないとロンの言葉はわからないみたいだ」
 ロンは忌々しそうにシノワの額をビシビシやると、フウとため息をついた。今日はメモ帳を持っていないらしい。
「まあ、めずらしい竜ね。ペオースかしら」
 ドアのきしむ音とともにやわらかな声がして、ふり返ると若い女が一人立っていた。ロンは彼女に威嚇するように吠えた。
「まあ、私はその子に食事を持ってきただけよ。何もしないわ」
 彼女は心外そうに言って、鉄格子の前に持ってきた盆を置いた。その上にはパンやスープが載っていた。
「あの、ロンの言葉がわかるんですか?」
 思わずシノワがたずねると彼女は、あら、と眉を持ち上げる。
「これでもカノ家の人間だから、竜の言葉ぐらいはわかるわ。その子が話しているのはとても一般的な言葉だし」
 言いながら彼女は鉄格子の間からパンの載った皿を差し入れた。その手を見て、そのあまりの細さにシノワはぎょっとした。よく見てみれば手だけではない。足も首も折れそうに細く、抜けるように白い肌も健康的とは言えない。彼女がどこかを悪くしているのは一目瞭然だった。 
 その視線に気付くと、彼女は少しすまなさそうに笑った。
「こんな所に閉じこめてしまってごめんなさいね。止めたんだけど聞いてくれなくて」
「あの、いったい何なんですか?」
 彼女は困った顔になり、少し言葉を探す風に黙ったが、何か言おうと口を開きかけたとき、彼女の後ろでドアが開いた。そこに現れた男の姿を見ると、彼女はあわてて立ち上がる。
「ソウェル、ここはもういいよ。もう休んで」
「あなたこそ、もういいの?」
 彼女が心配そうに駆けよると、男はそれ以上は言うなというように小さく首をふり、彼女をドアの方へ押しやった。
「また後で部屋に行くよ」
 彼女はまだ何か言いたげだったが、男はにこりと笑ってそれを制し、彼女は少しシノワの方を見やってから出て行った。
「あの、いろいろと説明してほしいんですけど」
 シノワはロンを自分の後ろに押しやりながら、精一杯落ち着いた声音で言った。男は鉄格子の前にしゃがみ込むと、まだ盆の上に残っていたスープの皿を差し入れる。
「毒など入っていないから、冷めない内に食べるといい」
 その声は確かに昨日炎の中で聞いたものだったが、彼の顔にはシノワが思っていたような激しさも冷血さもなく、目の前にいるのは穏やかそうな青年でしかなかった。それを見る限りでは、昨日のことは何かの間違いではないかという気がするが、これもガゼルの「火山もふつうの山に見えることもある」という忠告が正しかったということなのだろうか。
「そんなことより、ガゼルは? ガゼルはどうなったんですか?」
 男は虚を突かれたという顔をしたが、すぐに穏やかに笑む。その笑い方が昨日会ったカノ家当主にそっくりで、シノワは瞬間的に彼がルイスの息子らしいことを悟る。
「この状況で、君は自分の心配はしないのか? 俺みたいな、はみ出し者の魔法で司祭がどうにかなるわけないじゃないか」
「だったら、どうしてガゼルに向かっていったりしたんですか?」
 それを聞くと彼はシノワに視線を合わせるように、床に腰を下ろした。
「手荒なことをして悪かった。俺はクロムという。一応法庁(バーカナン)の魔法使いだったが、今はもう違う。君をここに連れてきたのは、他でもない。君と話したかったからだ」
 シノワはいぶかしげにクロムを見る。
「僕と話してどうするんですか?」
「魔法を封じるのをやめてほしい。それだけだ」
「どうしてですか? 魔法のせいでどんなことが起こってるか、あなたは知らないんですか? それとも、当主と同じように今さらだって言うんですか?」
 いや、とクロムは視線を落とし、小さく息をついた。
「君は魔法の力で、どれだけの人が助かっているかわかっていない」
 そう言ってクロムはシノワに目を移す。その穏やかそうな瞳の奥に、かすかに炎が揺らめいたように思ってシノワは目をこすった。
「君には大事な人がいるか?」
「もちろんです」
「その人が、死にかけている。医者にはどうすることもできないが、魔法ならなんとかできる。それを君はあきらめて、魔法を封じることができるのか?」
「あなたは魔法使いなんでしょう? だったら元のように魔法を封じたって大丈夫じゃないですか。一般の人が魔法を使えなくなるだけですよ」
「魔法使いが全ての病気を治せるのなら、とっくにこの国から医者は消えている。魔法使いといえどもエレメントに縛られているんだ。魔法が解放されていなければ、使える魔法なんて、たかが知れている」
「つまり、あなたは医者に治せない病気を治すために、魔法が必要だってことですか?」
 クロムは重々しくうなずいた。
「君が魔法を封じようと考えたのは、とても素晴らしいことだと思う。しかし、それは俺の命よりも大切な人を殺す」
 鋭い言葉に思わず怯んだシノワを、クロムは見すえた。
「……他にその病気を治す方法はないんですか?」
「あったらそうしてる」
 よく見れば、クロムの目元にはくまができていて、目だけは異様にぎらついていて、追い詰められているのがわかった。
「確かに、何も知らない素人が魔法を乱用して、様々な問題が起こっているのは知ってる。しかし、それは本当にどうしようもないことだろうか? それこそ何らかの対策を打てば済む話じゃないのか。
 君も魔法のために誰かを亡くして、それで魔法を封じようとしているそうじゃないか。だから魔法を憎むのはわかる。しかし、それならわかるはずじゃないか。大事な人を失うということがどういうことか」
──ガゼルよりも、お前さんがまず魔法封じをやめようと言い出すと思うね。
 あの時、ジーナがどうして詳しく説明しようとしなかったのか、わかった気がした。
「俺は彼女が生きてさえいてくれれば、何を失ってもかまわないんだ。大切な人なんだ。頼むから彼女を殺さないでくれないか。君がもし魔法を封じるのをやめると言わなければ、相手が司祭だろうと、俺はそれなりの覚悟をしている。俺の言いたいことはそれだけだ。よく考えてみてほしい」
 魔法のために死ぬ人と生きる人がいる。こんな問題を突き付けられて、シノワはどうすればいいのかわからなかった。その困惑しきったシノワの顔を見ると、クロムは立ち上がる。そのまま出て行こうとした背中にシノワが声をかけた。
「クロムさん、どうしてそんな話を僕だけにするんですか? いくらガゼルが僕に決めさせようとしてると言っても、あんな風に襲ったりしなくても、話ぐらいちゃんと聞きましたよ」
 クロムは笑みを収めて首をふる。
「あの人は魔法を解放すれば、育ての親が死ぬとわかっていて、止めなかった。しかし、自分自身はこの後数百年も生き続ける。そんな人間に話す意味がない」
「クロムさん!」
 叫んだが、クロムはもう立ち止まることもなくドアの向こうに姿を消した。
 そのまま呆然としているシノワの肩に、ロンが恐る恐る登ってきた。それをシノワはぼんやりとなでた。
 胸の奥が冷え冷えとした。これがルイスの魔法封じを反対する『本当の理由』なのだろうか。親でも子でもないと言ったが、クロムの大事な人の命をルイスも守りたいのではないのか。
──カノは優しい人なんだ
「ロン、きっとガゼルは、このことを知ってたんだね」
 それをシノワに言わなかったということは、やはり自分の頭で考えろということなのか。
 また押し黙ってしまったシノワを不安げに見上げて、ロンはそろそろとしっぽで頬に触れる。
「ロン、いてくれてありがとう」
 シノワはロンの細い体を抱きしめた。
 ガゼルは前司祭が魔法を解放した時、いったい何を思ったのだろう。
──悲しかったよ
 前司祭が死ぬとわかっていて、ガゼルはそれを止めなかったと、クロムは言った。しかしそれはガゼルが前司祭が死んでも平気だったということではない。きっと何か、止めることのできない理由があったに違いない。
──ガゼルよりも、お前さんがまず……
 ここにガゼルがいたら、何と言ったのだろうか。助けてやれと言うのか、それとも……。たまらなくガゼルの所へ戻りたかった。
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